その3.沖縄戦~続学校とマスコミ~
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
…恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ
『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」(1940年)より
・国民学校での教育:「皇国民の錬成」
学校や軍隊から繰り返し「生きて虜囚の辱めを受けず(戦陣訓)」と教えられ、政府から「鬼畜米英」、「滅私奉公」といったスローガンに踊らされてきた日本人。そうした過去への反省は今、しっかりと活かされているのだろうか?
◎戦争証言2019 映像 2 戦時下の国民学校
滋賀県平和祈念館 2021/05/29 12:40
国民学校をテーマとした動画自体、極めて数が少ないのはなぜだろう?日本の学校教育は本当に戦時中の教育を反省した上につくられたのだろうか?これは非常に貴重な動画であり、必見。
なお滋賀県平和祈念館の動画は他にもあり、非常に優れた内容となっているので以下、オススメ動画をいくつか紹介しておく。
「戦争証言2014 映像 1 戦場の少年 戦時下の子ども達 2021/05/28 24:25」、「戦争証言2018映像 1 狙われた軍需工場 2021/05/29 20:24」、「戦争証言2018 映像 3 少女たちの目にうつる戦争 2021/05/29 21:58」、「戦争証言2019 映像 3 勤労動員 信楽焼の手榴弾 2021/05/29 13:10」「戦争証言2019 映像 4 戦場に向かった少年兵 2021/05/29 13:42」、「戦争証言2016 映像 1 徴兵~市民の戦争 出征から復員~2021/05/29 24:50(後半は沖縄戦で戦った元日本兵の証言)」、「戦争証言2014 映像 2 特攻 死を命ぜられた青春 2021/05/28 21:15(特攻による戦死者は沖縄戦に集中している)」、「第32回企画展示「戦争と女学生」解説動画2:学校生活にしのびよる戦争2023/03/29 4:46」、「同解説動画3:勉強よりも増産 2023/04/20 6:15」、「同解説動画4 2023/06/03 6:08」
いずれもさほど悲惨な映像やエピソードがあるわけではないが、淡々として語られる中に戦争の過酷さ、無残さへの想像力をかき立てられる描写、証言があってどれも素晴らしい作品。史料価値の高い場面も多くあるのでスクリーンショットすれば授業のプリント資料などにも活用できるだろう。
〇積徳学徒隊 証言1 厳しい軍隊教育
沖縄県 沖縄戦継承事業チャンネル 2016/03/24 3:03
◎映画「教育と愛国」が示すもの 「政治の道具」迫る危機 ディレクター・斉加尚
代さん 毎日新聞 2022/04/13 5:44
○映画『教育と愛国』予告編
シネマトゥデイ 2022/04/20 2:16
○杉田水脈議員、教育勅語を礼賛 「なに一つおかしくない」
共同通信 によるストーリー 2024.2.19
○幼稚園の朝礼で君が代、教育勅語、(私立塚本幼稚園:大阪市)
2011/10/19 小坂英二 14:14
園長は籠池氏で森友問題の渦中にある人物。安倍元首相夫妻との関係が問われ、有罪が確定している。
○【教育勅語】日本教育の根本。一体何が悪いのか?|教育勅語に書かれている12の
ポイントを解説します 2020/10/22 津田紘彰『100年先の日本人へ』 9:16
教育勅語をどう評価すべきか、討論のたたき台に出来る。批判的に取り上げられることの多い教育勅語であるが、その意義を見直そうとする議員やyoutubeの動画は少なくない。それらをどう受け取るべきか、原典を確認しながら生徒達の意見を募りたい。アメリカの占領政策の一環として確かに戦後の教育政策もまた「押しつけ」の側面があった事は事実として捉えるべきであることは間違いない。問題は「教育勅語」の現時点の意義の有無にある。日本国憲法下で「神武以来の建国の精神」をどう評価するのか、辺りがポイントの一つ。とりわけ「勅語」という形式が国民主権の原則に抵触しかねない点をどう考えるかが問われる。
○【竹田学校】歴史・明治時代編⑨~修身道徳の根本規範『教育勅語』①~|竹田恒
泰チャンネル2 2020/05/30 22:59
○【竹田学校】歴史・明治時代編⑩~修身道徳の根本規範『教育勅語』②~|竹田恒
泰チャンネル2020/05/31 20:21
右寄りの学者として名高い竹田氏の講義は比較的、分かりやすく、おだやかな口調で聴き取りやすい。討論のたたき台として生徒に視聴させても良いだろう。ただし時間を多く取られてしまうので教師側の予備知識の一つとして視聴しておく方を奨める。議論の多い「一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の解釈は本当にこれで良いのかが問われる。井上毅や明治天皇らの思惑とは別に、実際、戦時中の教育で教育勅語がどのように利用されたのか、敢えて触れない竹田氏の説明はかなり公平を欠くかもしれない。
○自民・杉田水脈氏が排外的投稿 教育勅語礼賛巡る批判に
共同通信 によるストーリー 2024.4.24
