昨日、ある組織の混沌に巻き込まれたことで、
私の身体と神経系がずっと小さく「危なかったよ」と警告を出していたのに、
そのサインを言葉として理解できるまでに、丸一日かかりました。

 

昨日の出来事が、思った以上に私の神経系にダメージを与えていたことに、

今日の午前中になってようやく気がつきました。

 

気付いた瞬間、

身体のどこかが「ふっ」と緩んで、

胸の奥にあった張りつめた膜が少しだけほどけて、

半分くらい呼吸が戻ってきた感じ。

 

「これはトラウマ化しているレベルだ!!」

と、言葉としてはっきり認識したことで、

“これは危険な出来事だった” という私の神経系の言葉、

つまり感覚が、意識に翻訳されたのです。

 

その“気づき”そのものが、

大きな回復の第一歩になったのでした。

 

■ トラウマは「大きな事件」だけで起きるわけじゃない

 

多くの人は、

トラウマと聞くと “劇的な出来事” を想像しますが、

実際にはそうではありません。

 

私が昨日体験した、その組織での

 

境界線の崩れた人間関係や、

役割が曖昧な組織の混乱、

責任の押しつけ、

予測不能な決定……

 

こういった “社会的カオス” は、

人間の神経系にとって

とても強い脅威刺激になります。

 

むしろ、

大きな事件よりも、

「安全だったはずの場所が突然カオスになる」ほうが

神経系のダメージは大きいことがあるのです。

 

■ 私に起きていたのは「過覚醒+収縮」の反応

 

昨日の私は、まさにこれでした。

 • 何が起きたのか理解でき過ぎてしまう

 • システム全体が崩れていく未来が見えてしまう

 • 誰が責任を回避しているか一瞬で読めてしまう

 • どこに危険があるか身体が察知してしまう

 

こういう時、神経系は一気に “戦闘モード” に入ります。

 

その後、

「これは私にはどうにもできない」と感じたとき、

身体が急速に収縮し、

冷えたり、疲れを感じたり、呼吸が浅くなったりします。

 

これはすべて 正常な生理反応 です。

精神力が強いとか弱いとかの問題ではありません。

トラウマ領域で言われる、

“異常な状況での正常な反応”

 

■ 「トラウマ化してる」と気づいた瞬間、神経系が緩んだ

 

不思議なことに、

人は “名前をつけられないストレス” に最も弱い生き物です。

 

逆に、

「これはトラウマ反応だ」と理解した瞬間、

身体は 分類” と “意味づけ” ができて、

脅威のレベルが下がります。

 

まさに、今日の私はそれでした。

 

気づいただけで半分楽になる——

これは臨床でもよくあることです。

 

■ トラウマ反応を感じたときの私の応急ケア

昨日〜今日の私がやったことを、簡単にまとめます。

 

● 1. 距離を置く

 

その話題・その人・その場所から離れる。

 

● 2. 身体を広げる

 

背中・胸・脇を開いて呼吸を取り戻す。

 

● 3. 地面を感じる

 

足裏を押して戻す。

 

● 4. “安全なつながり” を思い出す

 

信頼できる人や場所を思い浮かべる。

 

● 5. 自然に触れる

 

私の場合は庭・森・畑が最強のアンカー。

夕方、裸足で畑を耕してアーシング。

これはマジ最強!!

 

すると、

過覚醒だった神経系が少しずつ ventral(社会神経)に戻っていきました。

 

■ 最後に:

もし同じように

「組織の混乱」や「人間関係の曖昧さ」で

身体が強く反応してしまった経験がある方がいたら——

 

どうか覚えていてください。

 

それはあなたの弱さではなく、

あなたの身体が “危険” を正しく察知しただけです。

 

気づくことは癒しの第一歩。

そして、気づいたあなたの神経系は

ちゃんと回復の方向へ動き始めています。

 

 

カウンセリングルーム・フォレスティエ

forestier-counseling.com

ときどき、「しばらく頑張りすぎていたんだな」と気づく瞬間があります。

 

それは、身体の感覚でわかることが多いです。

 

呼吸が浅くなっていたり、

胸のあたりが固まっていたり、

まわりの音がうるさく感じられたり。

 

言葉にはならなくても、

心と身体はちゃんと「今の状態」を知っています。

 

飯能の森にいると、

風や光や土の匂いが、

「もう、急がなくていいよ」と

静かに語りかけてくるようなときがあります。

 

