その4.千葉県の高校と教師(後編)
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
④新科目「公共」が目指す授業とは?
高校では新科目「公共」が登場した。学習指導要領の改訂によって2022年度から導入された必修科目(2単位)の「公共」はそれまでの「現代社会」に取って代わる存在である。この科目には国家主権の強調や愛国心を軸とした道徳教育の押しつけ・・・などと言った批判が既に寄せられている。特に貧困・格差問題や平和学習の要素が欠けている点は確かに見逃せない。
しかしアクティブラーニングや討論形式の授業が奨励されている点は多少なりともプラスに評価できる。主体的に考え、探求する学習のあり方を重視している点も悪くない。教える内容は討論のテーマ設定によって少しは現場に裁量の余地も出てくるだろう。少なくとも全国画一的で詰め込み主義の陳腐な一方的講義形式の授業がこの科目によって僅かでも良い方向へ変容していく可能性は十分秘めている。本来ならば学校現場としては最大限、この科目を建設的、前向きに捉え直し、退屈な授業に飽き飽きしている生徒達のためにも積極的に取り組んでいき、大いに授業改革に活かしていくべきだろう。
※参考動画
○イギリスの主権者教育がすごすぎた。イギリスの政治学者にインタビュー
たかまつななチャンネル 2022/07/03 20:44
主権者教育の観点で公民科の授業は見直すべきではないだろうか。イングランドでの市民教育に関
わる授業では何を教えるのかは担当教師にほぼ一任されているという。うらやましい限りである。
○潜入!フランスの政治の授業!
たかまつななチャンネル 2022/07/02 15:48
実際の投票と合わせて授業で模擬投票を行う事は日本では許されない。なぜ、フランスでは許され
るのか、なぜ、日本では許されないのか、その理由と実践的な模擬投票の是非について授業で討論
させたい。
◎【宮台真司の眼】安倍氏の亡霊(ファントム)が覆うのは自民党と右翼界隈だけ/日本人の「空っ
ぽ」ぶりはより深刻になっている<司会 尾形聡彦×望月衣塑子>
7/10 スピンオフ ● Arc Times 2023/07/20 12:28
イジメが多くの社会で蔓延し、「KY(空気読めない)」を排除しようとする動きが日本社会全体
に広がることで若者に過度な忖度を強いた結果、いわゆる「キョロ目」がはびこり、少数意見の価
値を軽くとらえて一方的に「KY」の枠内で捉える傾向を生み出してきたのだろう。それこそが現
代人が直面するコミュニケーションの劣化である。ならば猶更のこと、多様な意見を交わすことの
出来る討論を軸とする授業が必要となってきていると考えられる。特に意見が分かれやすく、分断
を招きやすいがゆえに教科書や若者の間で避けられがちな政治や性愛の問題をこそむしろ積極的に
討論のテーマとして我々は授業に採用すべきではあるまいか。意見の違いが表面化することを恐れ
るのではなく、むしろ自分と違う意見が出てくることを歓迎する姿勢を育む必要があるのではない
のか。
※参考記事
○日本での「不毛な反ポリコレの議論」を超えるために、これから「参照されるべき視点」
現代ビジネス ベンジャミン・クリッツァー の意見 2022.12.14
多様な意見、価値観を尊重する事の意義と討論の在り方が見えてくる。対立する意見同士が感情的
な罵り合いに発展していかないように、上手く冷静な議論へと導く上で必要とされる観点とは何
か、考えさせられるだろう。
〇「高校は手遅れ?」政治学者が小学生に政治を教える理由と方法
ABEMA TIMES によるストーリー 2023.7.20
日本の学校教育がこれまでいかに主権者教育を怠り、主権そのものを侵害してきたかという実態へ
の反省がなければなるまい。若者の投票率が停滞し、若者が政治的話題をタブー視する傾向を醸成
してきたのは間違いなく、画一的で管理主義的な学校教育である。
ただし今後注目すべきは教育現場の受け止め方と大学入試問題のあり方である。果たして今の学校現場には新科目にしっかりと対応できるだけの時間的、体力的余裕が残されているのだろうか。新科目導入となれば年間のシラバス等から学習指導要録まで様々な文書を修正しなければならない。ただでさえ激務の教務担当者にはそれだけで重い負担となる。もちろん「公共」や「歴史総合」などの新科目を担当する社会科教師は新たな授業準備にも追われるだろう。加えて討論型の授業に慣れていない教師の場合には一層、不安が募る。他方で大学入試問題が従来通りの知識量ばかりを問うようなものになってしまうと、学校現場もそれに追随してまたぞろ暗記中心の退屈極まる「詰め込み式」授業を延命させてしまいかねない。
