今回は、梶井基次郎の『檸檬』の感想です![]()
私は、このタイトルで「檸檬(れもん)」という漢字を覚えました(笑)
檸檬のイメージは、昨今は「爽やか・青春・甘酸っぱい…」等だと思います
私もそう刷り込まれていて、どんなに爽やかで甘酸っぱい世界が広がっているのだろうと期待しながら、本を開きました。
すると、それとは真逆の世界観が広がっていて、私自身は逆に引き込まれました。
この小説の執筆当時の大正時代は、まだまだ檸檬が西洋からきた果物で、あのはっきりとしたレモンイエローに何か畏怖のようなものを感じていたのではないかと思います。
ラストに作者が「檸檬」を何に例えたか?は結構意外で、現代の私たちでは思いつかないかもしれません。
タイトルのイメージと真逆の世界観に是非触れてみてください![]()
『 檸檬 』感想 ~見つからない檸檬~
この小説を読み始めて、すぐに私は不思議な感覚に包まれた。だって、まさに私の心象だったから。
私自身、所用で県外の知らない土地に出かけることがある。その際、知らない駅、知らない街並み、絶対に知り合いに出会わない空間…等に辿り着くと、ふと自分が息をしていることに気がつく。何もかも見知った地元の空間で、自らが窒息していたことも同時に気がつく。かといって地元に罪はなく、ただ長年住んでいると空気が段々と濃密になっていき、いつのまにか息苦しくなるのだ。主人公の「私」が抱えている病気や借金のような明確な理由がない「不吉な魂」を、私自身も抱えている。
「私」が美しい音楽や詩ではなく、「見すぼらしいもの」に癒されるのは全く理解できる。美しいものに触れるには結構エネルギーがいるのだ。「私」が京都から逃げ出して、がらんとした旅館の一室で横になりたい…という思いも、私にとってはデジャヴだ。決して、家族や友人が一緒ではいけない。なぜなら、彼らは「自分自身」の一部だから。「私」と同じく「現実の自分自身を見失う」ことを楽しむことで「自分自身」に戻れる。決して、矛盾はしていない。私が「自分自身」が全くない場所にたまに行きたくなるのは、そういうことだったのかと合点がいった。
ふと「私」はベタ塗りのレモンエロウ色で単純な紡錘形の檸檬に出会う。今の心象では、色の濃淡があったり、形が複雑なものではダメなのだ。それひとつで完結して、何も思考させないものがいいのだろう。その檸檬でいったんは幸福になったが、やはり美しいものだらけの丸善は「私」にはハードルが高かった。しかし、「私」には檸檬がある!そのベタ塗りの檸檬にガチャガチャした色の階調を吸収してもらう。「不吉な魂」も丸善も檸檬爆弾で粉葉みじんだ!
あー、羨ましい。私にはまだ、「檸檬」が見つかっていない…。
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