宮崎美子さん、今話題。再ブレイクです。素敵です。

今はね61歳でも素敵な人は若いんです!と言いたいです。で、こんな記事を今日美容院で見つけました。

週刊文春前に新聞の広告で見ていて、あらー。とピンと来たのです、がわざわざみることもなく。。

しかし今日たまたま美容院にあった文春が置いてあって、読みましたらかつてのボーイフレンドが今や大出世。その彼がもともと宮崎さんのデビューのきっかけを作ったので、今のブレイクに繋がったというようなだけ、ほぼいい記事でほっとしたのですが、

さすが文春のタイトル!読みたくなりますね、ワオ。怖いビックリマーク

この話題に、触れようか迷ったのですがいい思い出だけ。音譜

熊大で宮崎さんがデビューした頃私は、大学の1年生で18歳。

仲が良かった先輩と同じ医学部でラグビー部にいらしたのがこの頃

宮崎さんのボーイフレンドとして有名な方でした。ブルー音符

私もよくラグビー部のダンスパーティーに出かけていてグループでお会いしていました。

その後宮崎さんはあれよという間に有名になり、次に斎藤慶子さんがJALのキャンペーンガールで出ると、あまり有名ではありませんが、私も熊大の恩恵で、たまたまブームにのって近畿日本ツーリストキャンペーンガールに選ばれました。

その時の写真。その後上京し、テレビ朝日の仕事をすることになったのも熊大ブームでしたので時代が後押ししてくれました。さくらんぼ懐かしい。

その後、宮崎美子さんとも、お仕事で会いすることにもなるのですが私は、実は

弟さんと済済黌高校の同級生で、同じクラスでした。卒業後同窓生と、東京でみんなで飲んでいた夜。流れ星を思い出します。

その頃はバブルで、渋谷から帰ろうとするもタクシーも12時過ぎるともう2時間は待たなくてはならず、仕方ないので渋谷から歩いて行ける距離に住んでいらっしゃるお姉さんの家で、みんなで時間を潰しました。ひえーーー失礼ですね。今考えると。

お姉さんはお留守でした。あの時はすみませんでした。汗タラーはい。

ところで、現在文春で厚労省ナンバー2と言われている彼は、今も熊本つながりでもう40年。昨年の県人会で私がホスピタリティの講演させていただいた際にもいらしてくださいました。

またコロナで、今年ダイヤモンドプリンセス号の乗客待機の勝浦のホテルで、第一線でお仕事されていたので、NHKのニュースでインタビューされていて、ゲラゲラたまたま見ましたのですぐにメールしましたら✉️「本当に大変です」というメールを返してくれました。

気さくでとてもいい方です。リボン

久しぶりに。学生時代に戻りました。