それは、

心が元の場所に戻っていく瞬間。

 

回復は、“頑張ってするもの” ではなく、

自然と起こるものなんだと思います。

 

トラウマケアでも同じで、

心をこじ開けたり、

無理に前向きになる必要はありません。

 

その人のペースで、

身体の安全を取り戻していくこと。

 

そこから、少しずつ、

呼吸が深くなり、

感情に柔らかさが戻り、

生きる方向性が自然と動きだします。

                                                                      

ここ・カウンセリングルーム・フォレスティエは、

「心が元に戻るための、森の小さな場所」でありたいと思っています。

 

もし今、

少ししんどさを感じていたら、

いつでも。ゆっくり、来てくださいね🌿

 

カウンセリングルーム・フォレスティエ|埼玉県飯能市の臨床心理士・公認心理師による心理カウンセリング

 

 

NPOの定例会議で、ちょっとイラッとした。

というか——正直、何度もイラッとしてる。😅

 

毎回のように、ある人がひと言で済む話を10分以上うだうだ語るのです。

(しかも、内容がない。笑)

 

その人の話が続くあいだ、私はだんだん体が固まっていくのを感じていた。

“あぁ…私の時間がなんか毛虫にワシワシ喰われていくような…”

そんなイメージが浮かんだ。

ボディランゲージも拒絶を表していただろう。

 

 

でも私は新参理事。

先輩方が誰もツッコまない空気の中で、まさか口出しできるわけもなく。

みんなうつむき気味に、大人の微笑みで時が過ぎていく——。

 

 

そんな中でふと気づきました。

「このイラッ、ただの我慢の限界じゃない。

私は“時間を大事にしたい”だけなんだ。」

 

怒りって、“嫌な感情”というよりも、

「ここは大切にしたい!」という境界線センサーなんですよね。

 

だから私は、怒りに飲み込まれないように、

内心でそっと実況してみました。

 

「今、私はイラッとしてる。

それは、“私自身とみんなの時間を守りたい”気持ちからだ。」

 

そうラベリングしたら、少し笑えてきました。

(なんだ、怒りって“正義感”の別の顔かもしれない。)

 

 

もちろん、だからといってすぐに変えられるわけではありません。

長年続いてきた会の空気には、それなりの歴史とバランスがあります。

 

でも、だからこそ小さな気づきが大事。

「みんなが安心して率直な意見を出し合える会議って、どんな空気だろう?」

その問いを、まず自分の中で大事にしていきたい。

 

それだけでも、心の中に少し風が通る感じがしました。

 

 

心理士の目から見た「このNPOの会」のダイナミクス

 

この出来事をきっかけに、

改めてこのNPOの、定例会議という場を心理士の目で眺めてみました。

 

身近な里山の自然を、何十年も守り続けてきた尊い活動の場。

「自然のために」という純粋な思いが長く受け継がれています。

エコツアーなどで収入があっても、スタッフは全員完全ボランティア。

スタッフ報酬は寄付という名目で会に納められた形になる。

 

でも最近、ふと思うのです。

「自然のサステナビリティ」は掲げられているけれど、

「人のサステナビリティ」はどうだろう?

 

長く続く活動の中で、

“無償で頑張ること”がいつの間にか当たり前になり、

一人ひとりの疲れや不満が声に出しづらくなっている。

 

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プロセスワーク的に見れば、

これは「自然を守る」側のエネルギーが強くなりすぎて、

「人を守る」側の声が、場のエッジ(境界線)に押しやられている状態。

 

そのエネルギーが、時に“話が長い”とか“強く指示的になる”といった

形で現れるのかもしれません。

場のバランスをとろうとする、無意識の動きです。

 

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怒りを感じた自分を通して、私は少し理解しました。

森を守ることと、人のこころを守ることは、同じ循環の中にある。

 

人のサステナビリティも保たれること——

つまり、安心して関わり、声を出せることが、

結果的に自然のサステナビリティにもつながる。

 

だから私は、

このNPOの一員として、

小さな気づきや優しい言葉を通して、

“人と森、両方が呼吸できる場”を育てていきたいと思っています。 🌱

 

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まとめ

・イラッ=悪ではなく「価値観センサー」

・怒りの下には“守りたいもの”がある

・自然のサステナビリティには、人のサステナビリティも欠かせない

 

 

