新釈 中国古典怪談㉝ 『韓非子』を読んで。心がピュアな人は… | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

新釈 中国古典怪談㉝ 『韓非子』を読んで。心がピュアな人は…

33 いや~、久々の更新…。こんな暫く更新していないブログにも、日々チェックをして下さる人々がいらっしゃるようで、恐縮でありがとうございました。そして心配やガッカリさせてすみませんでした。

 更新しなかった理由は勿論ありますが、ここでは公開したくはないので書きません。ただ、はっきり言えることは、薄汚い人間にはもうウンザリなのです…。
 おかげで、怪談に一番適した季節、7月8月を逃してしまった事が悔やまれてなりません。

 沈黙中に、いろんな本を読みました。
 『新釈 中国古典怪談』では道家の思想、儒家の思想、陰陽家の思想、兵家の思想を紹介しました。所謂、諸子百家の内の四派ですね。

 諸子百家って、こうした有名どころ以外にも、面白い思想集団があるもので、「農家」とか「小説家」なんてのもあります。「それって、思想分派ではなく、職業名じゃん!」とツッコミたくなります。笑 「名家」なんて、きっと良いお家柄なんでしょうねーとか?笑
 「農家」等はなかなか面白くて、Wiki等を読むと、安藤昌益や毛沢東の名が出てくるのが非常に興味深い。安藤昌益はいいかもよ?

 さらに興味を魅いたのが墨家です。度々文献にも出て来て、名前は知っていましたが、どういう思想かわからず、読んでみました。
 要は、「儒家のように、愛を、家族や主従関係重視にするのではなく、まず、あかの他人の隣人を愛せよ」という思想です。これってキリスト教じゃん!!と思っていたら、Wikiの墨子のところにも「キリスト教と酷似」との文面があり、ですよね…と納得。
 元々大陸は地続きなんだから、墨子の思想がキリストの思想へ発展したのかも?と少々、荒唐無稽な想像をするのも面白いものです。
 『新釈 中国古典怪談』でも、太古から説話や神話が世界中を駆け巡っている現象は多く紹介しましたよね。
 この墨子、こうした性善説を元に、自分の国と関係の無い国との戦争を遊説で止めに行ったりもしています。このようにピュアで捨て身な行為の為、ある意味スキだらけで、諸侯からは好かれず、滅んでしまった思想なのです。

 そして法家と言われる『韓非子』も読んでみました。
 元、法学部である私は、法という言葉に良いイメージを持っていないのですが。爆。
 そうではなくて、例えば孫子の兵家が戦争という外交、外政について語った思想であるのに対し、法家は、内政や組織について語った思想と言えるでしょう。

 この『韓非子』の作者、韓非の生涯がメチャ可哀想なんですよぉ~~~~。

 皮肉なことに韓非の思想は、自らの韓の国では採用されず、敵国である秦の国で採用されてしまうのです。
 『韓非子』を読んだ秦の始皇帝は、「このような本を書いた人物に会えるなら、死んでも本望!」とさえ言わしめたのでした。それで、始皇帝は韓非を呼び寄せました。
 韓非は、自分の考えを採用してくれなかった自国の韓を見限り、始皇帝に韓を滅ぼすようにとまで進言するのです。

 そうまでして、韓非は自分の思想を高く評価してくれる始皇帝を信じていたのです。
 しかし、始皇帝の臣下である李斯(りし)という同級生の嫉妬のため、始皇帝に入れ知恵をし、韓非になんくせを付けて、投獄し、殺害してしまうのです。能力が、李斯よりも韓非の方が上だったからなのです。

 所謂、韓非のような内政のプロが、政治には、裏切りや嫉妬が付き物なので気を付けよと散々書いているにもかかわらず、こともあろうに信じていた同門の李斯によって、殺されてしまうという非常に皮肉で悲しい話。
(なんとなくこの話は沈黙中の私のようで、他人事ではなかった…)

 韓非の死後、秦は、韓非の思想を全面に取り入れ、国力を増強していくこととなるのです。
 だから、不幸な作者を見て、その書に力が無いと判断するのは大間違いで、幸、不幸は、書の内容とは関係なく、時の運だったりする訳です。運の力については本書でも書いた通り。


 こうして諸子百家を見て行くと、「性善説」に立っている思想と「性悪説」に立っている思想に大別できるかもしれません。
「性善説」は道家。徳や仁に頼る儒家。墨家などがあげられるでしょう。
「性悪説」は孫子や孫臏(そんぴん)の兵家。そして性悪説の荀子を信望する韓非の法家です。

 道家は私は好きな思想ですが、いかんせん「性善説」に立脚している思想って、私には、スキだらけに見えて仕方がありません。日本文化、いや中国文化に一番影響を与えた思想は儒家ですが、儒家とて、兵家の孫臏(そんぴん)や秦の始皇帝が同じ問題点を指摘しているのですが、
『「徳」や「仁」などのきれいごとで国は治まらない』と。
(ちなみに始皇帝は、だから「焚書坑儒」をした)

 その通りだと思います!
 儒家は、上下関係をはっきりさせ、徳や仁、義という政治的なお飾りまで付いているので、中国や日本の為政者達に使いやすく採用されたように思うのです。
(蛇足ですが、夏なので、よく、日本軍の戦争の記録や映画が放送されましたが、あれを見る度、その根本を思うと、孔子さんも罪な思想を創ったものねと…笑 本来、儒家も諸子百家の一つのイデオロギーでしかありません。)

 私も、日本文化の中で育ったものなので、徳や仁、礼や義をどかで必ず信じている自分がいます。それは、身に染み付いた無意識と言ってもいいくらい。それは明らかな性善説なのです。
 私は複数の人に「アナタ、お育ちすごくイイネ!」と指摘されたことがあります。勿論、これは家が裕福だという意味ではなくて、ピュアに育ったねという意味です。この「お育ちイイネ」の発言には、どこか「おひとよしね」という軽い侮蔑が含まれているものです。そんなお人好しだと大変よと相手は暗に言っているのです。

 そこで思い出すのが、前回書いた美輪明宏さんの言葉の意味です。
「心がピュアな人は、信じられない受難がいくらでも襲ってきます。」

 つまり心がピュアな人は性善説に立っているので、性悪(ここは「しょうわる」と読みたい)なこの世の中では、信じられない受難がいくらでも襲ってくるという訳なのです。性悪な人間が人災をいくらでも運んできます。 ただし、だからこそ天使が撮れ、仏が撮れると思っていますが。
『「徳」や「仁」などのきれいごとで国は治まらない』と非常に共感しながらも、
 徳や仁、礼や義をどこかで信じている私は、性悪な人間には、もうウンザリなのです。
 韓非は、性悪説を提唱していますが、彼の最もピュアな部分は、やはり性善説だったような気がしてなりません。同門の李斯(りし)を信じたのですから。
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