実は昔、「現代社会」導入のしばらく後で共通一次試験(⇒センター試験⇒共通テスト)の試験科目から「現代社会」が外されたことがあった。その瞬間、社会科には大学入試に余り拘束されない科目が生まれ、授業における教師の自由裁量の幅が生じ、教科書にも囚われないユニークな授業を作り出すチャンスが一時的にせよ生じた。そもそも「現代社会」はその創設当時から狭い科目の枠を超えられる、授業改革の先頭に位置した社会科期待の新科目なのである・・・などと40年余り前、自分の居た大学では盛んに喧伝されていたものである。
※ちなみに1979年1月から導入された共通一次は当初、国公立大学受験生向けに限定されてスタート
したが、1990年にセンター試験と名前が変更された頃から多くの私大が利用するようになり、入
試の中での存在感を高めていった。その結果、センター入試の出題内容が高校の授業内容をも左右す
る程に学校現場への影響力を強めていく。私は検定教科書制度下での全国統一テストが孕む教育内容
への国家統制強化による弊害について、もっと注目すべきであると考えている。多様性を尊重すべき
時代においてそもそも教科書検定制度や共通テストは本当に今、必要とされているのか・・・
しかし「現代社会」導入に反発する地理を専門とする教師達の抵抗(「現代社会」の登場によって地理の授業時数が削られてしまうケースが現場では多々、見られた)もあったのだろう。「受験戦争」というキナ臭い言葉がまだ飛び交っていた時代の事である。少なからぬ学校(特に進学校)では「現代社会」を入試に役立たない邪魔な科目と見なして必修科目であるはずの「現代社会」を授業では教えずに、カモフラージュのため、表向きは「現代社会」の教科書を生徒に買わせておき、その実、同時に買わせた地図帳と副教材を用い、実際は地理の授業を行ったりしていた。そうした学校現場による隠蔽工作がやがて世間に広く知られてしまい、問題化したことで結果的に「現代社会」は完全に入試科目へと取り込まれてしまう。
※その後、必修化された世界史を教えずに日本史などを教えていた高校の存在も2006年になってから報
道された。とある高校での校長の自殺も手伝って世間的にはこちらのケースの方がより注目されたか
もしれない。
今度は入試対策を楯にして政治経済や倫理と「現代社会」の内容とをピタリと重ねてしまうことで多くの進学校は「現代社会」が持つ科目の枠を超えた授業改革の可能性の芽を自らの手で完全に摘んでしまった。すなわち一斉講義形式にしがみつこうとする旧態依然の保守的学校体質も相まって、多くの現場では「現代社会」もまた他の科目と同様、教科書の太字を暗記するばかりの受験科目に堕していく・・・そうした安易な傾向があちらこちらで出現してきてしまったのではあるまいか・・・そんな40年近くの、ホロ苦い記憶を伴った無念の思いの数々がこの科目に対しては自省の念も含んで私の脳裏に執拗にまとわりついて離れようとしない。かく言う私もまた当時の現場の一員として共犯者たるを免れないのだ。そうした過去の経緯と学校現場のブラック化が進んでしまった現状とを鑑みれば、どんなに授業改革の新しい可能性を秘めている「公共」でも、今後の展開次第では瞬く間に「現代社会」と同じ運命を辿ってしまう可能性は大いにあるだろう。これでは社会科授業に対する生徒達の閉塞感はかえって増すばかりである。
真っ先に国が優先すべき改革は授業改善に資するべく教師の過重な負担の軽減と現場における裁量権の拡大でなければならなかった。しかし学校現場からすればこれまでの実態は学習指導要領の改訂にも見られた「入試改革」「学校改革」「教師改革」「授業改革」の喧しい掛け声の下に、現場への負担が一層重くなるだけの、息つく暇すら与えない「改革」の連打に過ぎなかった。高校の再編も加わり、教師の負担感はかつてよりも重くなってきている。教師の精神的疾患による休職率や新任教師の早期退職が増えている事実は何よりも学校のブラック化が止めどなく進んできている事を物語っていると私は考えている。
加えて近年、深刻化してきた教員不足の安易な一時的埋め合わせ策として活用されている非正規教員の増大と彼らの現場における微妙な立場は長期的人材育成の観点を欠くばかりか、かえって正規教員への負担の増大にもつながりかねない極めて危険な側面を持っている。こうした現状が続く限り、授業改善に向けて教師達を動機付けることなど、まったく夢のまた夢であろう。
※参考動画
◎【歴史教育】「戦国武将の名前は知ってるのに」近現代史より縄文弥生を重視?なぜ知識・暗記に?
