信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
 課題図書の感想文を提出させていただいていますニコニコ

 

  今回は、ドストエフスキーの『罪と罰』の感想です本

 言わずと知れた文豪ドストエフスキーの長編小説です。

 読書会に参加していなければ、生涯手を出すことがなかったと

 思いますてへぺろ
  今回は、ストーリーを追うことでいっぱいいっぱいで、
  深い読解までには到達していません汗
  この感想を書いて、約一年後にもう一度、課題図書に

 なったのですが、同じ本とは思えないぐらい感想も違っています。
 まさに、読み方によって、とても多面的で、まだまだ何回も

 読まなくてはと思っていますビックリマーク
 
 高利貸しの老婆を殺し、財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。
 独自の犯罪哲学を持っていましたが、良心の呵責に苦しみます。

 ラスコーリニコフの魂を救済するかのごとく出逢った娼婦の

 ソーニャとの行く末もなかなか重みがあります!!

 

 

  

『 一粒の麦 』

 

 貧困に喘ぐ頭脳明晰なラスコーリニコフは、『一つの悪事は、百の善行によって償われる』との自らの持論により、老婆殺しを決行してしまう。この老婆が強欲な高利貸しだった為、持論を盾にして「罪」の意識はなかった。ただ、自らの計画に関係のないリザヴェータを殺害してしまったところから、罪の意識に追い込まれる。

飲んだくれの父親と病気の継母を抱えるソーニャに出会い、なぜ自らより劣悪な状況であっても強く生きていけるのか、彼女に興味を惹かれる。娼婦に身を堕としてでも、信仰と清らかな心根を持つソーニャに、ラスコーリニコフは無意識に救いを求めてしまう。

彼女が嫌がっても、「ラザロの復活」(ヨハネの福音書第11章)を読んでもらうことに固執するラスコーリニコフ。くしくも、殺人により一度は精神的に「死んだ」ラスコーリニコフがラザロに、ラザロを肉体の死から蘇らせたイエスがソーニャに重なった。

貧民であったところは、ラザロとラスコーリニコフは共通点しているが、死後神の前で慰められるかという点では全く違う。信仰のないラスコーリニコフを見抜いていたソーニャは、自らを救ってくれた彼に寄り添うこと決めたのだ。

同じ聖書に「一粒の麦」(ヨハネの福音書12章)という「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、それはそのままで残る。しかし、それが死ぬならたくさんの実を生み出す。」という一人の犠牲によりたくさんの人が救われるという話がある。ソーニャは、「死んで」いるラスコーリニコフに、死んだ後ならまた新しく生まれ変われると説きたかったに違いない。信仰的に生まれ変わるのなら、罪を認めて世界中に懺悔せよと迫るソーニャ。実際に十字架を貰い、十字路に向かったラスコーリニコフ。彼は、生まれ変われたのだ!

 

ソーニャを偶然救ったことにより、『一つの善行が、百の悪事を償う』となったラスコーリニコフ。なぜなら、ドゥーニャに拒否されたスヴィドリガイノフは自害に行き着くしかなかった。彼にとってのソーニャがいなかったからだ。

ラスコーリニコフは思い違いをしていた。人間は「凡人」と「非凡人」で分かれていたのではなく、「信仰心」や「清らかな心根」で分かれていたということを。

 

 

 

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