信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
課題図書の感想文を提出させていただいています![]()
今回は、ドストエフスキーの『 罪と罰 』の感想です![]()
二回目の感想になりますが、まだまだ書ききれません。
https://ameblo.jp/kaoru8913/entry-12448314694.html
↑ 一回目の感想です。
簡単なあらすじとかはコチラで^^
モチーフが多すぎて、あと何回書けば「書いた!」という気持ちに
なるのか見当もつきません。それぐらい何回読んでも、新しい
発見と切り口があります![]()
今は、通しで3回くらい読みましたが・・・
やっと本が手に馴染んだ程度です(笑)
まだまだ、生きている限り、読み直そうと思っています![]()
『 シベリアにて~愛と自由 』
( 引用始め )
この一事、つまり自分の一歩に堪えられずに、自首したという一点に、彼は自分の罪を認めていた。
彼は、どうしてあのとき自殺をしなかったのか?という問題にも苦しめられた。あのとき河の上に立ちながら、なぜ自首を選んだのか? 生きたいという願望の力がそれほど強く、克服がそれほど困難なものなのか? 死を恐れていたスヴィドリガイロフでさえ克服したではないか?
< 新潮文庫 (下)P.568 >
( 引用終わり )
金貸しの老婆及びその妹の殺害の罪により、ラスコーリニコフはシベリアの流刑地へ、七年の服役生活に入る。この時点では、まだ自らの「罪」を認めてはいない。唯一、自覚しているのは、刑法上の犯罪ではなく、非凡人が堪えてきた「一歩」を自らが堪えられず、自首をしたということだ。
なぜ、自首を選んだのか?なぜ、スヴィドリガイロフは死を克服できたのか?の疑問は、本人は気がついていないが、答えは明白だ。
ラスコーリニコフには、スヴィドリガイロフには与えられなかった「愛」と「神の存在」があったのだ。老婆殺しの際に、妹のリザヴェータを殺していなければ、罪の意識はなく、ソーニャの話にも耳を傾けなかっただろう。そのソーニャの愛により、この世に引き留められ、更生への道を歩む。神の采配としか思えない。
( 引用始め )
いったいどうしてあの人たちはおれをこんなに愛してくれるんだろう。おれにはそんな価値はないのに! ああ、おれが一人ぼっちで、誰もおれを愛してくれず、おれも決して誰もあいさなかったら。どんなにいいだろう!こんなことがいっさいなかったら!
< (下)P.526 >
( 引用終わり)
ソーニャだけではなく、ドォーニャや母の愛も大きく、「一歩」を進める要因にもなる。
愛とは、本人の意思にかかわらず、こんなにも大事な生きるための指針なのだ。
同じように、殺人を犯しながらも。他人に施しをしていたスヴィドリガイロフであったが、ドゥーニャに拒否された時点で、彼の運命は決まる。
罪の意識に苛まれながら娑婆にいるより、「獄に入れられて、自由になった」ラスコーリニコフ。やっとソーニャの愛を受け入れ、幸福を感じることができた。
本人は、まだ「愛」の力に気がついていないけれど。
だが、これから先、本当に罪を認め、大きな献身的行為で償っていくことができるのだろうか。
ラスコーリニコフの「新しいものがたり」を是非読んでみたい。
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