日本一の兵(つわもの)Ⅱ真田幸村!そしておれの憧れのおとこ・・・



天正12年(1584)、秀吉くんと家康くんの仲が悪くなってきて、4月には小牧・長久手(愛知県名古屋の北の方)で喧嘩することになった。戦地では徳川軍が勝ったものの、合戦後は秀吉くんの優位が確定的…だったんやで


家康くんも秀吉くんと対立するとなると、北条と事を構えたくない・・・北条と組むのが有利であると考えた家康くんは、北条と仲良くすることにした。


徳川と北条の和議(なかよし)の条件に、沼田を北条に渡すことがあった。この時、父ちゃんは徳川家に使えていたために、家康くんは父ちゃんには沼田を北条に渡すように父ちゃんに命令してきた。


しかし、父ちゃんは「沼田は父ちゃんが勝って奪った土地。徳川からの頂戴した土地ではない。」と言い、沼田の引渡しを断った。


徳川の要求は理不尽なものやったし、秀吉くんと天下を争うほどの家康くん(主家)に背いてまで維持を、張ったというのは父ちゃんらしい・・・カッコイイー!!


当然、徳川はおれんちと断絶!! 喧嘩しにくることはわかっていた…



父ちゃんは天正11年(15834月頃に上田城を造るのに専念していた。


前年に主家・武田が滅び、大名化の道が開けてきた頃やった。この頃の おれんちは徳川に属しており、上杉に対する備えとして上田に城を築くことを家康にお願いし、認められていた。しかし、結局はこの城が徳川をヤッツケルことになるねん。


上田城の完成は天正13年の末…おれんちは、この年に徳川と手切れになり、まだ城を造ってる最中に城にこもり、徳川軍を迎え撃つことになる。


父ちゃんが徳川と戦うには当然後ろだて、が必要だった…父ちゃんの後ろだて、として最も最適であったのは上杉くんやった。当時の父ちゃんを取り巻いている勢力は上杉くんは徳川、北条などに比べると小国であったが、当時の上杉家には背後に秀吉くんがついており、間接的に秀吉くんの応援も期待できてん。


しかし、父ちゃんは上杉くんを裏切ったことがあり、景勝くんが父ちゃんの要求を受け入れてくれるか解からんかった、そこで、父ちゃんは信頼の証として、おれに叔父・矢沢頼綱の嫡子・頼幸を付け、軍兵をそえて、上杉家に人質に行けと言った(とうぜんおれは行った…)。


上杉くんの将・須田満親は、矢沢頼幸に手紙を送り、おれの人質を謝り、景勝くんは手違いがあっても変な噂があっても、惑わされずに情をかけてくれると言ってくれた。


上杉くんにとっても徳川、北条は敵であり、おれんちと手を組んだ方がよかった…景勝くんが一度は裏切った父ちゃんを人質を出すから助けてくれと言ってきたことがよほどうれしかったんやろう…


父ちゃんの沼田引渡し拒否・・・徳川への反抗に対して、家康くんは怒り、天正13年(15858月、鳥居、大久保、平岩らを将とし、信濃・甲斐などの軍勢もあわせ総勢7千の大軍におれんちの、攻撃を命令した。


その後の話は またこんど・・・ たのしみにしててね・・・!














日本一の兵(つわもの)真田幸村!そしておれの憧れのおとこ・・・







慶長5年の関ヶ原の戦いは、徳川家康の率いる東軍の 圧倒的な勝利に終わった。

敗組の将となった真田親子は幸村の兄、信幸の助命嘆願により死罪をまぬがれ、紀州九敗度山(和歌山県九度山町)配流の身となる。



再起の夢を見ながら父、昌幸は六十五歳でこの世を去り

父の無念と、己の信念を胸に 散って行ったおとこ(幸村)のことを

書いてみたかったので 何回かにわけて書くので 良かったら 見てね!!