安倍政治がどのような歴史観をバックにしていたかが、よく分かる。
◎【逆説の日本史】西園寺が阻もうとした日本的朱子学がもたらす「思想的潮流」
NEWSポストセブン の意見 2022.12.30
儒学、とりわけ朱子学の立場に対立する老荘思想から教育勅語の危険性を説いている、非常に興味深い論点。乱世の時代を背景に忠孝を説く儒学、とりわけ朱子学の精神は戦乱を招き寄せる危険性を孕んでいるという井沢氏の指摘には説得力がある。上記の竹田氏の論法と対比させて考えたい。
〇戦前の教育理念は、果たして否定されたのか? 「曖昧」なまま生き延びた教育勅語
現代ビジネス 小野 雅章 によるストーリー 2023.4.29
◎「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」とみなす人々の“奇っ怪なロジック”を内田
樹が暴く 文春オンライン 内田 樹 によるストーリー 2023.9.23
安易に「自虐史観」というレッテルを貼って学会での定説を覆そうとする歴史認識
のあり方がネトウヨ界隈ではびこる風潮を批判的に客観視するためのロジックが明確に説かれている。いい加減なレッテルを張って分断を招く偏った見方を是正し、様々な過去の事象に対して歴史的蓋然性の高さから適正な歴史的評価、判断を加えるべきであることは間違いないだろう。
◎「反日的だ」「でたらめだ」と抗議も…“負の歴史”記す碑・説明板が次々撤去 “2つ
の正義”の板挟みになる自治体の苦悩【報道特集】
TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.2.10
この動きはかつて「集団自決」問題でも表面化したように、たちまち沖縄戦での日本兵による残虐行為を「反日的だ」「でたらめだ」と抗議する動きに繋がってくるだろう。そもそも地方自治体に難易度の高い歴史的判断を丸投げするような、無責任極まる現状を引き起こしてきたのは日本政府そのもの。とりわけ安倍政権下に勢いを得たネトウヨの主張が一定の広がりを持ち始め、一種の「住民」運動となって自治体に圧力をかけ始めているとするならば、これは政府の責任として対応すべき問題。
「自虐史観」という一言で自国の負の歴史を闇雲に抹消せんとする自国中心主義的運動の起点は明らかに日本政府にある。ならばこうした出来事に対しては個々の自治体の対応に任せず、責任ある政府が国家としての統一見解を示すなど、明確な判断を内外に表明すべきだろう。もちろん、その見解次第では当然、外交問題に発展するだろうが、少なくとも地方自治体を悩ましている現状のあり方は不当であり、政府として無責任すぎるだろう。これが出来ないようであるならば歴史教科書の検定を文科省が行う資格はあるまい。
・バイブルと化した「教育勅語」(1890年)
教育勅語発布の翌年(1891)、単なる休日であった祝祭日に教職員、児童・生徒を登校させて御真影への拝礼、教育勅語の奉読、祝祭日の意義についての校長訓話、式歌斉唱(「君が代」・・・)などを挙行することが決定し、1892年より各学校で式典が実施されるようになる。
学校で式典が行われる祝祭日は大正以降、四大節が基本。大節(元旦)、紀元節(2月11日で初代天皇神武が即位した日とされ、現在は建国記念の日)、天長節(天皇誕生日で明治天皇は11月3日で現在は文化の日、大正天皇は8月31日、昭和天皇は4月29日で現在は昭和の日、平成天皇は12月23日、現天皇は2月2月23日)、明治節(明治天皇の誕生日で11月3日)の四日が原則。なお大正天皇の誕生日は夏休み中で暑かったため、二ヶ月ずらして10月31日を天長節祝日と定めていた。
御真影は天皇・皇后の写真のように思われていたが明治天皇の場合は肖像画の写真及びその複写であった。1882年から各学校に下賜され、御神体同様と見なされて丁重に扱われていた。この御真影に1890年から教育勅語が加わり、二つを警備するのを主目的で以後、教員が毎日、学校で宿日直にあたるようになった。
治安維持法体制下の1930年代に入ると、教育勅語は国民教育の思想的基礎として神聖化された。天長節や紀元節などには全校生徒の前で校長が必ず奉読することとされた。奉読する際には白手袋をして恭しく捧げ持ち、読み間違えや言いよどむことは許されなかったため、校長もまた極度の緊張を強いられていたらしい。なお紀元節は2月11日(現在、建国記念の日)であり、講堂内は冷え込んでいたため、奉読中、最敬礼を余儀なくされた児童生徒の多くはハナを垂らすまいとして体育館・講堂のアチコチで鼻をすする音が絶えなかったという。
○戦後70年の地平から「3月24日負けるはずがない/戦後70年目の情景
は?」RBC 2015/05/06
〇沖縄戦地巡礼 - OKINAWA REQUIEM -
らのたまちゃんねる。 2023/05/22 26:00
沖縄の代表的戦跡をざっと確認するならこの動画がコンパクトで便利。
〇「辛くても見ないといけない」きれいじゃない現実を伝える 舞台朗読『沖縄可否の
会』の取り組み 【琉球放送】RBC NEWS 2023/06/26 7:24
ウクライナ侵攻もあって戦争の醜さから目をそらさない平和教育を続けていこうとする動きをどう評価するのか、問いたい。