今の国際情勢を理解するための学びとは?|#アベプラ《アベマで放送中》2021/12/10 14:03
◎【シン歴史】年号暗記に意味ある?三国志は単なるエンタメ?ひろゆきと考える歴史を学ぶ意味と意
義 2022/06/05 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 23:17
※参考記事
◎千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案
産経新聞 2024/6/26 18:34
「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。
…県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。
商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちに辞めた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。
◎千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像
産経新聞 2024.6.26
…管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。
…北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。
◎若者に「教員になること」勧めたい日本人19%…ワースト2位
リセマム オピニオン 2023.9.22
◎まじめな教師を休職に追い込む4つの深刻問題 心の不調を抱えながら勤務する先生も多い
諸富 祥彦 : 心理カウンセラー 2020/06/16 5:35 東洋経済オンライン
◎文化部もブラック化「本末転倒」な部活動の実態 文化とは、教員とは…忘れ去られるその「本分」
2022.3/29(火) 8:02配信 東洋経済education×ICT
◎「82歳の講師」が教壇に立つ深刻すぎる教員不足 教員の自己犠牲で成り立つ公立学校は崩壊寸前
井艸 恵美,野中 大樹 2022/07/19 07:30 東洋経済オンライン
◎1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち
佐藤明彦 2022/07/30 08:00 東洋経済オンライン
〇生徒の動画を撮る"問題教師"もクビにならぬ背景 深刻化する「教員不足」の影響が各所に…
東洋経済オンライン 小林 美希 によるストーリー 2023.9.29
⑤生き残るための授業実践とは?
このブラック過ぎる、ゴールの見えない耐久レースの中で少しでも多くの教師が自らの心身を磨り減らされずに生き残っていくための秘訣があるとすればそれは一体何だろう。
まずは教師の本務であり、本来は最大の生きがいでもあるべき授業での精神的、肉体的苦痛を僅かでも軽くすること。それとともに、教師および生徒が共に授業の楽しさを改めて実感できるほどに両者が熱中できる授業を創出していくこと。これこそが今は残念なまでにブラック化した学校での教師及び生徒における現実的な生存戦略として最も妥まっとうな取り組みであると考える。
※参考動画
◎「日本に“意識高い系”が蔓延する理由」宮台真司が尊敬する〈二人の師匠〉を語る
文藝春秋 電子版 2023/01/13 9:57
多様性への尊重は自分の中に伏在する可能性としての多様性に気付くことから始まるとする宮台氏
の指摘は極めて重要だろう。
◎「自分で働いてご飯を食べよう」教科書を離れて学びの楽しさに気づくプログラム『LEARN』/ 東
大先端研 中邑賢龍先生 KIDSNA STYLE チャンネル【公式】2022/04/22 3:19
◎「異才発掘プロジェクト ROCKET」3期生決定!オープニングセレモニー(2016.12.19)
2017/01/03 日本財団 1:20