先日、複雑性トラウマのクライエントさんの方から「マインドフルネスって効果あるのですか? 」と聞かれた。

 

実はワタクシ、何十年もTM(超越瞑想)をやって来ましたが不安が減る実感は正直ありませんでした。でも、最近数カ月、マインドフルネス瞑想に浮気してみた(^^♪――効果検証のために!! です――すると……お!!気づいたら不安になることが減っているではありませんか。たぶん、今までだったら不安が掻き立てられるだろうシチュエーションでも、すっと不安が収まる感じに気が付いたのです。

 

マインドフルネスによる脳機能検証は、特に海外でたくさん行われていて、特に不安の中枢である扁桃体が沈静化することが確認されています。その他、記憶力向上・集中力の向上など、自律神経を含む脳機能全体が良くなるといわれているのは前から知っていたけど。

 

で、そのクライエントさんにマインドフルネスのやり方をお教えし

「できれば最初は10分くらいでいいので、毎日やってみてくださいね。」と伝えました。

正直、あんまり期待はしてなかったのだけど――(^-^;

というのは、これまで色々なクライエントさんにマインドフルネス教えたけど、長続きした人あまりいないんですよ (*_*;。

 

 ところが約1か月後、くだんの彼女「これまですぐに疲れてしまっていたけど、最近作業時間が1.5倍位に伸びた」と報告してくれました。聞けば彼女は毎日マインドフルネスやっているとのこと。私はその努力と効果をたくさん承認し労って――

 

 約2か月後…会話の感じが今までと違う。過覚醒(過剰に過敏な反応)が減っている。

それを伝えるとクライエントさんはとても嬉しそう。

 

それに私自身の逆転移(カウンセラーがクライエントに対して無意識に抱く感情や反応)が楽で、緊張が少ないことに気が付きました。

 

「不安への耐性が高まれば、彼女のようなトラウマ由来のネガティブな記憶にもとらわれにくくなり、ピリピリした過覚醒状態も落ち着き傾向になるのではないかな?」と思って調べてみると、やはりマインドフルネス(今この瞬間に注意を向ける訓練法)は、不安中枢である扁桃体を鎮める=イコール不安耐性を高めることなわけで、それはストレスホルモンの減少につながる➠覚醒度が極端にならない。という好循環になるてぇからくりなんでしょうね。

 

マインドフルネスが記憶に与える影響

1.    ネガティブな言葉の想起が減る

 

オランダの研究者たちは、大学生に短時間のマインドフルネス誘導を行い、その後で「ポジティブ語・ネガティブ語」を混ぜたリストを思い出してもらいました。すると、マインドフルネス群はネガティブ語の再生率が下がり、ポジティブ語には変化がなかったのです。

つまり、ネガティブな情報が優先的に記憶されるバイアスを弱める可能性が示されました。

 

2.    記憶の「過一般化」が改善する

 

うつ病の既往がある人は、具体的なエピソードを思い出す代わりに「いつも失敗する」といった抽象的な記憶に偏りがちです。これを過一般化自伝的記憶と呼びます。

研究では、この過一般化が減り、より具体的で中立的・ポジティブな記憶を想起しやすくなることが報告されています。これは再発予防のメカニズムの一つと考えられています。

 

ただし結果は一様ではない

一方で、短期間のマインドフルネス講座では「ネガティブ語の再生に大きな変化はなかった」とする研究もあります。つまり、効果を得るには一定の期間や質の高い実践が必要だと考えられます。

 

日常へのヒント

こうした研究結果から見えてくるのは、

  • 不安をゼロにすることは難しいが、
  • 「ネガティブに偏った記憶のクセ」をやわらげることは可能、ということです。

 

日常にマインドフルネスを取り入れることで、不安に支配されない記憶スタイルを育てられるかもしれません。たとえば、呼吸に注意を向ける短い瞑想を数分行うといったシンプルな実践でも、小さな変化のきっかけになります。

 

カウンセリングルーム・フォレスティエでは、通常のカウンセリング、トラウマ処理の他に、マインドフルネス瞑想のやり方もご指導いたします。長年の瞑想歴を持つカウンセラーと一緒にマインドフルネスを体験することは、脳波の同調も相まって深い体験をすることができるかと思います。

 

お問い合わせ カウンセリングルーム・フォレスティエ (飯能市)

またもやブログをごぶさたしてしまいました…( ;∀;)

が、もっと肩の力を抜いてゆるくやればいいのでは? 

