今回のテーマは、「 教育 」です。


「教育」って、日本では当たり前に受けれる権利なので、


普段は、意識していないですよね目


幼い頃は、学ぶ意味すら理解できなかったけれど、


今から思えば高校までは、


「 学ぶ 」ための地力を養う期間なのだと思います。


スポーツでいえば、基礎練習ですね。


私は、テニスをしていたのですが、


基礎練習はツライし、なぜ走るのか、なぜ筋力をつけるのか、


理解せずにイヤイヤ行っていました走る人


基礎練習の意味をきちんと理解していれば、


もっと伸びたかもしれませんね (笑)


私は、教職を持っているのですが、


教職資格の勉強中は、「教える」ことのみしか、


頭にありませんでしたあせる


「教える」ことは、「育てる」ことに比べたら簡単です。


「育てる」ことは、一方的ではできません汗


教える方も、教えられる方も一緒に成長しなければ、


「育てる」ことにならないのです。


世の中のママたちが悩む「子育て」が顕著な例でしょう。


こんな簡単なことに気が付くのに、


すごく時間がかかりました。


もう一度、「教えて育てる」(教育)という意味を


考えてみませんかはてなマーク



『 学びの芽 』

 

 私が以前の職場で、福祉機器の部署に配属になった時のことである。

消防学校から車いす実習の依頼がきて、私がその担当になったのだ。

消防学校といえば、高い競争率をくぐり抜け、厳しい訓練を日々こなし、高い意識をもって研鑽しているイメージがあった。こちらも実習を主宰する側として、人命にかかわる仕事をする若者に対して、襟を正す思いで実習の準備を進めていたのだが・・。

 

実習当日になり、生徒たちと対面した際に、そのイメージは脆くも崩れ去った。二十歳前後の男の子たちが二、三十人も集まれば言わずもがなだった。車いすをおもちゃのように乗り回し、奇声をあげて騒ぎだした。私は、怒鳴り声で彼らを制圧するしかなかった。

彼らからすると、同年代の女性の指導をナメていたのだろう。

なんとか、実習のプログラムを終了させたが、これが未来の消防士だと思うと、暗澹たる思いがした。実際、高齢化が進み在宅介護が増えている現状では、自宅での車いす利用者が増えている。彼らには緊迫感がないのだとあきらめていた。

 

ところが、実習後の待合室で、新聞を広げた彼らの態度は一変した。

「○○で火事があったんじゃ!」「消防車は、何台出動しとる?」と真剣に火事の記事を読み始めたのだ。一紙につき五、六人が取り囲み、ほぼ全員が真剣な眼差しで火事の記事について議論を始めたのであった。

その姿を見た私は、なぜだかほっとした。彼らにも、消防士としての「学びの芽」はちゃんとあったのだ。

 

教育とは、その字のごとく「教えて育てる」だ。「教える」だけなら、知識の刷り込みだけで済む。学びの芽を育て大木にするところまでで、やっと「教育」なのだと実感した。

だから学校は、塾とは根本的に違うのだろう。

私は、彼らとは一日だけの付き合いで、「教える」ことだけしかできなかった。

しかし、私の見つけた学びの芽を彼らはきっと育て上げ、現場で人命を救う立派な消防士になっていると信じている。




 私事ですが、スカイプでの読書会を主宰しています本

 

 私も初めてのことなので、一緒に楽しく本を読んでいくという


 スタンスなので、ご興味のある方は、


 お気軽に お問い合わせ くださいね。


 より深い読書会をご希望の方は、


 信州読書会 さんのスカイプ読書会 がオススメです晴れ

 

 信州読書会 さんの『 column bar 信州 』 に


 参加させていただいています。


 信州読書会さんのYouTube音声 からメルマガ読者になれば、


 どなたでも参加できますよメモ




にほんブログ村