授業中に生徒の問題行動が噴出してしまう時、授業改善に深く拘ってきた教師の心はたちどころに打ちひしがれ、折れてしまいそうになる。最悪の場合、逃げ場のないところへ追い詰められてしまうかもしれない。逆に授業が楽しいと思える場面が一瞬でもありさえすれば教師の心が病むことは大抵の場合、回避できるに違いない。授業中の生徒達の明るい笑顔こそがすべての教師の心身を癒し、回復させる最大のエネルギー源になるのだと私は確信している。つまり生徒達の笑顔や真剣な眼差しを授業の中で一回でも見出せるような、実際にはそれほど労力を要しないちょっとした教材上の工夫や生徒の意欲を引き出す発問、それとこちらは現場からかなり抵抗感があるだろう教師の授業観のアップデート・・・これらこそが今の教師達が、そして生徒達がどうしようもなく沈滞した日本の学校社会を生き残る上で切実に必要とされていることだと考える。
授業における話術の巧拙はひとまず脇に置いておこう。取りあえずは教師も生徒も教科書の呪縛から少しは自らを解放してみるべきである。そして教科書のみならず、教科や科目の枠を超えてしまうほどに汎用性のある本質的で興味深いネタ、ピタリと時宜にかなうネタ、数多くの生徒が飛びつく鉄板ネタをがむしゃらに手に入れていくことを今の教師達は急ぐべきではないのか。
これはもちろん生徒への媚びでも軽薄なウケ狙いでもない。むしろ現職の皆さんを待ち受ける恐ろしい未来への備え、いずれやってくるかもしれない三部の定時制への転勤への備えでもある。すなわちこの対策は次年度、一体どの科目を任されるのかといったことすらまともには予想できず、幾つの科目を任されるのかですら先行き不透明な学校であっても、社会科教師の地位に辛うじて踏みとどまれる一つの、そして決定的な自衛策となるはずである。おそらく教科書や科目の枠に強く囚われているような教師は意に沿わぬ転勤後の3科目負担の重圧にたちまち押し潰されてしまうだろう。
またこうした前途多難な時代であるならばなおのこと、授業のネタを自分一人でコツコツと時間をかけて探し出し、独自教材を手作りしていく・・・などといったような古臭い職人的授業準備へのイメージはいち早く払拭してしまうべきである。
そもそも教師のほとんどが今や疲弊し切っており、一つの科目に絞り込んで授業準備できるほどにゴージャスな立場にいられるはずがない(そんな人は一握りの超進学校にいらっしゃるごく少数の教師に限られている)。まともな授業準備の時間すら僅かしか残されていないのが教育困難校の通常の姿である。だからこそ特に教材の蓄えが少ない若手教師や転勤などで初めての科目を受け持った教師は何の遠慮会釈も無く他の教師のネタを手っ取り早く自分の授業に取り込み、あとは時間をかけてゆっくりと自分なりに消化していけば良いのだ。
多くの生徒から支持されてきた授業ネタは公教育の結果生み出された、教師達全員の貴重な文化財であり、公共の財産でもある・・・とこれからは考えていこう。だから「自分オリジナル」でなくとも他人のネタを積極的に活用すべきなのである。この非情な時代、「授業はオリジナルであるべきで、自分の力だけでジックリと時間をかけて作るべきなのだ」などという変なプライドは自他共に災いを招くだけのただの独りよがり、思い上がりに過ぎまい。
またYouTubeを含むネット情報は、確かに玉石混淆で事実誤認やフェイクニュースもあって授業で利用するには十分、注意する必要があるものの、現代社会を考える上での新鮮で興味深いネタの宝庫である。むしろ教師自ら情報リテラシーを向上させていく上でも可能な限りネットサーフィンを繰り返して貪欲に適切な題材を日々、そこから見出していき、授業に取り込み続けることが今後は切実に求められていると考えられる。事実、多くの生徒達にとってネットは最大、かつ最も身近な情報源となっている。そうした生徒の実態に寄り添いつつネット情報の危険性や偏りにも気付かせる上で、むしろ積極的にネットを授業で有効活用すべきなのである。