…で、こころ新たにゆるゆるいってみま~す! 

 

毎日、〝暑い〟しか言葉が無いですね。

ということで本日エコサイコロジーのフィールドに

クライエントさんをお連れしました。

 

街中は、吸い込む空気さえオーブンの中のようでしたが、

川岸のよく手入れされた竹林の中は静謐で涼しく、

しかも日曜というのに人も居らず、別世界の時空間。

 

まさにエコサイコロジーのためにしつらえられたよう(^O^)。

 

今日のこのクライエントさんのテーマは、他者との親密さがよくわからない、

関係性をどんな風に構築したらいいのか?というものでした。

 

軽い変性意識下に私がガイドして

クライエントさんのテーマに呼応する、地球上のどこかの場所を

一緒に探していく…。

 

ゆったりと大地に身体を揺り動かされるのに任せていく…。

 

すると、なんと!クライエントさんは

(この暑いのに)「雪の中で守られているみたいに感じます」

と言ったのです。

あんまり突拍子もないことは言わない、まじめな方なので

ちょっとびっくりするワタシ…。

でも私も同調しているので、さらにチューニングしてみると、

雪のかまくらのほの暖かさと、ろうそくの灯りを纏ったような

郷愁が心に立ち上がって来る…。

胸の奥が少しきゅんとするような、懐かしさとあたたかさ―

 

この守られた中にある安心感、親密感、そしてその身体感覚こそ、

クライエントさんの問いに対する自然からのメッセージでした。

今・ここで、彼女は言葉の次元でなく、身体感覚で関係性に触れたのです。

 

深層の自然の恩寵と深層の自己は、確かにつながって呼応している。

それを今、ここ、で感じられるようエコサイコロジーは誘います。

 

今年は、今後100年で最も涼しい年になる予想とか…(*_*;

 

自身の問題に対して内なる自然を整え癒すことが、

外なる自然も癒すことにつながるはずです。

何故なら私たちは自然の中の一部であり、

フラクタル(部分が全体と相似形を有している)

なのだから。

 

またしても、投稿の間がとても空いてしまいました(+o+)。

 

六本木ヒルズにある心臓の専門クリニックにて、精密や、ホルターつけて24時間心拍数を測る検査までした結果は……何も異状なし。「心筋の機能もとても良いですよ」と医師の弁。

当然、何の処方も無し(*_*;

 

はてさて、それでも1月から続く心臓のドックンドックンは相変わらずで鬱陶しい。

 

というか、数日前にはまるで心臓が子宮になったような体験をした。

 

たまたま心臓のあたりに手を置いていたら、何かが身体の中でニョロっと動いたのだ(*_*)!!

瞬間的に私は、子宮の中の胎児が足をつっぱった時の胎動の感覚を思い起こした。👣

あるいは、エイリアンが心臓付の中で成長しているようなイメージも思い浮かんだ。

 

これはもはや、物理的なレベルのことじゃない!!

そこで心理の師匠にプロセスワークによるガイドをお願いした。

 

ドックンドックンの音(聴覚チャネル)と身体感覚のチャネルにフォーカスしつつ

変性意識状態になりながら、心臓に胎児あるいはエイリアンがいることを鼓動と共に全身で感じていく…。

すると、私の中に得も言われぬ深い喜びが湧き上がってきた。

それを明確に意識化していくと、ハートが何かとつながっている感覚が立ち現れてきた。

マインドより深い次元で心臓の鼓動が伝えていたことが、少しずつ意識化されてきた。

 

私は、宇宙を産み出した唯一者のごく小さな相似形として、母親として、コンパッションと共に命とつながって与える、贈与する。新しい命とつながっている―。

 

私の中の何かが開いた。それはただ、止めどなく無限に与えるだけの宇宙の唯一者の属性に思えた。それを、愛という俗世間の手垢にまみれ誤解に満ちた言葉しか浮かばないのが歯がゆかったので…もう少し自分にフィットする言葉としてはコンパッションの方がふさわしかった。

至福と共にあるコンパッションだった。

 

<胎児は、ユング心理学的に言えば新しい可能性だね>と師匠が言った。

新しい可能性は、自我にとっては全くの異物、恐ろしくてコントロールが効かない正体不明のエイリアンでもある。つまり自我の解釈の外にあるため、それらは身体に現れれば身体症状として、また人間関係に現れれば対立や葛藤として自我には解釈される。

 