2023.2.24撮影(浦添ようどれ館にて)
◎『第二次世界大戦』について米国の生徒が習う事
BrooklynTokyo 2022.11.10 9:20
原爆や日本の敗戦にいたるアメリカの教科書の説明には突っ込みどころも少なくない。日本の教科書の記述と比較してそれぞれの記述の問題点を挙げさせつつ討論の材料にしても良いだろう。日系人の強制収容問題はアメリカが国家として正式に謝罪し、賠償金を払っており、アメリカの教科書でもそのことに関してきちんとした記述になっている事は評価できる。とはいえ原爆投下の是非は問われず、敗戦にいたる経緯もかなりぼかされているようである。
・忠魂碑と奉安殿
〇【昔の沖縄】昭和初期、戦争前、軍国主義思潮の中での教育環境の中での学校の様
子 OKINAWA a la carte 2023/09/13 10:55
美里の奉安殿が出てくる前半までは視聴させたいが、後半は不要。
〇【沖縄戦】読谷村の忠魂碑と飛行機のシエルター掩体壕(えんたいごう)
街歩きokinawa 2023/12/18 10:24
〇沖縄戦 想いをつなぐ 中学生向け
平和ちゃんねる@沖縄市 2023/02/13 18:37
当時の沖縄における軍国主義的学校教育を学べる動画は極めて少ない。ここでは特に奉安殿や忠魂碑が果たした役割に注目したい。8:13から11:59にかけて視聴。
現在、沖縄市登川の美さと児童園内にかつて美里尋常高等学校内に祀られていた忠霊塔(昭和12年=1937)と奉安殿(市指定文化財)が残されているらしい。
この配信では「沖縄はアメリカの軍政下に置かれていたせいで、忠魂碑の破壊などを命じたGHQの神道令などからは免れたため、沖縄には戦火で失われた以外は忠魂碑が残された。しかし本土ではその多くが破壊されてしまった・・・と解説板に説明されている」としているが、これは完全に間違った認識と言って良いだろう。まず美さと児童園内の忠魂碑は高さ5mほどあり、その形からは「忠霊塔」の名称の方がふさわしい。「~碑」と表現されている場合、普通は薄い板状の石に文字などが刻まれている形状を指す。美さと児童園のものは見た限りでは先のとがった円筒形であり、形状的には「石塔」に分類されると考えられる。
また忠魂碑は千葉県の場合、ほとんど廃棄されておらず、実際にはその多くが学校の敷地から撤去されただけである。おそらく忠魂碑が戦死者の慰霊碑ないしは墓石という意味合いを持っていたため、当時の住人達からすれば容易には廃棄できなかったのだろう。校内から撤去後、その多くは近くの神社やお寺、墓地、公民館、小学校の門前、幼稚園、道路脇などに移設されて現存している。また元々、学校外に祀られていた忠魂碑も多かったと思われる。
※「群馬県渋川市の「忠霊塔・忠魂碑」を見学してきた件 2020/12/18 tamaotoko3 8:08」では
忠霊塔と忠魂碑共に群馬県にも数多く残存している事が指摘されている。
「千葉県の忠魂碑」(千葉県護国神社1998年)によると忠霊塔も合わせて県内では781基が確認されているし、市原市内の51基だけでもおそらく沖縄県内の総数を上回るであろう。以下、同書に基づく市原市内の忠魂碑の状況を紹介しておく。総数50基(本書では51基だが内1基は完全に個人の墓であり、除外)を分類。以下は本書のデータをもとにカッパが個人的に分類したもの。
設置場所に関しては神社が総数の3割にも満たず(28%)、学校や保育所に多い(38%)点は注目すべきであろう。何れにせよ公共性の高いところに設置される傾向が見られる。またGHQによって学校から撤去されたとしても、それは一時的であったかもしれない。そもそも忠魂碑建立が全盛期を迎えたのはサンフランシスコ講和条約が発効する1952年以降の10年間のことであり、戦前ではない。したがってGHQの指令によって多少は撤去されたとしても1952年以降は日本の独立回復を機に校内に戻されたか、新たに建立されていると考えられる。解説板の説明はこうしたカッパの分析とは矛盾した内容となっているだろう。
なお市原市内だけのデータでは数の上で少なすぎるので改めて設置時代別の基数を県内の忠魂碑総数の内、年代不明なもの42基を除いた739基からカッパがカウントしてみた(下表)。
また忠魂碑の揮毫者別のデータも参考までに紹介しておこう。
揮毫者人気ランキングトップ5(千葉県内)
第1位:乃木希典(日露戦争時の陸軍大将) 46基
第2位:大山巌( 同上 ) 31基
第3位:鈴木孝雄(陸軍大将、兄は海軍の貫太郎。靖国神社宮司) 28基
第4位:川村景明(陸軍大将) 24基
第5位:筑波藤麿(元皇族、靖国神社宮司) 23基
なお東郷平八郎は9基、戦後の政治家では柴田等千葉県知事の20基が目立つほか、岸信介の7基も注目される。基本的には忠魂碑設置を中心的に進めていた陸軍と靖国神社宮司、及び設置当時の政治家が目立つ。
ところで沖縄に奉安殿が残されているのは確かに珍しいと思える。カッパは市原市内において鶴峯八幡の一箇所しか奉安殿を確認できていない。これは個人的推論に過ぎないが、慰霊碑というイメージもあった忠魂碑とは全く違う性格の奉安殿はその多くがGHQの指令に従って解体の上、学校から撤去された後に廃棄されてしまったものと思われる。「学校ことはじめ事典」(佐藤前掲書)によると全国には神社の社殿を模した奉安殿の一部が近くの神社内に移設されたケースも有るそうだが、個人的には市原市内でそうしたケースを確認できていない。
