今回のテーマは、ベルンハルト・シュリンク著の『朗読者』の

 

感想です。

 

「愛を読むひと」として映画化もされ、主演のケイト・ウィンスレットは、

 

アカデミー主演女優賞を受賞しており、ご存知の方も多い作品だと思います。

 

日本では、「文盲」といわれる文字を読み書きできない人は、

 

限りなく少なく、全員が読み書きできることが

 

「当たり前」の世界だと思っています。

 

しかし、その「当たり前」が当たり前じゃなくなった時、

 

人はどのようにその事実と向き合うのか・・・

 

年齢の離れた女性を愛した少年の目線で、

 

時に官能的に愛することの切なさが描かれています。

 

映像でもよいので、是非この作品に触れてみてください・・。

 

 

『 朗読者 』感想 ~愛する切なさ~

 

 私は、以前にタイを旅したことがある。もちろん、言葉はタイ語圏で、その文字は全くわからない。英語圏におけるアルファベットや東アジアにおける漢字のように、その言葉の意味を推測する手掛かりは全くない。でも、私は何も感じなかった。それは、数日間だけのストレンジャーだとわかっていたからだ。

しかし、それが母国で文盲であった場合、そうはいかない。普段は意識せずとも、まず文字ありきの世の中で、現代であればSNSの基本は文字だ。

だから、ハンナのアイデンティティが文盲によって形作られ、それを覆い隠すことが彼女の人生になってしまったことは、避けられないのは理解できる。

 

ハンナが、文盲になった経緯は定かではないが、ミヒャエルと出会い、そのゆがんだアイデンティティから解放される機会はあったのだ。

ハンナは、ミヒャエルの学力を心配し、性的にも受け入れていく。だが、彼女は自尊心を守ることを選ぶ。それにより、ミヒャエルが傷つくというループも終わらず、結果的に彼からも逃げてしまう。

 

ハンナが、ナチスの戦争裁判にかけられ、彼女の人生の舵も大きく変わるはずだった。でも、彼女はミヒャエルの存在を感じても、文盲を隠すことにしか尽力しなかった。文盲故にナチスの親衛隊に入り、思想的な信条は何もなかったハンナからすると、自ら麻痺させることで粛々と生きてきた。だが、それによって断罪されても、彼女は変わらなかった。なぜなのか、私は彼女の心の深淵に、まだ辿り着かない・・。

ミヒャエルも、かつて愛した女性の裁判を傍聴するには、自らを麻痺させるしかなかった。

 

ハンナの収監後、朗読テープをミヒャエルは送り続ける。私は、ハンナが字を書けるようになっても、距離を保ったのは、近づけば再び彼女に溺れてしまう自分が怖かったからだと信じたい。ハンナも、あれだけ頑なだったのにも関わらず、手紙を書けるようになり、やはり彼をいまだ愛していたのだ。ただ、彼女が自死したのは、自分の存在が彼にどんな影響を与えるか理解していたのだと思う。彼が、彼女の自死について、少しほっとしたことは、かなり切ない・・。

 

 

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