黄色い葉の精霊 ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)
入院中の読書記録。図書館で借りた本なので、大急ぎで、いいところだけこのブログに抜き書きして返却します。
『黄色い葉の精霊ーインドシナ山岳民族誌ー』
この本は興味がないと、全然面白くないと思います。私、こういうの興味あるんですヨ。笑
『黄色い葉の精霊』とは、タイ北部の密林に住む、ピー・トング・ルアング族のことです。彼らは、ジャングルの中を点々と漂泊する生活を何千年も続けており、粗末な野営地の屋根のバナナの葉が、黄色く枯れるころには、その野営地を捨てて、痕跡も残さず密林の中に消えてしまうことから、この名前がついたそうです。
1940年代の古い報告書なので、現在はそうではないと思われますが、興味深かったところ抜き書きしてみます。
●ピー・トング・ルアング族は、死んだ魂は、森に還り、木や岩にその魂は留まると信じられています。確か、柳田國男も、死んだ魂は里山へ行くというようなこと書いていたよね。木霊(こだま)という言葉もあるように、木には魂が入るものではないかと、この頃私は感じています。
ピー・トング・ルアング族にとって、大木はその木霊が強力過ぎて近づけないそうです。何か感じているんでしょうね。P109
●ピー・トング・ルアング族は、自殺について問われると、笑いながら「一体なぜ人が自分自身を傷つけねばならぬのか?」と問い返しました。勿論、自殺の概念なんて存在しないのです。あたり前なんだけど、ドキッとするものがありました。P192
●ピー・トング・ルアング族の子供を持つ母に、自分の子供がどんなふうに育ってほしいかと聞くと「私のそばにいて死なずにいてくれればいいのですわ。」とのお返事。賢くてとか、勤勉でとか、勇気があってとか、そんな親の望みは無いのです。本来的に、人間や生き物は、ただ「存在すること」 ただそれだけで、スバラシイのです。P313
●ピー・トング・ルアング族の描く絵は、大人も子供、全て円で現される。
森の木も、人も、野営地も全て不完全な形の円。面白いね、彼らには確かにそう見えているのかもしれません。P327
●ここはページ数、忘れたので、記憶の記述ですが、ピー・トング・ルアング族は「仮定」という概念が存在しません。つまり「もし…」が無いのです。
ピー・トング・ルアング族に「もし、あなたの息子の足が折れたら、どうするか?」という問いを投げかけると。「何言ってんだ?オレの息子の足は折れてはおらず、今も走りまわってるぞ!」との問答の堂々巡りになるそうです。
スゴイねぇ~。「仮定」がなく「今が全て」なんです!
こういうところを指摘して、「未開の人」や「遅れた人」と思い上がった認定をし、迫害や、悪質キリスト教布教の格好の餌食になってしまうものなのですが、絶対、彼らは、「遅れている」とか「未開の人」ではありません!
「仮定」ができる人種や文明が、何をしてきたでしょう…。農業を始め、欲ばかりを肥やし、実は地球を破壊しているだけなんですよね…。
それよりも、森の中で農業という「仮定」をせずに、つつましく、自然をいたわりながら狩猟採集している生き方の方がどれだけ尊く偉大か……「仮定」をした文明が次々亡んでいく中、ピー・トング・ルアング族は何千年もその文化を守り、持続できたのです。
この「今が全て」という思想は、禅の思想にも通じる、スバラシイものだと思います。
この思想や、服装、生活を見て「遅れている」とか「野蛮」なんて言うヤツラには、私は正直、スゴク腹が立ちます。だからキリスト教のこうした地への布教や価値観の押しつけが大キライ!!! ヤツラはものスゴク思い上がっています。 そしてその害と罪が大き過ぎる……。
悲しいことに、70年の間に、ピー・トング・ルアング族の生活も随分変わってしまったようです…こんなサイトを見付けました。この文章の中に「定住を果たし」と書いてありますが、「果たし」ではなく「定住をさせられ!」なんですよね……。
「民族が消え去ろうとしている」と締めくくっていますが、定住し農耕や畜産、観光客相手なら、もう、その深い精神性は既に消えているのと同然です………
元々、服を着るような文化ではなかったのに、たかだか50年やそこらで、何千年も続いた叡智が、地球上から消え去ってしまったのは、言葉で表現できないくらい悲しいことです。こうして人類は滅びるしかないのでしょうね。
『アラビアン・ナイト』
病院でヒマな時こそ、こんな大著を読破するのはいいかと思ったのですが………
う~ん、私にとってはかなり退屈でした…。
1巻で充分…。
勿論、他にもいい話があるのは知っているのですが、最初から全巻読もうとするのならシンドイです。
ありえない、金持ちの美男、美女の乱痴気騒ぎ、もう沢山です。笑。奇抜な想像力の奔放さなども面白いのですが、飽きてくる…。しかも、説話の中にさらに別の説話が入り、さらにまた他の説話が入るような、二重三重のウットおしい構造になっています。
私が聞き手のシャハリヤール王だったら、25夜くらいで、語り部のシャハラザードに
「おまえの話はもうよい。明朝、慣例により、そちは死刑じゃの…」
と言ってしまうところです!笑。
たった『二十五夜物語』になるところでした。笑
この『アラビアン・ナイト』を3巻も持ってきていたので、入院後半は、読むべき本も底を尽き、結構ヒマで苦労しましたヨぉ…笑
あぁ!でも、コレ、日本の民話の原型が混ざってたりするんだよね。ペルシャの説話が、日本の民話として伝わっているのね! そして『アラビアン・ナイト』の説話の多くの原型がインドの説話の中にあるとよく言われています。
