BSP(ブレインスポッティング)は「二重同調モデル」による心理療法である。これはSiegelによる「対人神経生物学モデル」と似ている。二重同調とは、対人関係モデルの中心である、セラピストのクライエントに対する関係性の同調(共感)と、特定され活用されるブレインスポットから生じる神経生物学的な同調の組み合わせである。

そしてBSPでは「どこを見るかで感じ方が変わる」と仮定されており、視点の違いは特定の神経活動や内的経験と関連があると考えられている。またBSPでは、トラウマは経験の断片を未処理のままにさせて、神経系の中で処理の完成を邪魔するものである、と考える。BSPではセラピストはクライエントの問題に対する解決法を導き出す存在としては捉えない。問題(あるいは未処理のトラウマ)が脳の中で溜まってしまうように、問題に対する答えあるいは解決法は、クライエントの神経系に可能性として同様に潜んでいる。

セラピストの関係性的な、または神経生物学的な同調の支持的な枠組み(二重同調フレーム)が、クライエントの脳における内的コミュニケーションを高めその脳の持つ適応力・復元力を高める手助けをし、問題の解決をもたらすと考えられているのである。

 

BSPセラピストSさんのオフィスを訪れた私は、そのパーツを思い浮かべ招き入れ、それがいるとイメージされる場所を見た。それは3、4歳の小さい子だ。そして、その子の苦痛を感じる自分の身体感覚と対応する目の位置を見つけていった。その方法はインサイドブレインスポッティングと言う。私はやや右上を特定し、Sさんはそこにポインター(指示棒)の先端を固定した。私の目からもセラピストの目からも涙が流れ始めた。親の日常的な、不条理で一方的な叱責への怒りと圧倒的な孤独の中にいるその子の心に、どんな救いがあると言うのか?私の脳の中に最適解があるという理屈は知っている。それに私自身も私の元を訪れるクライエントがBSPで思いもよらない答えにたどり着く過程をたくさん見てきている。しかし30分…40分…涙と時間だけが流れ、残り時間はたぶんあと10分ほどだろう。しかし何も変化がなかった。

 

ふと私は気がついて言った。

「私、間違えていた。この子は思った以上に重傷だわ。ほとんど死にかけてる。

もう何をしてもどんな方法によっても癒されることは無いと思う。これまでだって色んなことを試してきたけど何も変わらなかったし。

今私にできることは、どうやってその子を成仏させてあげられるかしかないんじゃないかな…。」セラピストが耐性の窓を越えて嗚咽しているのを私は不思議に思いながら目の端で見ていた。

 

かつて、圧倒的な孤独の痛みと重さにただひとりで泣いているその子の傍に、ある日、主が臨在した。その光景はこれまでも何度も見ていた。それでもその子の孤独は決して癒えることはなかった。

でも今日は何かが違った。その子が主の傍に歩み寄っていった。そして主の腕に抱かれてそして召されていったのだ…。

「身体はどうですか?」セラピストがたずねた。身体感覚は大切な指標である。

「力は抜けています。」私は答えた。

思考がついていかなかった。私の一部が召された、つまり死んだのだ。しかも私の中の感情の大きな部分が。ではここに残った私は何なのだ?抜け殻か?どう捉えたらいいのだ?

思考はもっともらしい理屈をこしらえようと右往左往した。しかし、皮質下の深い脳が平安を感じているのは間違いなかった。そして、身体の密度が高くなっているような感覚に気が付いた。なんとも不思議だ。自分の一部がごっそりなくなったというのに…。

つづく