コロナ禍におけるオンライン授業の急速な進展は、ある意味、生徒達のナマの興味、関心を惹きつけられる絶好のチャンスである。ICTを活用した授業作りには強力な追い風が吹いている。ただし、ここにも見落とせない問題がある。しつこいようであるが多くの教師には毎日、ネットサーフィンを繰り返している暇などあるわけがないのだ。ブラック化した教育現場の中では誰もがまさに忙殺状態に置かれているという深刻な現状があることを決して視野から外してはなるまい。
私もまた教師生活の多くは日々の仕事、生徒指導や部活指導に追われて肝心の授業準備を数知れず後回しにしてきた経緯がある。あるいは幾つかの映画を視聴させることで苦手な科目の授業を何とかやりくりしていた時代もかなり長い間続いた。初めての科目(世界史だった)を受け持った際にはネットに挙げられていたベテラン教師の授業案をほぼそのまま一年間なぞるようなことまでしていた。そうした日々を含む20年近くの長い試行錯誤を経て徐々にではあるが教科書、資料集に頼らない、生徒達の実態に即した自分なりのネタと授業展開を少しずつ作り出すことができるようになったのが正直なところ、私が苦心惨憺歩んできた30有余年の道程である。
そして授業でそれなりの効果を期待できる独自教材がどうにかある程度まで蓄積出来てきたとようやく思えたときには無情にも退職の時が目前に迫っていた。もう少し早く気付いていれば良かった・・・そんな悔しさ、無念さを胸に、かつて生徒の驚く顔や喜ぶ顔見たさに時間を惜しまず作った教材、授業での披露が待ち遠しかった面白ネタ、鉄板ネタをUSBや段ボールに封じ込め、むなしく教室から去っていった元教師達はきっと全国に大勢いらっしゃるに違いない。
私の知る20年近く前に退職した先輩教師は(地理を専門とする方だった)幾度も海外旅行を繰り返しては時間とお金を惜しみなくつぎ込んで世界中から買い集め、拾い集めてきたありとあらゆるレアで貴重な実物教材をマニアックにも自宅の物置に大量に抱えていた方がおられた。残念ながらその方も退職の際には奥様から物置の大胆な在庫処分を厳しく迫られ、途方に暮れていたことを記憶している。
いずれにせよ個人的に集めてきた教材や面白ネタは教師個人の退職時に教師本人と共に教育現場から忽然と姿を消してしまうことが多い。このことを毎年のように繰り返す現状は実に勿体ないではないか。もちろん時代の流れに乗り遅れがちになり、頭の回転の鈍くなった老教師陣の新陳代謝は学校にとって必須ではある。しかし彼らの教材の中には今もなお古びない優れ物が無いわけではない。一方で日々、面白ネタや生徒から大きな反響を呼べるネタ、教材の不足に直面している若手教師は間違いなく大勢いる。彼らの間で退職教師の持ちネタ(データ面や内容面でアップデートされる必要のある教材が多いとしても・・・)が少しでもある種の「授業遺産」として共有され、簡単に再利用される良い方法は無いものだろうか・・・これが20年来、私が社会科教師として抱えてきた大きな課題意識の一つであった。
かつて生徒指導や進路指導に追われて授業のネタ探しに行き詰まっていた時にはよくこんなことを夢想していたものである。ネットを用いて全国から会員を集め、大勢の教師達から自信のある持ちネタを誰もが利用しやすい形にして拠出していただく。そして拠出して下さったネタの質と量(検索数で評価)に応じてその分だけ(会員に限られるが)他者のネタの活用を可能にする、いわゆる「教材ネットバンク」制度のような社会科教師の全国的互助システム・・・これ、誰か作ってくれないかなぁ。しかしこの思いつきは20年近く前のことであり、ネット環境や機器がまだまだ不十分な時代であったため、結局、あくまでも私個人の他力本願的妄想に終わっていた。
そんな自分にとって退職後に生じた時間的ゆとりと近年の急速なネット環境の進歩はすっかり諦めかけ、忘れかけていた妄想としての「教材ネットバンク」構想の一部を実現可能なものとして甦らせるに至った。もちろん私自身の能力の限界が大きいため、実行に移せるのは構想のごく一部ではあるが、一部であっても試してみるだけの価値はあるだろう。これが「カッパの高校社会ネタ探し」ブログを開設した経緯であり、個人的理由である。
⑥「教師のバトン」をどうつなぐのか? 退職教師に告ぐ!
