別居している際、姑と二人で話す機会があった。

 

姑は、息子の非を一切認めようとせず

自分が舅に浮気されていた経験を話し始めた。

なんと、姑もサレ妻だったのだ魂が抜ける

 

自営業をしていたHさんの実家。

舅は、社員に手を出していた過去があった。

「二人で見た夕日をまた一緒に見たい」

とか言うやり取りを姑が発見したそうだ。

恥ずかしい・・・

 

それでも、姑は「お父さん(舅)を愛している」と

言っていた。

 

そんなのは、知らん。

あんたは浮気した旦那を許したかもしれないけど

私はあんたとは違う。

事故の件で家庭が大変な時に。

それを乗り越えようとしていた時に。

 

姑の経験談なんて、なんの説得力もない。

それよりも、息子が私達3人を苦しめた事を

謝罪するのが筋じゃねぇのか。

 

姑からの強制別居後。

生活は目まぐるしかった。

 

まずこの家を出て行かなけばいけない。

実家に子供たちを預ける事も出来ず

小さい子供達の手をひき、不動産を探す。

 

当たり前の話なのだが・・

「無職の母子家庭に貸す家なんてないよ!!」と

門前払いされる事が殆どだった。

 

やっと借りられると思ったら

火事があり、修繕すらされていない部屋だったり悲しい

 

家を探す合間に、母の病院や祖父の病院を見舞う。

痴呆症が始まっている祖母の様子も見に行かなければいけない。

 

離婚についても色々調べていた。

財産は勿論ない。

問題は養育費だった。公正証書も作った方がいい。

 

あの時の私は、どうやって過ごしていたのか。

もう覚えていない。

 

とにかく無我夢中だった。

 

これから子供たちを一人で育てていかなければならない。

イベコンやら(売れない)モデルやら、職人やらで

食べていけるはずもない。

やはり事務職か。

 

姉に相談すると

「エクセルも使えないなんて、字が書けないのと一緒」と言われた。

私はなけなしのお金でパソコンを買った。

夜な夜なパソコンを叩く。

最低限の知識を身に着けようと必死だった。

 

そうこうしている間に

何とか家を見つけ、職(派遣社員の事務)を見つけることができた。

 

いよいよ離婚だ。

 

つづく