『 山椒魚 』感想 ~蛙の意趣返し~
苔や黴が密生する暗い岩屋の窪み・・たまたま紛れ込んだ蛙にとって、そこはこれから始まる二年にも及ぶ苦闘の場所だった。
その岩屋には、自らの成長で外に出られない哀れな山椒魚がいた。悲嘆にくれる時期は過ぎて、山椒魚によくない性質を帯びて来たのが蛙にとって不幸だった。今まで水中を自由に動いていたことが、期せずして山椒魚を羨ましがらせたことも不幸に拍車をかけてしまい・・閉じ込められたのだ!
岩屋から出られない山椒魚にとって、本来なら自由に出られる蛙を自らの意思で閉じ込めておくことが生きがいになっていたに違いない。コロップの栓になることも神頼みも世間から目を背けることも、すべてやりつくした山椒魚は蛙の人生(蛙生)を支配できる全能感に酔ったことだろう。
お互いに自分の主張をしたり、相手の弱点を見抜いて悪態をつくという能動的な時期もやがて終わりを迎える。二年目に入ると、自らの弱みをみせない精神戦にシフトするのだった。どちらも、「現実」に落胆しているところを見せたら負けという膠着状態だ。
そんな折、不注意にも溜息を洩らした蛙を山椒魚は見逃さなかった。それは山椒魚にとっても喜ばしいことだった。自ら振り上げた拳を下ろすことができなかった山椒魚にとって、長い間共に戦った戦友のような心持ちになっていたからだ。仕上げは、自らの意思で蛙を許し、外に出してやり、再び全能感に浸る・・はずだった。
しかし、それは山椒魚目線であって、蛙にはそんな生易しいものではないはずだ。物理的に出られない山椒魚と違い、山椒魚の意思のみで自らの運命を左右されたのだ。
いよいよ動けなくなった蛙が「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。」という言葉を吐いた時、山椒魚は驚愕し敗北感に打ちのめされたに違いない。蛙が山椒魚に対して怒りながらも助けを乞い、最後には感謝される場面を想定していたと思うからだ。
でも、「現実」は甘くない。動けない蛙にとって、山椒魚に一矢報いるには、「最初」から恨んでいないという器の大きさを見せつけることだった。
自らが赦すつもりが「赦される」ことで山椒魚は負けたのだ。
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