ところで突然話が変わるようだが文科省が上から目線で使った「教師のバトン」というフレーズは教師の皆様方にどのように響いたのだろう。私はむしろ全国の教育現場に絶望的な思いを一層募らせただけだと感じている。多くの教師が激しい憤りを持って受け止めたに違いないとさえ思っている。
「教師のバトン」という本質的に重い言葉は、悲惨な学校現場の泥水を一切浴びたことのないただの第三者、高学歴エリート役人達が脇からしゃしゃり出てきて云々するものであってはなるまい。当たり前過ぎることだが話の本筋としては学校という現場において日々行われている魅力的な教育活動を通じて当事者である教師自らが次世代の生徒達にバトンを渡していくはずのものである。とりわけ学校の教師が日常的に面白くて有益な授業をすることこそが生徒達に教職への憧れを募らせるのであり、そのことこそがバトンを次世代に渡していく行為そのものだと思うが、いかがだろう。
そうであるにもかかわらず、目標申告シート(自己評価シートetc)の記入、学習指導計画の作成、朝令暮改を繰り返す大学入試改革へのネコの目対応、学習指導要領の改訂、進学用調査書や指導要録の改訂、果ては混乱ばかり招いた不備だらけの校務IT化、意味不明な校内外研修のつるべ打ち・・・息つく暇も無く矢継ぎ早に文科省や県教委から下々へ、あたかも罰ゲームのように押し寄せてくる仕事の山、山。その多くは教育行政を熱心に「やってます」感を演出すべく仕組まれた、いざというときのためのアリバイ作りに過ぎないような、絶望的なまでに不毛感漂う雑務の塊。そして過熱する一方の部活動と噴出する学校や教師への批判、モンペアへの対応・・・これらに忙殺される余り、肝心の生き生きとした授業実践に手が回らなくなるどころかついには本務であるはずの授業までもが教師及び生徒達にとっても耐えがたい苦痛になってきている・・・学校教育の本当の危機はそこにあるはずであった。
※参考記事
○「職員室でしかPCが使えない」 “生徒1人にPC1台”の裏で、進まぬ教育現場のデジタル化 意識改
革が必要なのは誰なのか ITmedia NEWS 2022.11.29
そうした学校の惨状に一切目をくれず、「定額働かせ放題」とか「やりがい搾取」という罵声が激しく飛び交い始めた学校に対して、どう見ても皮肉としか受け取りようのない「教師のバトン」という、美しすぎるほどセンチメンタルな表現を文科省の官僚は用いてしまった・・・この人たちの究極的とも言って良いほどの現場に対する理解の無さ、鈍感さがSNS上での大炎上を招いた主な原因であったはずである。当然の帰結として現在、全国的に教師のなり手が不足してしまい、いよいよ学校教育の危機が深まってきている。もはや「教師のバトン」は「恐怖のバトン」と言い換えるべきなのだ。
そんなことにすら今の今まで気付くことのできない、学校現場に恐ろしく無知な官僚や政治家が厚かましくも学校教育行政を動かしているのだから、学校現場が萎える一方となるのも致し方あるまい・・・などと思わず毒づいてしまうほどに学校現場のお上に対する積年の恨みが溜まりに溜まっているのが現在の学校教師達の内情ではないのか。
もちろん文科省の官僚にも言い分はあるだろう。文科省に限らず、官僚の多くが安月給で過労死ラインを遙かに超える重労働を常時強いられているという。つまりお互いの職場が見事にブラック化しているのだから、実はお互いにダメダメな政治の被害者でもあり、鬱憤をぶつけ合っている場合ではないのだ。官僚も教師も、同じ公務員として分断と対立を乗り越え、今こそお互いに連携し、自分たちの労働環境の劣悪さを世間にもっとアピールして政治改革と自分たちの環境改善に持ち込んでいくのが事の本筋であろう。
※参考動画
・【搾取】「志を持って仕事をしてる」霞が関のブラックな実態は?公務員の働き方改革を元官僚が
提案 2022/08/12 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 16:06
・【学校の先生】平均残業月106時間… "ブラックな"労働環境の実態と改善策 福岡 NNNセレク
ション 2022/10/17 日テレNEWS 10:37
・公立校教員の採用試験、数カ月前倒しを検討 成り手不足が深刻
毎日新聞 2022/10/19 20:15
こんな小手先の改善では教師のなり手不足の解消など不可能。教員不足への対応があまりにもその
場しのぎの「泥縄式」。中には教員免許状も不要とする採用まで登場してきた。まるで教職の大安
売り、たたき売りのような状況が各都道府県で一斉に始まったかのようだ。こんな対応で教師の社