※「【沖縄の史跡】謝花国民学校の奉安殿【ゆっくり史跡!】 2021/05/05 ゆっくりポチ太郎2:
05」によると本部町、沖縄市、石垣市にも奉安殿が残されているらしい。
木造校舎ばかりであった時代、火災の恐れから御真影と教育勅語の安泰を図るべく、最初に鉄筋コンクリート製の奉安殿が設けられるようになったのは明治末年頃とされる。当初は石造りや土蔵造りもあったらしい。天皇制ファシズムが進展した昭和初期に入ると鉄筋コンクリート製の奉安殿が全国へ普及していった。
1891年11月17日、文部省は、下賜された御真影と教育勅語謄本とを校内の一定の場所に「最モ尊重ニ奉置」するよう訓令ししている(⇒奉安庫・奉安殿の設置が始まる)。しかし1898年(明治31年)に長野県の町立上田尋常高等小学校(現在の上田市立清明小学校)で失火により明治天皇の御真影を焼いてしまい、当時の校長・久米由太郎(小説家久米正雄の父)が責任を負って割腹自殺するという事件が起きてしまった。また、1933年(昭和8年)、沖縄県南城市の第一大里小学校(現在の大里北小学校)が火災に遭い、御真影が焼けてしまった際にも当時の校長が割腹自殺をしている。⇒美談化
◎むかしむかしこの島で/沖縄テレビ(2005年)
OTV沖縄テレビ 2023/06/16 48:14
5:22~7:33の間だけ視聴。
○「【首里城さんぽ】誰も知らない歓会門の手前の「忠魂碑」ちゅうこんひ・って何
んだ!沖縄市登川の忠魂碑・も見に行く・沖縄戦。沖縄の歴史」
街歩き沖縄(2021.9.22)
首里城歓会門近くの忠魂碑残骸(2023年2月撮影)
〇【昔の沖縄】明治・大正・昭和初期の首里の風景
OKINAWA a la carte 2023/09/16 2:25~2:34
動画開始から2分25秒ほどすると首里城歓会門近くの忠魂碑の写真が確認できる。
戦災に遭う前はかなり立派で碑というよりは塔の趣がある。写真から見て現在のも
のは基礎部分のごく一部が残骸として残されたものと思われる。
個人的には沖縄における軍国主義的教育の貴重な遺跡として、また戦災の凄まじ
さを物語る遺品として、戦前の古写真などの解説を加えた上で周囲を整地し、今よ
りも目立つ形にしておく方が良いと考えるが、いかがか。
なお忠魂碑の古写真は著作権を考慮してここでは掲載しない。気になる方はこの
動画を視聴していただきたい。
※参考文献
当時の学校教育については山中恒氏(1931~)の「ボクラ少国民シリーズ」(辺境社 全5巻、補巻
1、別冊1 1974~1982)が詳しい。
※参考記事
◎「日本人のゴミ拾いは世界一」報道から“日本の衰退”を感じてしまうワケ
ダイアモンドオンライン 窪田順生 の意見 2022.12.1
ワールドカップで話題となった日本人サポーターによるスタジアムでのゴミ拾いに関する報道に対する興味深い意見である。生徒からの意見が噴出するテーマとなり得るので是非、教材としてあるいは討論のテーマとして取り上げてみたい。いわゆる「美談」の裏側にはどんな意図が潜んでいたのか・・・過去を振り返る事は必要だろう。
・方言札と同化政策(⇒皇民化教育)
※「琉球学」(松島泰勝編 明石書店 2021)より
1879年のいわゆる「琉球処分」(本来は琉球王国の滅亡であり、「琉球併合」ないしは「琉球併呑」と呼ぶべきか)以降、沖縄の人々への同化政策が進んでいく。特に日清・日露戦争を境にその動きは加速していった。沖縄では小学校の就学率が1891年には14.9%に過ぎなかったが、1906年には90.1%に達している。1903年頃から学校では「方言札」の使用が始まり、学校で方言を用いた生徒に罰則として札が渡され、数が多くなると進級できなくなる場合もあったらしい。札を減らすには自分以外に方言を使った生徒を見つけて自分の札をその生徒に渡す必要があった。生徒同士の相互監視システムによって方言を撲滅し、標準語を徹底させようとしたのである。この札は戦後、1960年代まで使われていたともいう。
1903年には大阪で開催された第5回内国勧業博覧会で「学術人類館」にてアイヌ民族、台湾先住民、朝鮮人、中国人、インド人、アフリカ人、琉球人が民族衣装を着せられて「展示」される「人類館事件」が起きる。まさに「人間動物園」として沖縄の人が好奇の目にさらされたワケであるが、当然、朝鮮や中国から抗議され、沖縄でも猛反発されている。しかし沖縄への差別的な眼差しは改善されることなく、沖縄では同化する事で差別的待遇から脱出しようとする動きまで生み出してしまった。
そして沖縄戦では標準語を話せないとスパイとして日本軍の守備隊から処刑された住民までいたという。
2009年、ユネスコは六つの琉球言語(奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語)を絶滅の危機に瀕した危機言語であると発表し、その保護を日本に求めた。ユネスコでは六つの言語を日本語に従属するただの方言としてではなく、独立した言語として保護すべきことを表明したと考えられよう。沖縄独自の言葉を奪うことは沖縄文化の独自性を否定する事にもつながるだろう。日本は古代から言霊(ことだま)信仰を持っている。その土地の言葉はその土地の精神文化を物語れる貴重な無形文化遺産である。今一度、「しまクトゥバ」で唄うことに拘り続けたミュージシャンに注目してみたい。