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『黄色い葉の精霊ーインドシナ山岳民族誌ー』
この本は興味がないと、全然面白くないと思います。私、こういうの興味あるんですヨ。笑
『黄色い葉の精霊』とは、タイ北部の密林に住む、ピー・トング・ルアング族のことです。彼らは、ジャングルの中を点々と漂泊する生活を何千年も続けており、粗末な野営地の屋根のバナナの葉が、黄色く枯れるころには、その野営地を捨てて、痕跡も残さず密林の中に消えてしまうことから、この名前がついたそうです。
1940年代の古い報告書なので、現在はそうではないと思われますが、興味深かったところ抜き書きしてみます。
●ピー・トング・ルアング族は、死んだ魂は、森に還り、木や岩にその魂は留まると信じられています。確か、柳田國男も、死んだ魂は里山へ行くというようなこと書いていたよね。木霊(こだま)という言葉もあるように、木には魂が入るものではないかと、この頃私は感じています。
ピー・トング・ルアング族にとって、大木はその木霊が強力過ぎて近づけないそうです。何か感じているんでしょうね。P109
●ピー・トング・ルアング族は、自殺について問われると、笑いながら「一体なぜ人が自分自身を傷つけねばならぬのか?」と問い返しました。勿論、自殺の概念なんて存在しないのです。あたり前なんだけど、ドキッとするものがありました。P192
●ピー・トング・ルアング族の子供を持つ母に、自分の子供がどんなふうに育ってほしいかと聞くと「私のそばにいて死なずにいてくれればいいのですわ。」とのお返事。賢くてとか、勤勉でとか、勇気があってとか、そんな親の望みは無いのです。本来的に、人間や生き物は、ただ「存在すること」 ただそれだけで、スバラシイのです。P313
●ピー・トング・ルアング族の描く絵は、大人も子供、全て円で現される。
森の木も、人も、野営地も全て不完全な形の円。面白いね、彼らには確かにそう見えているのかもしれません。P327
●ここはページ数、忘れたので、記憶の記述ですが、ピー・トング・ルアング族は「仮定」という概念が存在しません。つまり「もし…」が無いのです。
ピー・トング・ルアング族に「もし、あなたの息子の足が折れたら、どうするか?」という問いを投げかけると。「何言ってんだ?オレの息子の足は折れてはおらず、今も走りまわってるぞ!」との問答の堂々巡りになるそうです。
スゴイねぇ~。「仮定」がなく「今が全て」なんです!
こういうところを指摘して、「未開の人」や「遅れた人」と思い上がった認定をし、迫害や、悪質キリスト教布教の格好の餌食になってしまうものなのですが、絶対、彼らは、「遅れている」とか「未開の人」ではありません!
「仮定」ができる人種や文明が、何をしてきたでしょう…。農業を始め、欲ばかりを肥やし、実は地球を破壊しているだけなんですよね…。
それよりも、森の中で農業という「仮定」をせずに、つつましく、自然をいたわりながら狩猟採集している生き方の方がどれだけ尊く偉大か……「仮定」をした文明が次々亡んでいく中、ピー・トング・ルアング族は何千年もその文化を守り、持続できたのです。
この「今が全て」という思想は、禅の思想にも通じる、スバラシイものだと思います。
この思想や、服装、生活を見て「遅れている」とか「野蛮」なんて言うヤツラには、私は正直、スゴク腹が立ちます。だからキリスト教のこうした地への布教や価値観の押しつけが大キライ!!! ヤツラはものスゴク思い上がっています。 そしてその害と罪が大き過ぎる……。
悲しいことに、70年の間に、ピー・トング・ルアング族の生活も随分変わってしまったようです…こんなサイトを見付けました。この文章の中に「定住を果たし」と書いてありますが、「果たし」ではなく「定住をさせられ!」なんですよね……。
「民族が消え去ろうとしている」と締めくくっていますが、定住し農耕や畜産、観光客相手なら、もう、その深い精神性は既に消えているのと同然です………
元々、服を着るような文化ではなかったのに、たかだか50年やそこらで、何千年も続いた叡智が、地球上から消え去ってしまったのは、言葉で表現できないくらい悲しいことです。こうして人類は滅びるしかないのでしょうね。
『アラビアン・ナイト』
病院でヒマな時こそ、こんな大著を読破するのはいいかと思ったのですが………
う~ん、私にとってはかなり退屈でした…。
1巻で充分…。
勿論、他にもいい話があるのは知っているのですが、最初から全巻読もうとするのならシンドイです。
ありえない、金持ちの美男、美女の乱痴気騒ぎ、もう沢山です。笑。奇抜な想像力の奔放さなども面白いのですが、飽きてくる…。しかも、説話の中にさらに別の説話が入り、さらにまた他の説話が入るような、二重三重のウットおしい構造になっています。
私が聞き手のシャハリヤール王だったら、25夜くらいで、語り部のシャハラザードに
「おまえの話はもうよい。明朝、慣例により、そちは死刑じゃの…」
と言ってしまうところです!笑。
たった『二十五夜物語』になるところでした。笑
この『アラビアン・ナイト』を3巻も持ってきていたので、入院後半は、読むべき本も底を尽き、結構ヒマで苦労しましたヨぉ…笑
あぁ!でも、コレ、日本の民話の原型が混ざってたりするんだよね。ペルシャの説話が、日本の民話として伝わっているのね! そして『アラビアン・ナイト』の説話の多くの原型がインドの説話の中にあるとよく言われています。
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