NHKのFMとAMで地球ラジオという番組の最初のキャスターとして番組作りをした1995年。
特番で色々な方のインタビューをさせていただいた中で先日92歳で亡くなられた奇跡のピアニスト,
イングリット・フジコ・ヘミングさんがいらっしゃいます。
私の長い放送業界の仕事の中でも当時無名から超有名になられた方のお一人です。
ちょうど昨日、ETVで放送がありました番組の取材途中であり、同じ頃の収録でした。
ラジオではETV宣伝もさせていただきました。
さて、収録にいらしたフジコさんは布がいっぱいついている独特な衣装で、髪にもなにかひらひらする布をつけていて、大柄な方でした。
とにかくたくさんの猫ちゃんと一緒に住んでいて独特なインパクトのある方でした。今思うとデビューがこの直後。65歳だったようです。
スウエーデン人の父とピアノ教師の母の中に生まれ藝大を出た後ウイーンに留学。
バーンスタインに応援をうけたとの大チャンスの直後、
風邪による中耳炎で耳が聞こえなくなるというジェットコースターのようないいときと悪いときがある数奇な運命の人でした。
ラジオの収録のお話は1時間近くにわたり、とても興味深いものでした。
その1週間後。
それは
先日の収録編集をしたあとの放送前にお聞きになりたいとのことでした。
こんな方はいままでいらっしゃいませんでした。
これにもびっくり
フジコさん番組をお聞きになり、「あら、私ってこんな声なの?いや~~~ね。」と笑っていらっしゃったことを覚えています。
さらにNHKからの謝礼をお支払いする口座を教えていただくということもあったようです。
その後スタジオを出た廊下でプロデューサーに、貯金通帳をお渡しになっていました。
こんなことをする方もいらっしゃらなかったのでびっくりしました。「これで猫たちの餌を買ってあげられるわ」と喜んでいらっしゃいました。
ひえ~~~びっくりしました。猫ちゃん12匹とすんでいるとのことでした。
ほとんど貯金もなかったのではないかと推察されます。
もちろんマネージャーも当時いらっしゃらず、なにもかも芸能界とは無縁の方で私はものすごく驚きました。
その後ETVを拝見し、ファンになり、その後何度かコンサートに行かせていただきました。「ぶっこわれそうな
ラ・カンパネラなのよ」という言葉が印象に残っています。今は財団をつくられるほどお金があったと思いますが生き方のスタイルは変わっておられなかったと思います。
出会えてよかったです。フジコさんのおかげで
リストが大好きです。
合掌。