参考記事
◎「標本室は目の開けられないくらい…」731部隊の実態、元少年兵の目に焼きつい
た光景【報道特集】TBS NEWS DIG_Microsoft の意見 2024.4.20
731部隊に関してはかつてNHKスペシャルでソ連(現ロシア)での裁判の記録に基づく生体実験の様子などが明らかにされている。しかし日本政府としてこの戦争犯罪についてどのような対応をとってきたのか、に関しては相変わらず強い疑念を持たざるをえない。そもそもこの問題は東京裁判で裁かれておらず、部隊員の多くは戦後も活躍し続けている。そして日本政府は731部隊の存在そのものを戦後一貫して否定してきた。さらにはアメリカ側に実験や研究のデータを渡すことを交換条件にして石井四郎らは罪を免れることが出来た、という主張がある。
A級戦犯容疑者たちの一部がまともに裁かれることなく次々と釈放され、事実としてその一部は戦後も大活躍している。つまり731部隊以外にも戦後日本の戦争犯罪への責任の取り方には大きな疑念が持たれてきた。そのことへの言及が日本史の教科書などでは極めて不十分であったが、近年ではそうした問題自体がそもそも存在しておらず、中国や韓国、左翼などの世論操作などによって大袈裟に騒ぎ立てているだけに過ぎない、行き過ぎた自虐史観である…といった陰謀論的論調がネット上に目立ってきている。また戦争体験者の激減が陰謀論を蔓延らせる一因になっているのかもしれない。おそらく基地問題や沖縄戦へのナイチャーの概して冷たい反応もそうした潮流に乗っかってのものだろう。
こうした動きに対して歴史学者たちの動きは極めて鈍く、歴史の改ざんに表立って反発する人はきわめて限られてきたように感じている。日本の戦後教育が「自虐史観」に支配されてきた…との認識がはたして歴史的事実なのかどうか、ぜひ、生徒たち自身に検証させてみたい。
○日本、「加害の歴史」美化、「慰安婦は報酬受けて働いた」と歪曲…教科書が追加
合格(1)中央日報 2024.4.20
いかにも韓国らしい記述ではあるが、まったく間違った認識かというとそうでもあるまい。妥当な認識とはどういうものなのか、知識に欠けたままでは決して分からない。日本国憲法の制定過程、慰安婦問題、A級戦犯容疑者の釈放問題、731部隊問題、沖縄での集団自決問題…どれか的を一つに絞って詳しい事実確認を試みる調べ学習の時間が欲しい。どの問題に絞るかは多数決で決めて良いだろう。
○異例の検定「未了」教科書が合格 竹田恒泰氏執筆の令和書籍、情報漏洩疑いも〝潔
白〟確認 産経新聞 2024.4.22
日本、「加害の歴史」美化…の記事に登場する教科書は竹田氏らが執筆している。元来、今の文科省に政治的中立性など期待する方がおかしいのであって、今回の件も愛国心の涵養を重視した安倍政治の流れから生じたものであるのは間違いあるまい。個人的には愛国心自体を必ずしも否定はしないが、自国の歴史を美化するあまり、加害の歴史的事実を歪曲するのはいかがか?
ここでも敗戦後の戦争責任の取り方がどうだったのかが問われるだろう。やはり日本史や政治の学習において、敗戦に至る経緯と戦後政治の成り立ちについては教科書以上に詳細な内容の学習が必要不可欠ではないのか。ここの学習がこれまで不十分だったことが日本の戦争責任の問題への追及を甘くし、過去を歪曲して自国の正当化ばかりを狙う教科書の登場を招いてしまったように思うのだが、いかがか?
参考動画
○郷土防衛隊で日本兵に「てめぇーの島はてめぇーで守れ」と罵倒された(仲松邦雄
さん)沖縄県公式チャンネル 2013/12/16
沖縄戦における日本兵と住民との間の意識の差を確認しておきたい。
○師範鉄血勤皇隊 証言4 全滅した下級生の特別編成隊
沖縄県沖縄戦継承事業チャンネル 2016/03/08
◎梯梧学徒隊 証言6 兵隊並みに斬り込みに出される
沖縄県沖縄戦継承事業チャンネル 2016/03/24 3:02
女子生徒までも切込に参加させる非情な日本軍の作戦。「一億玉砕」とはただの口先だけのスローガンではなかったことに戦慄。
…少年兵まで自爆攻撃!
老若男女を根こそぎ、戦争に動員する本土決戦の計画は1945年3月から本格化し、「国民義勇隊(→国民義勇戦闘隊)」や「学徒隊」の結成に繋がっていく。隊員は男の場合、15歳から60歳まで、女は17歳から40歳までとされた。総勢2800万人もの国民は竹槍以外何一つまともな武器を持たせされることなく、その多くが正規兵の作戦に利するべく、過酷を極める戦場の最前線に駆り立てられるという惨い計画であったという。しかも基本的には「自爆」、「特攻」という肉弾戦法で…まさにスローガン通り、「一億玉砕」をものともせぬ、無謀な計画が御前会議を経て進められていたのだ。
もちろん「特攻」は飛行機によるものだけではない。海上特攻兵器としてベニヤ板製のモーターボート「震洋」、特殊潜航艇の「海竜」、「蛟竜」、潜水兵による「伏龍」などがあった。正規兵もまた厳しい訓練を経ていずれ特攻作戦に投じられていく予定であった。