こんな風に、自我の解釈の及ばない深層のメッセージをダイレクトに意識化するツールがプロセスワークなのである。

 

<今、心臓の具合は?>と師匠に聞かれて、私……あれ?あの鬱陶しい拍動が感じられない。

<身体のサイン、身体のドリーミングは、この命とつながることを知って全身でつながってほしかったのだね>

と師匠が明確に言語化してくれた。

 

カスタネダの言う、心(ハート)のある道、ハートで考えること。

ジェームズ・ヒルマンの心臓の叡智…これらの言葉が頭の中でつながった。

 

私の新しい可能性、与える力の発現、それが今回の私にとって、一つの変容と言えるのかもしれなかった。

そのレディネスのサインが心臓の違和感として深層から呼びかけていたと言えるのかもしれなかった。

 

そうすると、三重の守りの枠を作らないで神々に変容を祈った、当初の、そしてこれまでの話はどうなったのかって?

 

私はここでふと気が付いてしまったのだ!!(^_-)-☆

 

守りの枠はあったのだ!! 神社そのものが堅固な守りの枠ではないか!!と湧いたように気が付いた。 神社そのものが結界であり、

大樹に抱かれたまさに最高の守りの枠そのものではないかと。

 

この数カ月のすったもんだは、枠がないことによる死産ではなく、アイデンティティの変容という誕生における(心理学的に言えば)抵抗、いわば産みの苦しみ的な騒動だったことが理解された。

 

人にとって、変容ほど大変なことはないと言われる。何故なら、変容するには古い自我が死ななければならないからである。

自我にとってそれは、肉体の死と変わらない恐怖として体験される。

しかもそれに内側から気づくのは容易なことではない。

気づいたとしても、自我はほぼ自動的に、自分のサバイバルの方法を手を変え品を変え作り出して、

それこそ死に物狂いで防衛するのだ。

 

では、私にとって、死ななければならなかった私の古いアイデンティティとは何だったのか?

それは、〝奪われる〟という感覚であった。

成育環境的に、私は母親からも父親からも、様々な形で繰り返し奪われる感覚を体験してきたため、純粋に与えることをしても、脳の回路の中で〝奪われる〟にすり替わってしまったことが多々あったろうことが想起された。また、そもそも〝奪われる〟マインドセットのおぜん立てがあると、脳が現実をそのように吸引していく、いわゆる引き寄せも生じやすい。

 

脳のメカニズムや過去については、話が広がりすぎるため今はひとまず脇に置こう。

宇宙の縮図でありフラクタルである地球の生態系の循環を見ても、すべては与えるという行為で成り立っている。

自然から無尽蔵に奪っているのは人間だけである。

 

奇しくも私は、私が目指すエコサイコロジーの根幹を、与えるという変容体験によって再認識したといえるのかもしれなかった。

 

勝手に大失敗してやっちまった、世にもおそろしい体験 その2

~三重の枠がものすごく重要だと身に沁みて思い知ったこと~

 

前置きが長くなって、本題が今回の「その2」に持ち越されてしまいました💦が続けます。

そして2023年となり、私は家族と一緒に、熊本経由でかねてから行きたかった宮崎の高千穂に初詣に行きました。

 

まず、熊本空港から高千穂に向かう途中の上色見熊野座神社(かみしきみくまのいますじんじゃ)を詣でました。

この神社は知る人ぞ知るすごいパワースポット。

神社のご神体がパワースポット「穿戸岩(うがといわ)」。

巨大な岩にぽっかりと風穴があいている様はまさに圧巻の一言。

 

 

参拝者は、穿戸岩の下にある拝殿で当然のように参拝しますがが、私は拝殿の裏にちょこなんとおまけのように(失礼!)建つ本殿を発見! 

Hi本殿は穿戸岩と拝殿の間に位置していますが、ここには賽銭箱も置かれておらず参拝者もスルー。

しかし、ここ本殿のエネルギーがすごかった!! 私は神掛かって踊りだしそうになるのを必死でこらえなければならないほど。

そしてあろうことか、私はここぞとばかりに神様に祈ったのです。

 

「変容のために私を破壊したまえ」

と。

 

上色見熊野座神社をあとにして、向かったのは宮崎県高千穂の、これまた日本の龍神としては1,2の高エネルギーパワースポットと言われる八代龍王水神社。ここのエネルギーがまたすご過ぎ!!

