ご訪問ありがとうございます。
たおと申します。



前回の、うちの仔見てバトンで、
重い記事を書いてしまったんですが、

ペット達が病で苦しい最期を迎える時、
家族に希望を伝えることはできないので、
ロイやアメリの最期の時に、
また私たちは同じように悩むと思います。

どんな選択をしても同じだけ後悔するんだろうなぁ。



ほんやくコンニャクが本気で欲しい。



この問題はペットだけでなく、
人間にも言えること。



けど人間は、遺志を伝えることができる。

自分の人生の終わらせ方を
元気なうちに家族にきちんと
意思表示するべきだなと思いました。


家族には決められないんです。


でも、事前に意思表示があることで、
選択しやすくなると思うのです。



私は苦しみたくない。
楽に、安らかに逝きたい。

余命宣告もして欲しいです。

限られた命を精一杯生きたい。



母の時は、癌であることは本人に宣告していました。

もう全身に転移していて、手術もできないことも伝えていました。

けど、抗がん剤治療で癌が小さくなれば、
手術ができるかもしれないと、
取り除けば完治できると、

母は生きる望みを持っていたので
余命宣告は本人にはできませんでした。


あの、最期の地獄の1週間のほんの少し前、

母は、電動車椅子のカタログを取り寄せて見ていました。


車はもう乗れる気がしないから、
車を売ってこれ買おうかなと思ってるんやけど照れ


母の前では絶対に泣かないと決めていたので
堪えるのに必死で、なんて答えたかは覚えてませんが

日に日に歩けなくなり、
出来ないことが増えていっても
弱音を吐かない強い女性でした。


けど、あの時、余命宣告ができなかったことも
本当にそれでよかったのか未だに悩むんです。




そして迎えた最期の1週間。


あれだけポジティブで強い人が、
目がまったく見えないと震えていました。

全身痛くてしょうがない。
背中をさすっても悲鳴を上げる。


先生に呼ばれ、モルヒネの24時間自動投与が始まりました。
痛みを和らげる為ですが、
余命はあと4、5日と考えてくださいと言われました。


翌日、病院に行き、姉と絶句しました。


脳への転移による症状も出てきたのか、
幼子と喋っている感覚。

もう私の知ってる母ではなくなっていた。

会話はできても、
母は誰と話しているのかわかっていない。


それでも、母と話が出来て、
手の温もりを感じられる。

この状態で何年でも生きてくれたらなって思っていましたが、
この後、地獄の発作がやってきます。


あの時の顔、呻き声、今でも忘れられません。


髄膜炎により脳圧が上がり脳を圧迫し、
全身火だるまにでもなっているかのように
暴れまくりまして…

脳圧を下げる点滴で緩和されますが、
この点滴は、打ってから3時間は時間を開けないといけません。

3時間以内に発作が来た時が本当に恐怖でした。


落ち着いている時も、
うわごとで誰かとずっと話していて、
私たちの声はもう届きませんでした。


けど、
子供達がトトロの歌や100%勇気を大合唱すると、
話をやめ、ずっと聞き入ってるのです。

聞き入りながら、母の目から涙が流れるのです。


そんな姿を見ると、母はまだここにいる、、
と感じるのですが…


毎日毎日、みんなで母を押さえつけ、
あの呻き声を泣きながら聞いていると、

もういいよ、、
オカン、もう頑張らんといて…

て、思ってしまう。



悩んだ結果、
姉と先生に会いに行き、
モルヒネを致死量まで増やしてくださいと
お願いをしました。


先生は不本意そうでした。


そんなことをしなくても、
もう数日の命ですよ、と。

逸子さんは以前、一分一秒でも長生きしたいと言っていました。

いま、苦しんでるように見えますが、
もう感覚はないですし、本人は何も感じていないはずです。


そんなわけないやんか…
あんな呻き声をあげて苦しくないわけないやんか…


これを乗り越えれば快方に向かうのであれば
頑張ってもらうしかないけど、

どの道あと数日なら、
もう解放してあげたかった。


いや、
あの姿をもう見たくないという
私たちのエゴで母の生涯を終わらせたかったのかもしれません。


そのことが、
姉も私も、ずっと心に引っかかっているんですよね。

12年経った今でも。
ずっと、罪の意識に苛まれている。


だから、ポール君の時も
答えが出せなかった。。


その理由は、
やはりそこに本人の意思がないからだと思います。



私は、
子供達に親の悶え苦しむ姿なんて見せたくない。

あの時の思いや、苦渋の決断をさせたくない。



なので、自分の人生の終わらせ方を記したノートを
作ろうと思います。

エンディングノートってやつ。




いつ死ぬかなんて誰にもわからない。
明日かもしれないし、半世紀後かもしれない。

認知症になる可能性もあるだろう。


けど、家族に何も伝えられずに逝ってしまったら
なんとも心残り…


小学校の子ども会仲間の人が、
ドッジボール大会のルール説明中に
突然倒れて急逝された方がいらっしゃるんです。

大動脈破裂で。

特に持病もなく健康だったし、
年齢も当時40才くらいだったと思います。


小さいお子さんが3人もいて、
ただただ無念だったろうと思うんです。。




母も、
死後半年くらいの時、
母の携帯から何度も着信がありました。


伝えたいことがあったんだろうと思う。




エンディングノートに
どういうことを書いたらいいのか、
調べてみました。







まず、自分のプロフィール。


え!?!家族宛てやのにそっから?!滝汗

と、びっくりしましたが…
意外と相方も子供達も、
誕生日は知っていても、
かーちゃんが何年生まれかなんて知らんわな…


メインバンクがどこで、
口座を何個持ってるとか、

生命保険はどことか、

延命治療や、臓器提供を希望するか、

葬儀にはどのくらいの規模で
どこまで知らせるとか。

遺影用の写真を写真館で綺麗に撮ってもらったり、

棺桶に入れて欲しいものはあるか、等々…


そして、家族へのメッセージ。
普段はなかなか伝えられない感謝の言葉。

死ぬ間際にきちんと家族に伝えられるとは限らないですもんね。



ノートは手書きで作るのもありやけど、

楽天で探してみたら…



色々ある!キラキラ

夫婦間や、両親にもプレゼントして
一緒に話し合いながら書き込んでいくのも
良いかもしれません。





なかなか死について、
家族と話し合う機会ってないですよね。



エンディングノートを書くことで、
冷静に、現実的に死と向き合い、
自分の気持ちや思いを書き込めると思います。



今回、ポール君の死によって、
いろんなことを考えさせられました。



エンディングノートが出来上がったら
また報告しますおねがい




さて、明日は母の13回忌の法要。

コロナの関係で、
呼ぶのは姉家族のみ。

父親は来るのか来ないのか…知らん笑笑



あ、ちなみに父親の最期は興味ないんで
どうにでもしてくださいと思ってますニヤリ




次回は、うちの子見てバトン第二弾を
明るめでお送りしたいと思います!

重苦しい文章を最後まで
お読みいただきありがとうございました😊