会的地位は向上するわけもなく、むしろ不祥事の多発を招くに違いない。そしてその尻ぬぐいはま
たもや現場の教師に丸投げされるだろう。しかしパンドラの箱は開けられてしまった。この悪循環
を誰がいつ、どのようにして止められるのか…絶望感だけが募ってくる。もはや学校のメルトダウ
ンは近いのか…
と思いつつも、「どうせお上はきれい事を並べては自分たちの手柄稼ぎのためにこれからも次から次へと現場の仕事を増やすつもりであろう。これまで通りに学校で生じた問題の責任も教師の資質の問題としてひたすら下々へ押しつけるだけであるに違いない」・・・などとついついひねくれた愚痴ばかり並べてしまう・・・この官僚達に対する根深い不信感とひがみ根性はもちろん健康的でも建設的でもない。それにわざわざお上から言われるまでもなく「教師のバトン」自体はしっかりと次世代へつないでいかなければならぬ教師自身の大切な使命であることに異論は無い。
バトンをつないでいくためにはまずもって教師のゆとりを回復することが最優先されるべきであるのは現状からして当然である。そのための制度的見直しは大いに必要だ。しかし制度面の見直しに関しては現場の教師が出来ることは極めて限られている。せいぜいSNS上で学校の実情を訴えるべく、「先生、死ぬかも」といった苦痛に満ちたうめき声を上げるくらいしか出来ることはないのである。ただし折角勇気を絞り出して教師が「死ぬかも」とまでつぶやいたにも関わらず、文科省は一切聞く耳を持たないまま、例の「教師のバトン」の炎上騒ぎを引き起こしているのだから教師側としてはもう、どうしても憤懣やる方ないのだ。
が、何はともあれ、何時まで愚痴っていても仕方あるまい。今、自分たちが出来ることを考えていくしかない。現場の教師に今すぐ必要とされていることで退職した我々でも今すぐ支援出来ることとは何だろう。それはたとえば我々退職教師が退職する事でようやく得られた特権たる時間的余裕を活かして自分なりに自信を持ってオススメできる授業ネタを探し出し、気前よく惜しみなくネット上に公開していくことなのではないか。とりわけまだ慣れない授業で悪戦苦闘中の若手教師、あるいは転勤早々初めての科目担当に戸惑う教師の皆様に我々の発掘したネタを授業作りの参考として提供することではないか。
今やネットの発達は誰もが彼らを簡単に支援できる絶好の環境を作り出してくれている。私達は感謝すべき事に煩瑣でやたらに時間と労力と経費のかかる出版という遠回しの手順を踏まなくとも、そして邪魔くさい文科省の検定などを通さずとも、広く、手早く教材や授業のネタを新鮮な内に発信できる素晴らしい時代を迎えているのだ。これからは大勢の方が今すぐにでも利用可能なネタを直ちにネット配信することによって現職教師の授業準備の負担を大幅に軽減していくべきである。時間に恵まれた退職教師に残された役割は当面の間、そうしたことに尽きると私は考えている。
もちろん、政治に関する話題などに関しては中立性に十分留意する必要があることは言うまでもないし、事実誤認があってもなるまい。当然、それなりの慎重な姿勢がネタの選択には求められる。また従来のような時間と手間暇をかけた教材や出版物を主な典拠とするネタも必要であり続ける。しかし従来のネタだけでは未来を生きる若者相手の公民科の授業として絶対的に必要とされる同時代性、先見性、速報性に欠けてしまうだろう。私達が相手としている青年の関心は専ら今の社会と近い将来に向けられている。彼らに最も必要なのは「現代」社会の知識に基づいた近い将来への備えである。すなわち賢い消費者、労働者として経済社会に参加し、賢明な主権者として政治に参加していくための意欲と能力の基礎を彼らが身につけられるか否か、教師がどのようにしてそれを支援していけるのか・・・そうしたことこそが、今こそ真摯に問われていると考える。
※参考動画
・このままで大丈夫か?チャットGPT時代の学校教育とは~教室の不都合な真実を“禁断の書”『冒険
の書』で読む~【豊島晋作のテレ東経済ニュースアカデミー】(2023年4月5日)
テレ東BIZ 2023/04/05 1:00:21
孫氏の指摘する「基礎を重視せよ、は本当か?」は特に非常に重要な観点だと思う。
・【暗記】詰め込み型の教育は必要?ChatGPTどう学びに生かす?生成AIで個別最適な指導が実現
する?|ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/06/16 15:10
※参考記事
・教諭ら、現実の政治課題は敬遠 高校「公共」必修で主権者教育どう進める?