 

上色見熊野座神社とは異なる強いエネルギーで、私の身体は振動を始めクンダリーニが上がり、ぴょんぴょん飛び跳ねていました。

 

そしてまた凝りずに、ここでも

「変容のために私を破壊したまえ」

と祈ったのです。

 

そして二泊三日の初詣から帰宅して、旅行中の山のような洗濯をしようとしたら…

何と洗濯機が動かん…( T_T)壊れた。ん?まだ買ってから2年も経ってないゾ(# ゜Д゜) 

 

保証期間内ではあったものの、修理屋が中々来なくて10日間もコインランドリー通いするハメになりました。

 

そうこうするうちに、プリンターがこれも突然変な色で印刷されるようになっちまった。あれ? こちらも去年買い替えたばかりだぞ(*_*;

 

そうこうするうち、なんと1月中、続々と6件もの心理面接のキャンセル連絡が来るようになったのでした😭…こんなことは初めて(°_°)(・・;)

 

そして決定的な予約キャンセルの理由が、

面接日の前日に「流産したので…」というものでした(*_*)💦。

 

さすがに私も、まずいことが起きていると思わざるを得なくなりました。ここに共時性、コンステレーションを見ずして何としょう、です。

機械類が壊れる=破壊!!     流産=死!!

 

さらに、日常のちょっとした引き金でネガティブな思考が増幅and連鎖し、実態のない不安に襲われるというヤバい事態。その不安が全くの不条理であるというアウェアネスはあるのに、恐ろしい。

つまり幽霊の正体見たり枯れ尾花…と分かっても恐ろしさが何も変わらないという状態なんです。

こういうのを精神病水準のネームレスドレッドというのかもしれません。

 

しかもです。高千穂から帰ってすぐの1月6日頃、ベッドに入って寝ようとしたら心臓がどどどンと鳴ったのに気が付いたのでした。

これまでもごくたま~にそういうこともあったので特に気にしていなかったら、次の日も就寝時にこのどどどンが何回かあり、次第次第にその回数が、毎日確実に増えていくではありませんか(‘Д’)!!

 

痛みとかはないけど、気にしだすと気になるもので、しかもけっこう鬱陶しくて、夜なかなか寝付けなくなり、そのうち昼間も拍動が、どどどンになり、脈が不規則になり、

ついには痛みを感じるようにまでなってきました。この間、約1カ月。やばい💦破壊のお願いをしたのがこんな形で顕在化するとは…。後悔先に立たずとはこのことでして…😭

 

私は、自律訓練法の第三公式、『心臓が規則正しく静かに打っている』を繰り返したりレイキヒーリングしてみたり

救心を飲んでみたり…(=_=)

手持ちのスキルや、思いつくことはしてみました。

 

それでもまだ私は、例の宿題である、『三重の枠に断片化した神を入れること』になぜか抵抗してほったらかしたまま、さきの破壊の祈りをキャンセルするお祈りもしてみたりしました。が、どうも受け付けてもらえないみたい(;’∀’)。

 

 仕方がないので助けてくれそうな神様を探したら、おお! キネシオロジーで筋反射してみたら、薬師如来様がONになりました♥♥ 

 

そんで、薬師如来の真言を唱えながら、ついに最後の手段として重い腰を上げて、『三重の枠の中に神を分断して入れる』という、当初の宿題のミッションを実行するしか手が無くなりました(o_o)

 

神様として、印刷したオシリス(エジプトの冥界の神)を14分割して入れることにしました。

(なぜ14分割のオシリスかというと、彼は弟のセトにバラバラに14分割されて、世界中にバラまかれてしまったんだけど、イシスの献身と秘術で復活再生した神なのです。つまり蘇りの象徴なわけ。)

 

しかも、時間がないので、手近で枠になりそうな物はないかとあたりを見回したら、なんと!! 叔母の菩提寺にしたお布施の返礼の、手頃な大きさの枠付き絵馬があるじゃないですか!! しかも、絵馬には〇〇薬師と❤。

なんとこれまた共時的!! ありがたやありがたや。

 

外枠は、手近にあった大きめの箱の蓋を金色と赤に着色。

そして三重の器に分断した神を納めてみると…

 

な、な、なんということでしょう‼️

あの激しい動悸と胸の痛みがすう〜っとおさまってきたではあ〜りませんか(°▽°)

 

