3月23日(土)先勝・戊子・四緑・納・氏・張・彼岸明け・社日・うしかい座R星が極大・天王星と火星が最接近・火星が天王星の北00゚00.7'を通る
3月24日(日)友引・己丑・五黄・開・房・翼・オリオン座U星が極大・C/2012 F6レモン彗星が近日点を通過
3月25日(月)先負・庚寅・六白・閉・心・軫・一粒万倍日・三隣亡・197P/リニア彗星が近日点を通過






 タンゴの音楽の鳴る中でのダンス。


 それをビデオカメラで撮影している私。


 ロベルト氏のステップが床に詩を刻んでいく。


 出雲の冬が終わったことは何よりです。


 久しぶりのミロンガで、撮影だけを頼まれたので、その場を後にしようとすると、


 一曲だけでも踊っていってとの声に、下手なステップで申し訳ありませんが、


 一曲だけのタンゴ・ダンスを。


 哀愁の気を帯びたので、太陽を浴びて、心身に陽の気を。


 特に占いをする際は、心身の通りをよくしておこうと、


 心にひかりを、燈します。


 夜には、星☆灯を。



 

 急いでいた交差点。


 注意不足の老年の車が、私の前を行きすぎて、


 反射神経が明暗を分けて、渡りきる。




 一面に咲き誇る花。


 それだけは、幸せを差し向ける。





そんな文章を約一年前に書いていたまま、


UPせずにいたのですが、


タンゴダンス教室を主催していたR・Sさんが、亡くなってしまいました。


元々、作家を目指されていて、ある時期から、文学喫茶をやっていた方ですが、本物の芸術家でした。


「夜想」という大人の話し場を、


Y・Sさんがやっていた頃に、


その縁で、Y・Sさんご夫婦と義兄弟のような仲にはなっていましたが、


しかし、奥さんであったR・Sさんの人生、


それは、文学と芸術品とダンス。


そんな風に例えられるような気がします。


特にR・Sさんを含め、文学仲間であった三名が筆を競い、


三名とも小さな賞は、得たものの、


大きな新人賞。


そして、芥川賞は、適わなかった。


ある日、R・Sさんご夫婦が主催する「俳句会」で、


上記の三名のうちの、(旧姓)金原さんも参加され、


昔話を聞かせていただきましたが、


特に、R・Sさん、金原さんとも、文才がある分、


「どうやっても、芥川賞は、とれない、


どれだけ頑張っても、届かない」


そういう会話もされていましたが、


二人の小説に対する意気込みの凄さに、


ただものではない文学の鬼のようなシルエットを、私は観ました。


その後、金原さんは、病死してしまいましたが、


その死と引き換えではないでしょうが、亡くなった直後に・・・


姪の金原ひとみさんが「蛇とピアス」で、芥川賞を受賞。


その時に、


この賞は、あの金原さんの執念なのでは?


何か、ものすごい念のようなものも、味方したのでは?


自分の死と引き換えに?


運を与えた??

ふと、そんな予感が走ってしまいました。(金原ひとみさんには、お会いしたことはありませんが。いえ、作品からも文才を感じましたし、彼女の実力も、相当なものだと、その時には感じましたよ、表面は、破滅型な小説ですが、文章力は十九歳のものではありません、かなりの手腕でした!)


その時、


何でも一代では、夢を簡単にはかなえられやしない。


親や周囲の投資が相当ないと・・・お金や、教育基盤のあるなしで人生に差が出ることを、深く考えさせられた記憶があります。


金原ひとみさんは、金原さんの姪っ子なのですが、お二人は(まるで母娘のように)容姿が似ているだけに、何か霊的な見えない応援、それを感じたわけです。


自分のどうやっても適えられなかった芥川賞と言う夢を、


姪よ、


どうぞ、適えてくれと。


しかし、(綿矢さんと同じく)最年少受賞者です、


夢は、二代で、適えることが出来た。


ということですよね。



まったく別のところで、


確か、県の作文コンクールの審査委員長を長年されていた方とお話をする機会があったのですが、


文学の話になり、


その方が、


小学生の作文コンクールで、忘れられない生徒がいると。


その中に、


金原さん兄妹がいたと。


その二人からは、文才を感じたと口にされました。


やはり、(強運のA氏の記事でも書きましたが)出来る人は子供の頃からということでしょうか。


(その金原兄妹の)お兄さんの方は、翻訳家(でしたか)になられたようですし、


その娘のひとみさんも、芥川賞作家になられただけに、


子供時代の才覚が、未来の成功に結びついたということでしょうか。


(今、駄目な生徒は、これを読み、今から、頑張ろうと思えば遅くはないですよ)



ただ、


妹さんの方は、


芥川賞作家にはなれなかった。


ライバルでもあった、(上記の)R・Sさんともども。


しかし、金原さんは、ギャラリーを残し、


芸術家として、この街に、形を遺したとは思います。


一方、R・Sさんは、


本格的に小説を書いていた時期は、十数年以上前かとは思いますが、


タンゴ教室を遺した。


趣味では、俳句、詩、エッセーは、書き続けていたようですし、


どんな文芸の会に参加されても、


私の記憶では、必ず票が入っていましたし、


その文才は、確かなものだったように思えます。


タンゴダンス教室に専念されてからは、


ほとんど俳句しか、されなくなりましたが、


その俳句には、毎回、


高得点が入り、


入らない人たちは、


どうやっても、越えられない壁。


それは、過去の文章の研磨なのだろうか?


そう、地団駄を踏んでは、


次こそは、選ばれようと、


筆を磨いていったように思います。


夫のY・Sさんは、


(トーク場である)「夜想」もやめてしまい、


(初めは、乗る気もあまりなかった)タンゴダンス教室を、


一本柱でやっていますが、


お亡くなりになられたR・Sさんの文才の方は、


タンゴダンス以上に、


悔やまれるもののように思えます。




見た目は、


中島みゆき、大原麗子さんを足して二で割ったような美人女優のような方でしたが、


文学を愛し、


紙の上に書き残されたものは、



風に乗って、


言葉の念だけでも、


どこかに届いていることでしょう。


文学は、


文字の芸術ですが、


文字になる前のヴィジョン。


それが、


私であり、


あなた自身の


魂の愛言葉であるはずですから。



読書会や、エッセー会や、童話の会・・・



色々な場所で、言の葉を尽くし、


私もいくつかの場面で、


R・Sさんの感性と技術の上手く融合された、


味わいのある言の葉の旋律を、


目にしてきましたが、


世には知られずとも、


文才のある方だったことを、


私は忘れることはありません。




妻に先立たれてしまい、残されてしまったY・Sさんの孤独よ、


どうか、埋まりますように。


そう願っております。


Y・Sさんが、


R・Sさんが経営されていた「文学喫茶」に通ううちに、


二人は恋に落ち、


文学の花を咲かせた。


その二輪草の、


一輪は、今、枯れて、


残された一輪に、


友として、


熱い


エールを。





早く



孤独の癒えますことを。







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