中國新聞 2021年.11/30(火) 9:00
・「公共の授業で高校生に伝えたいこと」若手公民科教員3人が語る
教育図書NEWS 2022.4.15
・「探求」の指導 高校教員の5割が「生徒の質問に答える時間や人脈ない」
media ビジネス ONLINE 2022/08/26 05:35
・【教育現場からの警告】“思ったことはなるべく言わないでおこう”が癖になった人たちの末路
DIAMOND Online 星 友啓 2022/09/23 06:00
右にならえの均質的な教育を受ける中で、「なるべく感情をコントロールしよう」「思ったことは
あまり言わない」「こうしたほうが都合がいい」というトレーニングをされすぎてしまう事の弊害
とIT化への対応や多様な価値観に触れる機会を数多く用意していく必要が説かれている。
・名門・灘中が取り組む社会問題の「探究」授業 政策提言を目指す生徒の「心に火をつける」最前線
の大人たち 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2022/10/30 14:00
政策提言を最終目標とする探究授業こそ、十分な時間をかけて建設的な意見をまとめ上げる討論を
軸とした社会科授業の理想であろう。
・愛国」とは何か 監督対談「教育と愛国」斉加尚代×「記憶の戦争」イギル・ボラ
AERA.dot 2022/09/20 11:56
・JCJ大賞受賞「教育と愛国」の監督がなぜ「ベルばら」を語るのかー「お前たちの心まで服従させ
ることはできない。心は自由だからだ!」 集英社オンライン 2022/09/24 10:01
・文科省が「図書館の自由」揺るがす依頼文 「拉致問題の本充実を」
朝日新聞社 2022/11/13 16:41
文科省の官僚の仕事が現場の感性から完全に遊離した、不遜なまでに「上から目線」の一方的介入
に陥っている・・・そんな傾向がこの図書館への依頼文にも表れていよう。
・前川喜平×おおたとしまさ 学習指導要領で教育改革? 文部官僚の「思い上がり」 不登校対談・短
期連載③ 現代ビジネス おおたとしまさ 2022/11/15 06:00
変化のスピードが加速する一方の慌ただしい現代。話題となっているような高度情報化社会の進展、AIや脳科学の発展といった、日々更新されていく新鮮なネタを社会科に限らず、どの教科でも授業で扱う必要性は年々、高まってきている。
旧態依然の検定教科書だけに頼っていてはもはや未来を生きる生徒達の進路指導すら覚束ない事は既に誰しも否定できない現実である。AI搭載のロボットが普及することで一体、どのような変化が将来の職場に訪れるのか・・・こうしたことに何の予備知識もないままでは進路指導を担う高校教師として、すなわち生徒達の将来に深く関わる任務を持つ大人の一人として、若者の前に立つ資格そのものまで厳しく問われてくるに違いない。私のような老いぼれの身ではあっても若者を相手にする仕事ならば誰であれ、教科を超えて現代社会と未来の行く末を問い続ける姿勢だけは保っていかなければならないのである。
年齢、教科、科目を問わず、私と同じ主旨の思いを持つ教師は全国に大勢いらっしゃるに違いない。是非、ブラック化する一方の学校現場で笑顔を失いかけ、疲弊し切った今の教師達に少しでも心のゆとりを持っていただくためにも、皆さんの持ちネタを各自の方法で遠慮せず、ネット上に発信していただければ幸いである。そしてできればブログのような、誰もが簡単に閲覧できる形が良いのでは・・・などと個人的には思い、コンピュータに疎い身でありながら私自身も敢えてブログを開設した次第である。
このブログがほんのわずかでも授業に悩む若手教師のお役に立てることが出来れば幸いに思う。
※参考記事
・キーワードから読み解く「教育の新潮流」Forbes JAPAN | magazine の意見 2023.7.19
※参考文献
・「2040年の未来予測」成毛眞 日経BP 2021
・「2030年:すべてが加速する世界に備えよ」P.H.ディアマンデス、S.コトラー
NEWS PICKS 2020
・「シン・ニホン」安宅和人 NEWS PICKS 2020
・「2025年を制覇する破壊的企業」山本康正 SB新書 2020