嬉しいやらビックリするやら٩( ᐛ )و

自己催眠(自律訓練法)よりよっぽどの、効果テキメン雨あられ😱

 

言うて一種の催眠的効果なのかもしれないけど、

それが三重の枠というキーワードのみに依るとは…‼︎‼︎

 

一連の体験を私の臨床心理の師匠に話したら

 

「森さんは精神的不良だからなぁ…😅」と言われました。

私「精神的不良とは⁈…(・・?)」

「人類が何万年もの年月かけて経験から築いてきた掟を、自分で破る実験をしちゃうんだからな。こういう伝統は、人類のいわばDNAに組み込まれているレベルなんだよね。森さんは何でも自分を実験台にしちゃうから。」

とのこと。

 

「自分を実験台にするのは私のサガみたいなもんで。だって、何でも体験してみなきゃわからないし‼️」

 

「俺は臆病だからそういう無謀なことはしないな。自分を実験台にしてボロボロになった奴らをアメリカでいっぱい見てきたから。」

 

アメリカなどでは、真面目で有名な心理の研究者が、LSDで変性意識の実験したりするんだそうです。

私はドラッグは絶対やらないけど‼️

 

でも、破壊はこれで終わらなかった😱😱😱

 

新車の左側ほぼ全部を自爆してしまいましたとさ‼️

あちゃー😣😣😣😣😣

でもその時、瞬間的に思ったわけで…。

「これは生け贄なんだろう」と。生け贄は、神の怒りをなだめる為に、これまた人類がいにしえより行ってきた捧げ物の儀礼。

車🚙は生き物じゃないけど、動くという意味と人間の足の代わりという意味で、

昔は無かった形態の生け贄なだけだと思いました。

 

心臓🫀については、はるばるお江戸の専門の医療機関に3度も行って、ホルターつけて24時間拍動を測って…。

検査結果は…

さあどうなる私⁉️

またまた長くなってしまいました🙇‍♀️

 

結末までまだ続く、仰天プロセスが待っていました‼️

また次回までしばしお待ちくださいませ❣️

 

 

 ~三重の枠がものすごく重要だと身に沁みて思い知ったこと~

 

それは『心の変容のためのスピリチュアル&神秘主義的ナラティブ』という1年間の連続講座に参加していての、私に起きたとてつもなく恐ろしいできごとの報告です。

あらかじめ言っておくと、これはあくまで私が超アホだったために起こった、大失敗による共時的エピソードです。でも同時に、人間の意図の力と人類の数万年の歴史に基づく英知に、あらためて畏怖の念をもってひれ伏す契機になったことでもありました。

 この連続講座でのある回で、「意図された断片化を三重の枠に入れてアーティスティックに制作しましょう」という宿題が出ました。

 

ここでまずは断片化ということを少し説明しなければならないかもしれませんね。

例えば典型的な心の断片化としてすぐ思いつくのは統合失調症です。

統合失調症は心がバラバラになって統一化されず、まとまらなくなった状態となります。

それからまた、解離も、耐えられない事態が生じた時に、心(脳)が自分を守るために別人格を形成したりするのも断片化です。人格障害の高名な治療者ジェームズ・マスターソンは、BPDやNPDの心のスプリッティングにも断片化という用語を使っています。

ところが、ヨガや神秘主義、シャーマンの訓練においては、意図をもって自分を断片化させるという修行、イニシエーションがあるのです!

訓練を受ける者は変性意識状態の中で、恐ろしい神に自分をバラバラに切り刻まれたり、食い散らかされて骨となって捧げものにされたりする体験を志願するか、余儀なくされます。

そしてこのイニシエーションは、世界各国の宗教や神秘主義やシャーマニズムで共通してみられるのです。

しかし、何故わざわざこんな恐ろしい修行をするのでしょうか?

日常の意識では誰でも首をかしげる話ですよね。

 

 そのわけとは―。全く新しい次元の自分に変容するためには、古い自分が死ぬ必要があるからなのです。古い自分のまま、新たなステージに移行することは不可能だからなのです。

青虫が蛹になる時、青虫は蛹の殻の中で、それまで少なくとも葉っぱの上を這いまわっていた自由さえなくなり、ドロドロに溶けて青虫という形態は死にます。

しかしその過程を経なければ、蝶という、全く新しいステージの自分に変容し蘇ることはできません。

 

