人生の時間
今週の水曜、父が入院しました。
先週の日曜朝に救急車で運ばれ、その後一旦帰宅はしたものの
その3日後に別の病院で即入院との診断。
この1週間は父にとっても家族にとっても
まさに怒涛の日々だった。
家族みんな衝撃でとまどいながらも、パニクってる暇もなく
入院手続きや病院や関連施設などへの連絡など、準備に奔走した日々。
人生でも極めて特殊な、非日常な1週間。
ぶっちゃけ、
この1週間で1ヶ月くらいの感覚だった![]()
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※ちなみに写真のケータイは父のもの。病室に持ち込めないので家に持って帰ることに。
新しくなったのが嬉しくて、いつも肌身離さず持っていたんだけどね。
このブログでも父や母の写真をたくさん載せているし、
母と旅行や買い物に行ったりと
『仲良しでいいね!!』『親孝行だね〜』とたくさん言っていただきますが
実は、夫婦や親子、姉妹などそれぞれ家族間での口喧嘩も多々あり
その都度、ほころびながらも乗り越えてきた家族でもあります。
でも、家族を思う気持ちはそれぞれに同じだと思う。
毎年、家族の誕生日やクリスマス、お正月やお盆には集まって
家族でお祝いしていた私たち。
つい先月、4月23日の誕生日に姉からの電話に応える父。
コロナ禍ですが気持ちだけでも、と
近所にある仕出し弁当の宅配と、美味しいケーキでステイホームなお祝い。
今回の父の緊急入院。
それに加えて、母もちょっと会話がかみ合わないことが多くなり
聴力も衰えてきてる・・・
(右耳は以前から聞こえないけど、左耳も聞こえにくくなってるらしい)
昨年あたりから、父も母もぐっと弱ってきたなあと思っていたけど
気づけばかなりまずいレベルになってる![]()
父や母の異変を
もっと敏感に察知してあげればよかった。
毎月実家に帰省しては身近で両親を見ていたはずなのに、
私は一体なにをしてたんだろう、、、、
平たく言えばこれは
「両親の介護がはじまった」ということになるんだろうけど、
そんな安易な言葉ではすまされない、
もっと特殊でもっと重い感覚、、、、
人生の最期の時間を
なんとか紡いでいくような感覚というのだろうか。
私がひとつ年をとるたびに
両親はもっと年をとる。
当然、高齢になるほど、心身の衰えは免れない。
当たり前と言えば当たり前だけど、
私はそれを認めたくなくて、見て見ぬフリをしていたのかもしれない。
高齢者は一般的に軽く扱われたり、医療放棄されたりと
そんな話もちらりと聞くけど(もちろんそうじゃないと信じたい
)
これまでの日本を背負って戦中・戦後を一生懸命生き延びてきた人たち。
医療に限らず、社会的な孤立や意欲の低下、
高齢者心理への理解など、大切なことはたくさんある。
最近は父や母の【人生の時間】に
ふと思いをはせることが多くなった。
私は高齢者こそ、
豊かで幸せな気持ちで生きてほしいと思うし
私自身も人生の最期は幸せな気持ちで過ごしたい。
それは、人間として守られるべき尊厳だと思う。
日本の医療、介護システム、
こころのケア、医療機関のスムーズな連携、、、
問題は山積みのように感じます。
最近、家族のブログが多かったのも
無意識のうちに人生の時間を感じ取っていたからだと思います。
参考までに、、、
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