今回は、夏目漱石の『三四郎』の感想です本

あまりに有名な作品なので、「読んだことあるよー。感想文書いたことあるよー。」って方が多いでしょうねウインク

私も、以前に読み流していた一人でしたが、感想文を書くことを前提に深く読むとなかなかディープな世界が広がっていました。

内容は、作者が得意な三角関係を軸に、上京したての青年(三四郎)を中心にストーリーは進みます。世慣れた感じの年上の美人に主人公が惹かれるのは、恋愛ものの常套ですね(笑)
ただ、登場人物それぞれが、自らの居場所を定められずに右往左往しているのです。子供の迷子なら、泣き叫べば、誰かが助けてくれます。「大人の迷子」はそうはいきません。自らの心の迷宮に迷い込んだままです。ただ、私見ですが、迷子になって初めてわかることもあるし、そんなに悪いことではないと思っています。迷いながら進む方が、すべてがクリアな人生より楽しいかもしれませんおねがい

そういうところが、ただの恋愛ものとは違う深い味わいがある作品だなと思っています。

 

 

「大人の迷子」トリセツ

 

 皆さん!テキストのP115・9行目をご覧ください。

「七つばかりの女の子」が迷子になった様子が描かれています。

その迷子の近くにいる野々宮、広田先生、よし子、美禰子、三四郎はどうにかしてやりたいと思いつつ、みんな持論を展開して、静観します。結局、迷子は巡査の登場によって解決しますが、ここで大事なことを大人五人は気付いていません。自分たちの方が迷子になっていることに…。子供の迷子は、親が見つかれば解決しますが、大人の迷子は自らが迷子をやめるまで解決しませんよ。

はい!復唱しましょう!

「大人はたいてい自らが迷子だと気付いていない。」

 

私は迷子じゃないって思っているそこのあなた!いえいえ、人間の居場所なんて死なないと手に入らないって私は思っていますよ。なぜなら、居場所なんて空を流れる雲のようにつかみどころがないんです。美禰子も流れる雲を指して、「迷羊」と言ってます。三四郎のように家族と離れて上京したり、結婚しても離婚し、友人ができても絶交し、親しい人が亡くなりと常に人間関係は動いています。感情は常に揺れていて、同じ状況は続かないからです。死んで墓の中に入れば、自らの意思や感情で動くこともありません。隣に家族が埋葬されているのか、無縁仏になって知らない人々と埋葬されているのか…そこが最終的な居場所のような気がします。

恋愛なんて、迷子の典型的な症状ですね。そこのところは、テキストの三四郎が体現しているので、もう一度復習してくださいね。でも、野々宮に粉をかけたり、三四郎を愚弄していた美禰子自身が大いに迷い込んでいました。結婚した夫君が最終地点なのかは…わかりません。美禰子もいまだ迷子のように見えますけどね。大人の迷子って厄介ですね。

でも、迷子で悩むことが生きている実感なのかもしれません。

さあ、復唱です!

「人間は迷子になるんじゃない。最初から迷子なのだ。」

 

え、私? 

私は、広島の実家から未踏の地岡山に、受験の為に降り立った十七歳の冬から今まで、ずっと迷子ですよ。いまだに戻れていません()

「迷羊…迷子…」結構素敵な生き方かも?!

 

 

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