その1.修学旅行と沖縄観光(中編)
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
・うむかじ:現代沖縄民謡の「ウチナーグチ」の魅力とは
Lucy - ウムカジ (面影) -2011/04/14 kyatarin75 5:08
Q.Lucyさんはどこの生まれだと思う?
※この歌は30年余り前にネーネーズ(第一期)が唄っていたが、今、視聴できるものはやや音質と画像
が悪い。youtubeでの動画としてはLucy(ペルー出身の三世。長嶺ルーシー)のものが丁
寧な唄いぶりでオススメ。なおこの動画では4:32頃に出てくる人々の中に古謝美佐子(1954~:第
一期ネーネーズのリーダー)さんがいる。
この歌には別れた相手をいつまでも忘れられずにいる女性の心を描いた切ない歌詞の端々に「しまくとぅば」の魅力が感じられる。特に歌詞の冒頭で登場する「うりずん」という春から梅雨時を表す季節の言葉は一度聞いたら忘れられない魅力的な響きを持っているだろう。歌詞の意味が知りたくなれば視聴する価値あり。
またウチナーグチにおける母音の発音における独特の規則性にも気付くことが出来る。「え」と「お」は「えー」、「おー」と伸ばす時以外はそれぞれ「い」と「う」に変化しがちなので、たとえば「かきくけこ」は「かきくきく」、「さしすせそ」は「さしすしす」と発音される傾向にある。ただしこれはあくまで原則であり、例外も実際には多いだろう。この曲、ウチナーグチへの関心を高める教材として大いに活用できると思うが、いかがだろう。
なお日常会話でよく登場するウチナーグチを知りたいなら「okimami/オキマミ」の「うちなーぐち講座」【沖縄方言】日常で使われる『うちなーぐち』(#54)2020/05/25 3:58・)と【沖縄の方言】うちなーぐち 講座!(#46)2020/04/29 6:43)及び【 沖縄方言 】スラング系?!うちなーぐち講座🌺 ( #59 )2020/07/12 9:34)が親しみやすく分かりやすい。楽しく学ぶなら、しゃもじ『英語の授業』 2018/04/01 マセキ芸能社公式チャンネル 4:20もオススメ。本格的に学ぶなら「阿波根あずさの沖縄観光チャンネル」の「しまくとぅば講座」が48回分ある。
Q.なぜスペイン語で育ったペルー出身の長嶺さんがウチナーグチで唄っているのだろ
う?前半の伴奏を三線ではなく、ギターを使っている理由は?
「琉球学」(松島泰勝編 明石書店 2021)によると・・・沖縄からの移住は1868年のハワイ移住(さとうきびプランテーションでの労働が中心)からはじまり、北米に拡大。1899年からはペルー、1908年からはブラジルなど南米への移住も始まる。やがて南洋諸島やフィリピン、シンガポールにも移民先は拡大していった。第一次世界大戦後の砂糖価格暴落に始まる「ソテツ地獄」(大戦中はヨーロッパでの砂糖不足で黒糖価格が3倍以上も高騰し、沖縄は空前の好景気に沸いたが、大戦終結後、ヨーロッパでの甜菜生産が回復するなどしたため、黒糖価格は戦前の水準に暴落。1918年以降の砂糖不況は農民の7割を占めた零細農民を直撃した。中にはアク抜きに失敗すると死亡する虞のあったソテツの実を食べて飢えを凌ぐ者も出たという)は移民を加速させ、日本国内、特に関西方面への出稼ぎも急増した。
沖縄から海外へ移住した沖縄の人は第二次世界大戦前には77万人、大戦後も26万人となり、合わせて100万人を超えたという。戦前の沖縄県の人口が60万人程度、現在でもおよそ147万人であることを考えると47都道府県で沖縄は突出した移民県であった事が分かる。ただし長嶺ルーシーさんのように移民2世、3世が沖縄に戻ることも多く、またアメリカ兵との間に生まれた人も大勢いて、沖縄では多様な人種、民族、文化が混在している。それが沖縄の国際性を支え、日本における異文化交流の中心としての開放性を沖縄にもたらしているのだと考えられよう。
※「里心」は「ウミサトゥ」、「夕間暮」は「ユマングィ」と読む。なお「一人」は「フィチュイ」と
読み千鳥の鳴き声の「チョイチョイ」と掛けている。繰り返しになるが、多くの若者が就職先や進学
先を求めて島を離れ、幼なじみと別れて不慣れな土地で暮らさなかければならない覚悟を背負ってき
た沖縄の人々にとってネーネーズの「黄金の花」やBEGINの「島人ぬ宝」は心に響く唄の代表
格。この唄もそうした沖縄の歴史と現状を踏まえて鑑賞したい一曲。
この曲を作詞作曲した知名定男はプロデューサーとして1990年、古謝美佐子、吉田康子、宮里奈美
子、比屋根幸乃の4人で初代ネーネーズを結成させ、全国的に話題を集めた。喜納昌吉、照屋林賢と
並ぶウチナーポップの先駆者である。知名については「RBC NEWS「HOPE50 「バイバイ沖縄」に
込めた想い」2022/04/05 【琉球放送】RBC NEWS 7:20」を視聴すると良い。沖縄の伝統的な歌
の世界が本土復帰を境に急速に衰退していく事に危機感を抱いた知名はチャンプルー文化の沖縄らし
く島唄にポップやレゲェなどの要素を大胆に盛り込んで沖縄民謡に新しい命を吹き込み、若者達を惹
きつける事で島唄の再生を期した。1994年にはネーネーズを擁してヨーロッパ公演を行い、世界に向
けて沖縄民謡の魅力を発信している。
また「島々清しゃ」や「うむかじ」といった郷愁を誘う、しかも新しい味わいの沖縄民謡を創り出
し、沖縄以外の日本人をも惹きつける大きな役割を果たしてきた。