唐突にこんなこと言って何なんだが
「3月のライオン」17巻読了後に3~4巻を読み返したのは私だけじゃないはずだ。
私的に、17巻で一番の名文はChapter.191の
「(前略)そしてその横には
彼女と別れた
年月そのものが
子供の姿をして
繰り返し
流れた時間の
重さを運んで来る」
(用字は原文ママ)
すごくないすか
1読目で読み落としといて何なんですけど
この表現の美しさすごくないすか
4巻を読み返したら「5年前別れた彼女」と書かれているから17巻時点で別れて7年だけど、
要するに別れた彼女と彼女が他の人と結婚して生まれた子供が並んで写っている写真が毎年届くと、
その子供の成長を見て別れてから流れた月日の長さを痛感すると(その子の年齢≒別れてからの年数)、
それをそう書かないで前述の表現ですよ
何と美しい
羽海野チカ氏の作品の魅力は画面表現の美しさだけじゃなくてこの文章表現の美しさにもあると思う
(余談だが4巻時点でA級在位5年かつ彼女と別れて5年なので、A級に食い込むのと引き換えに彼女を失ったわけで島田さんの生き様がめっちゃ表れた設定だと思う)
心象描写の表現力もまた類稀ですよね
漫画をほぼ読まない夫と「3月のライオン」アニメ2期(と1期の島田さん回だけ)一緒に観たのだけど、夫が
「『3月のライオン』と言えば心象風景、大体雪とか降ってる」
と言っていてあながち間違っていない
もうでも島田さんに負けフラグ立っていてつらいというか
3巻では島田さんの掌の上で転がされていたれいちゃんが強くなっちゃって島田さんが本気出しても勝てるかどうかになっていて
ううう辛いよう
まあでもこの作品もう続けようがないというか
私はこの作品の主題は「孤独なれいちゃんが居場所を求める物語」だと思っているので、
れいちゃんが川本家という居場所を得てしまった今となっては私の中でもう本編終わってスピンオフ状態なんですよね
ベルばらで例えたらオスカル死んだ後のフェルゼン・アントワネット編みたいなもんなんですよね16~17巻の「3月のライオン」は
(いや私ベルばらのフェルゼン・アントワネット編嫌いではないですけど、ベルばら本編だと思ってますけど読まない人もいますよね)
でもやはりこの作品が好きなので、作品を畳み始めているのは寂しいなあ
ほんで島田さん推しなんで、作中で良い目がほぼ全くないのが悲しいなあ
あかりさんも林田先生とくっつくんだろうし
ちょっともう思いが溢れすぎてこのくらいにしておこう