ここにきて再び琵琶話登場☆ 前回、琵琶ライブの感動をブログに書いたが、不思議とこれまた違う所から縁があり、大正時代に琵琶を極めた神様的な人物、『永田錦心』の存在を知る機会があった。 大正時代の琵琶はその時代は若者に絶大な人気の楽器で、今で言うとギターのような存在だったようだ。 『永田錦心』さんは、昭和2年に亡くなられたのだが、晩年に書かれた2冊の書がある。 今ではとっても希少な書で、世界中で彼の書物を保存してあるのは、日本の2カ所の図書館だけだそうだ。 彼は、剣術と人、そして芸の道というのは通ずるものがある、と語っている。 私もこれから先、厳しい道のりを歩むわけだが、彼の言葉には、本当に共感というか、深い意味があり、じ~んとくるものがあるのだ。 そこで、『永田錦心』が残した言葉のほんの一部を、ここで紹介したいと思う。
*----------------------------------------------------------------------*
剣道に「守、破、離」といふ事があるそうです。・・・(略)・・
即ち 未熟は守り、熟練は破り、練達は離れる・・・(略)・・・この修行の極意は剣道ばかりでなく、すべての芸道にも 通ずる真理であると思います。
即ち初歩のうちは、その流派の型を守ることに専一であらねばならぬ。
熟練を重ねるに従つて、自分の個性を発揮し、型を破つて自由の心地を試みる。
この時代が最も華やかで、同時にいろいろな危険がある。人気に囚われたり、徒に 新奇を衒つたりするのが、その一例であります。
熟練の士は既に既成流派の型を破つた。そこに又小さく自分の型をこしらえてしまつたのでは 芸道の行き詰まりです。
守ることからも 破ることからも 離れ、即ち 自分自身をさへも捨ててしまつて 無念無想の境地に入る・・・・(略)・・・練達の道は 元より困難で 萬人が萬人 すべてこの境地に入ることは 望めない。寧ろ萬人中の一人が辛うじて・・・(略)・・・然し乍らこの境地を目ざして進む事は、萬人の為に必要です。・・・・(略)・・・・・
芸術が創造である以上、そこに人為的努力、即ち技巧を要するのは当然であります。琵琶を弾ずること、曲節を演ずること そのことが既に技巧である・・・(略)・・・この意味に於ける本質的技巧は、いかなる芸術にもかくべからざるものであります。
然しながら、技巧はどこまでも手段である。よりよき芸術を創造せんが為の方便である。技巧は大切であるが、技巧そのものが芸術ではありません。
・・・・(略)・・・・故に技巧が目立つうちは、その技巧はまだ本当なものではない。
技巧の見えない技巧・・・天衣無縫とも称すべき技巧を 入神の技言ふものであります。・・(略)・・即ち 技巧の目的は、技巧を無くす事にあるとも言へるでしょう。・・・(略)・・・
琵琶にしてみると,個々の曲目の情景、人物、精神等を生かして表現する事が第一要件である。その為の本質的技巧は大いに必要であります。
そして又 人にはそれぞれ個性があつて、ある人は渋く歌う事によつて、ある人は華やかに歌うことによつて、それぞれの人物なり 精神なりを生かし得る場合があります。・・・・(略)・・・
苦心研究は飽くまで必要です。芸術の精神を生かす為の技巧は大いに学ぶべきです。最後に至れば苦心や技巧が目立たなくなる。
淡々として水の如く何等の奇もなく変もなく、然も深い感動を内に蔵し、何度聴いても飽きない、気持ちよく芸術境に同化せしめられる・・・。そうした芸術の三昧境を目指して、専念して行きたい。それが私の念願であります。・・(略)・・
*--------------------------------------------------------------------------------*
「離れる」かぁ~。 自分から離れる境地!!! まだ体験したことがないが、死ぬまでにはそんな自分になっていられるだろうか。 私なんか、「守る」ところさえいまだいってない気がする。。。 汗
彼の言葉は本当に身の締まる思いで、説得力があるのである。
「技巧の見えない技巧」かあ~。 凡人は技巧をいち早く見せたくてしょうがないポイントだ。 ただ私は未熟ながら、たとえこれから先、技巧をたくさん身につけれたとしても、それをアピールするような歌は決して歌わないだろう。 未熟な時も成長した時も、魂に響く様な心ひとつで温かく大事に歌って行きたい。それだけである。 人生、すべてが修行だ! でも楽しみながらひとつひとつ前進していきたいものだ☆ さあ明日もがんばろう♪