今回のコラムのテーマは、「 秩序 」です![]()
普段、普通に生活していると忘れ去られているテーマです。
忘れているぐらいが、幸せなんだと思います![]()
信州読書会
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『 無秩序なるもの 』
私は以前、子供が苦手だった。
予測不能な動きやこちらの都合お構いなしの突飛な言動に対して、がっつり向き合ってしまう私の性格からだった。
私自身は、社会や人間関係についても、ルールを守ることに対して何の抵抗もなかったし、「秩序」は心が落ち着くもの、もしくは美しいものだと考えていた。
毎日の生活の中でも、自分が決めたとおりに予定をこなせると気持ちがいいし、逆にそうでないとイライラしてしまう。
こういう性格も手伝ってか、「秩序」とは対極にある子供や赤ちゃんに対して、苦手意識ができてしまっていたのだろう。
しかし、「無秩序」だと思っていた赤ちゃんと向き合った時、私はとんでもない考え違いをしていたことに気がつかされた。
人類は二足歩行をするようになったが故に、産道が狭くなり、未成熟のままで赤ちゃんを産むようになった。そうなると、他の哺乳類の赤ちゃんと比べるとまだ庇護が必要な状態で外界に出てしまう。他の哺乳類と比べると、あと八か月くらい母親のお腹にいてもいいそうだ。
赤ちゃんがあんなに必死に泣いて、自分の空腹や排泄、快・不快を訴えるのには、本能として生きるための「秩序」が存在したのだ。
まだ自分では何もできない時期に強制的に産み落とされた赤ちゃんは、実は成長したどんな大人よりも強固な「秩序」を保って、精一杯命をつないでいた。
既に大人となって社会生活をしている人間のほとんどは、「社会秩序」という概念を身につけている。それは、人間社会の中では必要な概念であるが、赤ちゃんの持つ本能としての生きる「秩序」に比べて、どうしても後付けの概念になってしまう。
生物の種の繁栄としての本能の「秩序」の前には、「社会秩序」のような後付けの概念は、ひれ伏すしかないのだ。
だから、大人も赤ちゃんの生きる本能に呼応して、一生懸命に育てることができるのだと思う。
そのことに気がついた私は、今では赤ちゃんを見ると、涙が自然に出てしまうぐらいに変わった。心から愛おしいと思えるようになった。
そんな私を見て、以前の子どもが苦手な頃を知っている友人は、いぶかしそうにいつも首をひねるのだった。
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