 

真田家は信州上田城(長野県上田市大手)の領主であった・・・


と 始まる前に おれのすきなバイクツーリングの話から始めるなー…!関西で 六連銭旗で有名な町、日本一の柿でも有名な、和歌山県九度山町…真田親子が波乱の生涯の中で ただひとつ安息の地として暮らした九度山町…ここでおれは幸村と入れ替わりタイムスリップした…( ´∀`)


真田幸村(おれ)は永禄10年(1567)に甲府で生まれた おれが生まれた時、父である真田昌幸 は武藤喜兵衛昌幸といい、田信玄 に使えてた。そのため おれの誕生地が甲府だった…

そのころ、父ちゃんが仕えていた武田家は、天下の覇権を目指して進撃を続けていた。でも、天正元年(1573)に武田家当主・信玄おっちゃんが死んで、四男の勝頼 が後継になった。



そして おれの幸隆じーちゃんも 信玄おっちゃんの後を追うように、天正2年(1574)に死んで、じーちゃんの嫡男・信綱が家を継いだんや。



一方、じーちゃんのいる、武田軍が織田・徳川連合軍に負けたた天正3年(1575)の長篠の合戦では おれんちの当主・信綱と昌輝(じーちゃんの次男)が戦死してて、武藤姓であった父ちゃんが真田家にもどって、家を継ぐことになった。そのころ、おれは8歳になっててん、父ちゃん、信幸兄ちゃん(父ちゃんの嫡男)とともに真田郷に帰ったんや。



長篠の合戦で負けた、武田家の勢いはどんどんあかんようになって。天正10年、武田家の当主・勝頼は一族ともども自害して、名門 武田家は滅亡…



主家を失った おれんちは、ここから自家存続のためにしんどい日々を過ごすことになってもーた。




父ちゃんは武田家の次の主家探しをはじめる。北条に近づいたり、織田信長に近づいたりして、一時期は織田家の下に入るが、信長が本能寺で明智光秀にやられてもーて、北条家に属するようになる。北条があかんようになってその後は徳川家に属した・・・父ちゃんは武田家滅亡から次々と主家を変え、戦国のきびしい世を生き抜いていた。この時、おれは15歳・・・来年バイクの免許が取れる…ヤッホー(´▽`)



おれは幼名を弁丸と言ってたが、元服して源次郎信繁にかえた。真田信繁というのがおれの正式の名前や!知らんかったやろー…?



信繁という名前は武田信玄の弟・武田信繁からとっている。武田信繁は 父ちゃんが侍として最も尊敬していた奴やった。武田信繁は兄・信玄をよく補佐していたが、川中島の合戦の時、信玄を守るために、信玄の影武者となり敵陣に突っ込み、やられてしまった。信玄と姿・格好もよく似てたから、合戦の時には信玄の影武者として出陣していた。日ごろから、「兄の身代わりになって死ねれば本望」と言っていた カッコいいやつや…!



父ちゃんは武田信玄・信繁兄弟の固い絆に感動して、嫡男の信幸兄ちゃんの後に生まれたおれには、ためらうことなく信繁とつけたんや!

おれ自身も信幸兄ちゃんの影武者になることを誇りとし、兄ちゃんの背後に寄り添い、目立つことは一切避けていた。しかし、おれの影武者生活は武田家の滅亡で終わり、それからは上杉、豊臣への人質になってしまった・・・(T_T)


どう・・・? 面白そう・・・? つづきは まったねー(^O^)/






















MARBOW KAZE


前回 記事を書こうとして間違えて写真だけになってしまったので、再チャレンジします。
おれがサーキットに 行く キッカケ・・・

16歳の頃 広島にやって来て お金がなく 知り合いの 自動車整備工場で働くことになった そこにいかしたお兄ちゃんがいた…CB750に乗った リーゼントの背の高いワル・・・

「お前も750に乗れ!」

すぐに免許を取って 750を買った! 行くところは 山口県の西日本サーキット(現在マツダテストコース) 

対向車もいない ガードレールも無い おもいっきり走れるーサイコー!!

コケテモ コケテモ いまもバカみたいに乗りたい・・・体勢を低くしてフルスロットルでストレート、エンジンがどんどん回る そしてコーナー・・・フルブレーキング・・・おしりを落としてバイクを寝かせる・・・タイヤのグリップスレスレで倒して曲がる・・・そしてコーナーの出口・・・全開バリバリ・・・おれはKAZEになれる瞬間・・・たまらん  気分はGPレーサー みんなあこがれる

街では きままにブルルルン まだまだ 乗れる おれ45才! いまは1200CCのバイクにまたがる 昔から ロックンローラーで750に乗れたら カッコイイと思ってる バカな ヤンキー兄ーちゃん???オッサン??? 

いつか 息子と 走れたら どんなに楽しいんかなー o(^-^)o