一方、国民義勇戦闘隊は対戦車特攻作戦を念頭にして斬り込み突撃など、余り訓練を必要としない、兵器も爆薬以外は不要の肉弾戦を強要されていた。また正規兵と同様に捕虜となる前に自決せよと言われ、戦地からの脱走は敵前逃亡として死刑にされるとも脅されていた。つまり沖縄戦で見られたような少年や女性を含む住民の半強制的戦地動員と悲惨な結末は本来、沖縄に限られたものではなく、日本国民全体を巻き込む予定だったことが「国民義勇戦闘隊と学徒隊~隠蔽された一億総特攻~」(斉藤利彦 朝日新聞出版 2021)で明らかにされている。
同書によるとカラフトでは憲兵隊が義勇隊には内緒で戦地から逃げ出し、取り残された住民の間に多くの犠牲者が出てしまったケースが紹介されている。日本軍は沖縄だけでなくカラフトでも日本国民を守ることを優先しなかった。あくまでも優先的に守るべきは皇国であり、天皇制であったのだ。その点では沖縄戦もまたサイパン島と同様に本土決戦のための「捨て石」どころか「一億総特攻の試金石」であったと言えるだろう。
いずれにせよ「護国の神」となすべく名誉の戦死を子供達に称揚した学校教育が背負うべき責任は極めて重いと言わざるを得ない。日本の戦後教育が本当にそうした反省をきちんと踏まえた上でスタートできたのか、そして今まできちんと歩んでこられたのか…今後とも徹底的に検証すべきだろう。
◎【歴史映像】戦争推進教育映画「戦ふ少国民」 昭和19年、電通制作
横浜西前国民学校(昭和19年=1944) 2017/08/14 15:18
必見。国民学校における「皇国民の錬成」とは何だったのかを知る上で極めて貴重な記録。
国民学校の目的は、国民学校令第一条の「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」という40字に要約されている。「皇国ノ道」とは、教育勅語に示された「国体の精華と臣民の守るべき道との全体」をさし、「端的にいえば皇運扶翼の道」と解したのである。すなわち国民学校では、「教育の全般にわたって皇国の道を修錬」させることを目ざしていた。なお、「初等普通教育」とは国民学校の内容を示し、「基礎的錬成」とは、教育の方法を示したものであるとした。児童生徒達もまた「天皇の赤子」であり、同じ皇国臣民として「皇運扶翼」の任に当たるべく「少国民」と呼ばれることになった。これは端的に言えば男子は将来、「醜(しこ)の御楯(みたて)」となって名誉の戦死を遂げ、「護国の神」となって靖国神社に祀られること、女子は「銃後の妻」となって多くの子を産み育て、いずれ「靖国の母(九段の母)」となることを理想とする教育であった。
こうした軍隊式錬成教育の先端を行く代表例が鈴木源輔を校長とする東金国民学校であった。彼は「軍隊式教育の真髄は、殉皇報国の態度を養うことであります。陛下のためならいつでも死ぬ覚悟で働くという国民を養成するのにあるのです。
…上御一人に絶対服従し、絶対奉仕の態度を養おうとするものであります。」(1942年)と語っている。鈴木は各教室に神棚を祀り、「戦陣訓学習」や「愛国訓練」を創案、実践していることで全国に名を馳せていた。学校を「兵営」、児童を「兵士」、学級を「小隊」、学年を「中隊」、自らを「教育師団長」と称して生徒や教師達への徹底した思想、情操監視システムを作りだし、猛烈なスパルタ教育によって日々、反戦思想、個人主義、自由主義の根絶を図っていたのである。
ところが敗戦後、鈴木は処罰されることもなく戦後も教育者、校長として活躍を続け、今度は民主主義教育の先頭を行く人物として全国に名を馳せることになる。また彼を日本一の錬成教育者として絶賛していた教育家の草場弘も戦後は掌を返したように民主主義教育を唱道していく。学校教育に於いては戦前と戦後とは掲げるスローガンこそ違えども、教育学者、教師共に人脈的にはほとんど断絶していなかったのである。
◎おばあちゃんがつないだ奇跡 Anlyが心に刻む言葉とは? 沖縄戦79年
琉球新報 2024/06/22 14:08
次々と戦争体験者が亡くなっていく中でのこれからの平和教育を考える上で大いに参考になる動画。
参考記事
〇中学校の昼食時間に、生徒が『君が代』を放送したことが物議を醸す そもそも昼食
時に音楽が流れていたか調べてみた
citrus 編集部 によるストーリー 2023.5.31
君が代問題はこうした一見、軽そうな話題から入る方が良いのかもしれない。学校では昼休みに軽々しくBGMのように放送するのは不謹慎だ、との観点から放送した生徒たちに指導したようだが、そうした学校の指導に対する賛否を問いたい。この件を不謹慎とするならば不謹慎とする理由をはっきりと生徒たちに説得できるような理屈で説明できるかどうかが、討論の大きなポイントとなるだろう。
◎「皇室タブー」小説、なぜ黙殺? 森達也さん「あまりにいびつ」
毎日新聞 2022/05/21 07:30
戦後日本がタブー視してきた天皇制に関する議論のあり方は「君が代」を歌う事を強制する一方で「君が代」の歌詞や成り立ち、意味を学校で教える事は事実上禁止されているという、国民主権を空洞化させるような歪んだ学校教育の現状にも反映されている。
◎【戦争】なぜ被害体験ばかり語り継いでしまったのか?
