今回のテーマは、あの太宰 治氏の「人間失格」の感想です![]()
あまりにも有名な作品で、みなさん一度は名前をきいたり、
読んだことがあると思います![]()
主人公の「恥の多い生涯を送ってきました。」というセリフも、
「二十世紀旗手」という作品の「生まれて、すみません。」と同じく、
印象に残るもので、この一文だけでもすごい作家だとわかりますね。
読んだ人それぞれの環境や年齢で、
感想の違いがすごく顕著に出る作品だと思います![]()
たくさんの解説や感想がネット上にもあふれていますが、
私なりの私見ということで、読んでいただけたら嬉しいでっす![]()
『 人間失格 』感想 ~ 「自然体」という罠 ~
私は、大庭葉蔵が特別な人間だとは思わなかった。
寧ろ、葉蔵はありふれた、そこら辺にいる人間だ・・と感じた。
葉蔵自身が張り巡らせているアンテナの受信感度が良すぎて、「自分が人を欺いている」「道化を演じている」と自覚しているだけなのだ。
大抵の人間は、自身が自覚していないだけで、自分は葉蔵よりもまともだと思うに違いない。
竹一は、見た目とは正反対の鋭い指摘で、葉蔵を驚かせる。
豪放磊落な堀木でさえ、実家では母親に従順な息子なのだ。堀木の場合は、どちらを演じているかはわからないが。
ヨシ子にいたっては、「信頼の天才」になりきることで、人を疑う苦しみから逃れているようにしか見えない。それは、酒と女に溺れる葉蔵と苦しみの逃げ方のアプローチが逆なだけで、自分を欺いていると思う。
葉蔵は、裕福なことと生まれながらの美貌があったために、彼の言う「恥の多い生涯」を送ることになったが、それは葉蔵だけの問題ではない。
みんな、自分の持っている環境で、それぞれの「恥の多い生涯」を送っているのだと思う。ただ、葉蔵と違って自覚がないということは、幸せなことだ。葉蔵に人と違う不幸があったとしたら、それは「恥の多い生涯」を自覚していたことだ。
逆に葉蔵の幸せとは、「人を欺いて」はいたが、自分自身は欺いてはいなかったことだと思う。
葉蔵こそが、「自然体」で生きてきた。近寄ってくる女性にその都度はまり、逃げるために酒やクスリに人目も憚らずに溺れる。なかなか、そうしたくてもできない生涯だ。
だが、本当の意味での「自然体」で生きられるのは、3歳ぐらいまでであろう。何のしがらみも駆け引きも関係なく、自分の意思だけで行動できるのは。4歳にもなれば、どんな人間も道化を演じたり、人を欺いていく。それは、人間の性だ。伸び伸びと生きているようにみえる人間だって、「自然体」風を演じているだけだ。
だから、私は葉蔵の中に、私自身を見つけてぞっとした。決して、他人事ではないのだ。
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