またまた、なんだか
BIGなタイトルつけてしまいましたょ
今日は、こころと宇宙について書いてみます。
私は科学者でもないですし、知識的に欠落している部分も多いかとおもいます。
が、
科学するということは、どんな分野においても大切なのではないかなと思います。
今は、家電製品、例えば「冷蔵庫」があります。これは不便な生活を快適にするために、開発され、改良されてきたものですよね。
「千歯こき(稲を脱穀する農機具)」だって、絶対当時の人便利だったと思いますよ!(1688~1704年ころから大正時代まで使われていた※広辞苑第6版より)
220年位使っていたんですから
何を言いたいのかというと
どちらも「不便」ということを科学していった結果、生まれたものではないでしょうか。
不便⇒効率を上げたい⇒どうしたらいいか⇒試行錯誤⇒
その結果、「便利なもの」ができたりします。
科学、科学と言っても
情報が過多な社会になり、
それ自体が弊害になっていたりもしています。
私はパソコンで文章を打つおかげで漢字を忘れている…(-_-;)
話が脱線しました。
「宇宙がマクロの神秘であれば
人体はミクロの神秘である。」
宇宙のことは、まだまだ分かっていないことが多いです。(でも、ニューホライズンは、そろそろ冥王星の探査に入ったのかな?こちらもとても楽しみです。)
同じように人体のことも、まだまだ分かっていないことが多いのです。
化学の原子模型を見ると
つくづく
宇宙みたいだなあ・・・と
思ってしまいます。
今では、地球は自転しながら、太陽の周りを回っているということがわかっていますが、
天動説(地球が中心という考え方)と地動説で対立していた時代もあります。
今では当たり前のことでも、その当時にしてみれば異端なことで
「これが正しい」というガリレオ・ガリレイの主張は、当時の世の中や権力につぶされてしまう形になりました。
国によっては
昔の人は、太陽が海に沈む
海の果ては大きな滝になっている
という考えもありました。
既存の理論体系や多数派が正しいとは限らない。
私は、ものすご~~~~く
嫌なことがあった時
宇宙のことを考えて
逃避していました。
「あ~今見えている光は、何億年も前の光なんだ!恐竜がいた時代の頃の光なのかなあ。」
地球にいたらすごく嫌なことでも
地球の外から見てみると
「すご~~く私の考えている悩み小さい!」
と、ちょっとしたことなら、すっきりしたこともありました。
あ、でも念のため・・・
悩み自体を
「些細なこと」として片付けるわけではないですよ。
どの、視点から
ものごとを考えるかということは
とても大切なことなんじゃないかなあという
既存の体系や理論を覆してみることも
時には必要になるかもしれませんょ!
ということを言いたかったのです。
こころを考えていくときに
内的思考も大切ですが
時には
地球の外まで出て行って
外側から考えてみると
新しい発見ができるかもしれないですね
なんだか、まとまらないけど
まとめちゃえ
ブログランキングに参加しました。 ポッチとよろしくお願いします☆