宮台真司の部屋 2022/10/26 7:12
日本の歴史教科書や朝日新聞、毎日新聞などの太平洋戦争における加害者としての日本の役割を強調する記述に対して「自虐史観」のレッテルを貼る傾向は特に1980年代以降、顕著になってきた。慰安婦問題や南京虐殺事件、関東大震災における朝鮮人虐殺事件などは大袈裟な脚色まみれのウソばかりである、というわけだ。その結果としてなのだろう。近年は特攻を悲劇的な美談にしたり、原爆や空襲の悲惨さといった日本の被害者としての側面を強調するような論調が目立ってきた。逆に日本の加害者としての側面に着目した報道は「偏向」、「自虐史観」、「売国的行為」と見なされて、ネトウヨによる猛烈な反発を受けるようになっている。都立大学構内での宮台氏襲撃事件(2022.11.29)も、こうした殺伐とした風潮が社会的背景にあるのだろう。
◎731部隊の「人体実験」証言、展示されず 市の施設、検討続く
朝日新聞社 によるストーリー 2023.8.18
長野県飯田市での731部隊関連の展示会に対して…熊谷邦千加教育長は取材に、パネルの内容について「教科書や裁判で公的に認められている表現がいいのではないか」との認識を示し、「様々な思想・信条の方がいらっしゃる。客観的で、必要最小限のものをできるだけ早く展示したい」と話した…と及び腰。長らく「731部隊」の存在すら否定してきた政権与党の意向に忖度した発言であろう。
731部隊による人体実験や細菌兵器の開発・実戦への適用に関しては日本だけではなく、アメリカによる隠蔽工作もあって、なかなか公然の事実とはなっていない。しかし旧ソ連時代に撮影された731部隊員への裁判における記録などがNHKで放映(2017)されるなどしたため、もはや、731部隊の存在自体は疑えまい。ただし人体実験などの証拠となる記録類のほとんどは現地(中国)や日本で廃棄され、廃棄されなかった記録類はアメリカ軍が隊員たちから没収の上、アメリカに持ち去られてしまったと思われる。現在もその多くがアメリカ国内で秘匿されていると考えて差し支えあるまい。したがってアメリカにある資料の公開が進まない限り、日本での展示会が「教科書や裁判で公的に認められている」ごくわずかな事実に限定されてしまうのは現状としては仕方あるまい。
問題とされるのは日本側の敗戦時における組織的な証拠隠滅の動きとアメリカ側の卑劣な日本側資料の隠匿行為の二点である。
・国策協力を促し挙国一致を目指した代表的なスローガン(年代順)
1940年「贅沢は敵だ」
1941年「生めよ殖やせよ国のため」「進め一億火の玉だ」
1942年「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「欲しがりません勝つまでは」
1943年「撃ちてし止まん」
1944年「鬼畜米英」「一億玉砕」「神州不滅」
⇒圧倒的な物量を誇るアメリカに対し、明らかに無謀な戦争であったが・・・
開戦直前の8月に陸軍の諜報担当岩畔大佐は綿密な調査データをもとに日米開戦の
無謀さを東条英機ら軍首脳に訴えていた。「アメリカの物的戦力表は、以下の日米の比率で明らかでありましょう。鋼鉄は1対20、石炭は1対10、石油1対500、電力は1対6、アルミ1対6、工業労働力1対5、飛行機生産力1対5、自動車生産力1対450であります」と数字をあげ「もし、日米が戦い、長期化したら勝算は全くありません」と付け加えた。だが大勢は、参謀本部での会合でも「日米開戦は避けがたい」というのが堂々と述べられほどで、岩畔が「勝算があるのか」と反問すると「もはや勝敗は問題ではない」という暴論がかえってきた。非戦論の多い海軍もやがて主戦派の抬頭となって不調に終わり、岩畔は天を仰いで嘆いたという。
何も知らずに軍部が開戦を主張していたわけではなかった。物資の不足は指導者達にとって誰の目にも明かだった。だからこそ日米開戦前から「贅沢は敵だ」とし、国民に節約を奨励する必要があったのだろう。不足するのは物資だけではなく、兵員と労働力も足らなくなる。やがて学生、さらには児童生徒まで勤労動員され、「生めよ殖やせよ・・・」と国策として子沢山が奨励されていくのである。
開戦前に備蓄していた石油は約2年分でしかなく、戦争が3年目に突入した1944年、既に日本には勝ち目が無かった。サイパン島陥落による本土空襲の本格化を前に大本営はほぼ万策尽きていたと言える。しかし戦争が終わったのはその1年後の1945年8月であった。なぜ無謀な戦争を続けてしまったのかが問われる。
Q.なぜ、当時の日本は勝ち目のない戦争を続けてしまったのだろう?
○【アフレコ】疎開先に紛れ込んだ非国民
【公式】大チャンネル 2022/08/06 1:56
さすがに授業で利用するには勇気が必要な動画であるが、当時の空気感と現在の空気感の違いをお笑いを通じて分かりやすく伝えてくれる点で有益。
○【アフレコ】赤紙をちゃんと断る非国民
【公式】大チャンネル 2022/07/11 2:07
これも毒がある動画なので取り扱いに注意が必要。
◎[NHKスペシャル] 日米開戦はなぜ避けられなかったのか | 新・ドキュメント太平
洋戦争 1941 開戦(前編) | NHK 2023/08/10 11:47
岩畔大佐の報告などを基に陸軍首脳は1941年3月18日の段階でアメリカとの戦争は勝ち目がなく、出来る限り対米戦回避を図ることが決していたはずなのに、なぜ、東条英機らは開戦に踏み切ったのか…
◎【特集】終戦76年 戦争は正しい道ー 13歳の僕はなぜそう信じたのか
中京テレビNEWS 2021/08/16 8:26
〇[NHKスペシャル] “大東亜共栄圏”占領下の人々の本音は 東南アジアで揺らぐ日本
の統治 | 新・ドキュメント太平洋戦争 1942 大日本帝国の分岐点(後編) | NHK 2023/08/07 13:33
「大東亜共栄圏」の美名のもとに何が行われていたのか、確認しておきたい。
参考記事
◎「我々は標語に支配された」戦時中の数多くの国策標語『欲しがりません勝つまで
は』...民衆巻き込んだ"国後援の標語公募" 毎日放送 2022/08/18
関連する動画も視聴できる。
この辺りの視聴覚資料は画像としてネット上に豊富に存在しているが、著作権を考慮してここでは掲載しない。可能な限りご自分でネット検索していただきたい。特に戦時中の子ども向け雑誌「幼年倶楽部」、「少国民の友」、「少年倶楽部」、「少女倶楽部」や「主婦の友」の表紙、国策協力の企業広告、国民学校の教科書、軍事教練の様子などはパワーポイントを用いてそれぞれよく精選した上で是非、視聴させたい資料である。
参考文献
・「帝国日本のプロパガンダ~「戦争熱を煽った宣伝と報道~」貴志俊彦 中公新書
2022
近代日本の戦争に関わるプロパガンダ政策を概観するのに便利。
・「大東亜共栄圏のクールジャパン~「協働」する文化工作~」大塚英志 集英社新
書 2022
下意上達、草の根ファシズムの観点も加えた、かなりマニアックな論考。
◎Momotaro's Sea Eagles 1943 B&W ⁄ 37 mins 2016/07/06 36:37
アメリカ人を鬼(「鬼畜米英」)、オアフ島を鬼ヶ島に見立て、子供達に馴染み深かった桃太郎の鬼退治の話を借りて太平洋戦争勃発、日米開戦の意義を子供に理解させようとしたプロパガンダ映画。ウィキペディアによると『桃太郎の海鷲』(ももたろうのうみわし)は、日本政府より国策アニメ映画製作の命を受け、1942年に藝術映画社で製作され、戦時下の1943年3月25日に公開されたアニメ映画。日本初の長編アニメ映画といわれることがある。全編、視聴させる必要は無い。
続編の『桃太郎 海の神兵』は、日本の海軍省より国策動画映画製作の命を受けて1944年に松竹動画研究所によって製作され、戦時下の1945年4月12日に公開された長編アニメ映画(白黒、74分)。
※「少年倶楽部(しょうねんくらぶ)」は、1914年(大正3年)に大日本雄弁会(現・講談社)が創刊
した少年月刊誌。「少国民の友」は1942年(昭和17年)2月の太平洋戦争による戦時統制下で創刊さ
れた。おもな執筆陣は新美南吉、横山隆一、長崎抜天、小松崎茂、蕗谷虹児、清水崑、山川惣治、與
田準一、北村小松、サトウハチロー、林芙美子、大原富枝、吉屋信子、井伏鱒二、下村湖人、壺井
栄、坪田譲治、大佛次郎、武者小路実篤、北川冬彦ほか。
作業!言論人、芸術家の戦時中における発言と戦後の動きについて調べてみよう。
明治以降、多神教の持つ寛容の精神を捨てて神道を天皇のみ「現人神」として一神教のように奉じてしまった学校教育のツケがもたらした悲劇の一つとして沖縄戦も捉えておくべきなのではないか。また周りの意向を「忖度」し「空気を読む」、同調圧力の強い日本社会の息苦しさが弱い立場の人々を崖っぷちに追い込んでしまった日本社会の怖さを警戒しておく必要もあるだろう。
「鬼畜米英」と叫ぶ日本に対してアメリカも負けてはいない。「リメンバー パールハーバー」の合い言葉の下に日本人を「Yellow Monkey(Dogとも)」と蔑んでは以下のようなプロパガンダを行っている。
作業!戦時中のアメリカにおける対日プロパガンダの画像を集めてみよう。
◎1942年のアニメ「スーパーマン」(youtube視聴) 8:52
○戦争中、アメリカは日本をどう感じてた? BrooklynTokyo 2022.1.2
13:40
出っ歯でメガネをかけた、強欲で残酷、嘘つきで卑怯者としての日本人に正義の味方スパーマンが鉄槌を下す展開。ディズニーもミッキーマウスやドナルドダックを登場させて、日本本土空襲を目指すアメリカ政府の政策に沿ったプロパガンダアニメを制作し、政府から経営上の利益を得ている。
◎ここが変だよ日本人『戦争で国のために命をかけること』
BrooklynTokyo 2021/12/09 31:51
日米の個人主義と集団主義について討論してみたい。
◎【制能権】あなたの意見って何だ?自由意思はある?脳をハックするハイブリット
戦争と情報社会 2022/05/19 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】
34:26
「智能化戦争」を仕掛けてくる中国への脅威が増してきた現在、「制脳権」という言葉が脚光を浴びてきている事の重大さに気付きたい。「洗脳」に弱い国民性を持つと考えられる日本国民にとってきちんと正対すべきテーマであろう。敗戦によって「マインドウォーズ」の恐怖を痛感したはずの日本人が戦後、どれだけその事を反省できているのかが、未だに問われている。SNSの普及にともなって生まれてきた「エコーチェンバー」「フィルターバブル」という新規な言葉の現代的意義に注目したい。視聴時間が長いので幾つかに区切りながら、その都度、丁寧に議論していく必要があるが、極めて重要な番組。
◎戦争はマスメディアが作り出す!?人々を洗脳する「戦争広告代理店」とは
原貫太国際協力師 2021/04/21 16:36
◎【知らないとダマされる】なぜ大衆は戦争に煽られてしまうのか?(前半)
2022/03/25 原貫太・フリーランス国際協力師 13:28
◎【戦争は嘘だらけ】プロパガンダはどう作られるのか?10個の法則を解説
2022/04/01 原貫太・フリーランス国際協力師 21:59
◎戦争で「広告代理店」が儲かるのはなぜ?【情報操作の闇】
2022/04/09 原貫太・フリーランス国際協力師 17:13
◎【賛成420票vs反対1票】たった一人で「戦争反対」を唱えた女性議員の
物語 2022/04/21 原貫太・フリーランス国際協力師 13:24
※参考記事
◎沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査
毎日新聞 によるストーリー 2023.6.22
今も戦争は金儲けであり、核兵器を独占しようとしてきた安保理の常任理事国に拒否権が有る限り世界平和が訪れる事は無い・・・のかもしれない。実際、沖縄の各地に基地を設けて占拠しつつ、アメリカでは今もこんな惨いゲームで遊んでいる。
作業!沖縄戦をネタにした外国のゲームの画像を見つけてみよう(日本では発禁)。
※首里城攻防戦の場面で燃えているのが守礼門。ときおり日本兵が映画「ハクソー・リッジ」と同様に
「天皇陛下万歳!」と叫んで銃剣を手に突撃してくる。