つまり、古い自分が死ぬことを経ない限り、青虫は二次元の存在から、蝶という三次元の自由を手に入れることはできないのです。

蝶(昆虫)の場合は、このプロセスは遺伝子に組み込まれているので、どの青虫もこの過程を拒否することはありません。

プログラミングされているから、自動的に粛々とプロセスは進行します。

 

 では、振り返って人間はどうでしょう…?赤ちゃんがおかあさんのお腹から外に出るというのは人生の大きな変容の瞬間です。母と子の、まさに命がけの変容の共同作業です。ですが、これも長い人類の歴史からプログラムされたものであり、陣痛が痛いからといってお母さんがそれを止めることはできない相談です。

赤ちゃんは、お母さんのおなかの中でぬくぬくと共生関係の中で安住していた自分を自ら切断し、新しい一人の人間として誕生するのです。

  

しかし―。大人になって、自分が変わりたい、成長したい、と口では言いながら、

そうできず自分のアイデンティティのまま「性格だから変えようがない」と開き直ったり、変わったりした気になって、その実ちっとも変化できないままで一生を終える人のなんと多いことか―。

そして日常的にも、私たちは人の顔色や世間体に囚われ、自由を失い、苦悩しています。

 

ヨガやシャーマン、神秘主義の伝統では、師という超強力な器があり、その指導と庇護のもとで弟子に、この古い自分を断片化・破壊する修業が課されるといえるでしょう。師は超強力な器(コンテイナー)なのです。

 

 シャーマニズムでは、シャーマンは、彼、彼女が属するコミュニティがそれを必要とし乞われるため、それへの応答として実施されます。つまりコミュニティという

器(コンテイナー)によって、同様に古い自分の断片化・破壊が応援されるのです。

 

そこには魂の視点が必要です。「青虫が蝶になる」=「魂の自己実現」過程を応援するには、

そしてその変容のためには「器(コンテイナー)」=容器=子宮=「さなぎ」が実は無くてはならないということなのです。

言葉を変えれば、変容と器は不可分、セットであるのです。

 

意図しようがしまいが(たいていは想定外)、変容には、多大な、または過大なエネルギーが魂から満ち溢れてきます。魂から発せられるその力を受容し、時が来るまで封印できる器が是が非でも必要なわけです。考えてもみてください。あかちゃんに子宮が無かったらどうなるか? 青虫がドロドロに溶けた時にサナギの硬い殻が無かったらそれはどうなるか?

過剰なエネルギーは、放っておかれると、身体症状や精神病、人間関係における衝突や軋轢、DVなど、負の形で表出されかねません。

 

精神病、致命的な病、離婚、縁切りなどの背後には、過剰なエネルギーの暴発がままあります。そこには、エネルギーを引き受け、封印して、陶冶するための「さなぎ」がありません。

 

今だからこそ、私はこんなことをさも知ったように書いていますが、その時の私は、この人類の魂の伝統をなめていました。三重の枠の概念はよく知っていたし普段の臨床ではそれを確実に実施していたのにもかかわらず、自分自身については、なめていないまでも軽んじていたのは間違いありませんでした。そしてその結果、このあと私はたいへんな目に合うのでした。次号へつづく

金色のサナギをマカバに入れ、シュリヤントラの外枠に入れて3重の枠としたオブジェをつくりました。

 

 

ソルフェジオ音叉‼️ 来たーっ❣️❣️

ソルフェジオ周波数は、現代音楽では使われないけど、癒し効果や活性化が言われている周波数。

 

これまでは特に興味をそそられてもいなかったのだけど…

 

たまたま、あるカウンセリングセッションで、ふと音叉のことを言いたくなった私が話題にしたところ、

クライエントさんの直前のイメージにも音叉が出てきていたというじゃありませんか。

 

試しにそのクライエントさんに、YouTube にあった音叉の音を聴いてもらってからブレインスポッティングを実施したところ、

その方の深い罪悪感が喜びに反転する奇跡のようなプロセスを共有させてもらいました。

 

夜は『錬金術的家族療法』での先祖会議というワークで、私自身の〝家族の神話〟と初めてつながる体験もしました。

 

それは、これまで長いこと家族の〝負〟の側面としか思ってこなかったことの数々が、

私の存在理由にさえつながる手がかりだったことに初めて思い至ったのです。

 

それは父母やその上の世代から連綿と私に受け継がれてきたギフトとして心の底に深く感じられました。

 

ソルフェジオ周波数と無関係とも思えないミラクルな1日…。

 

それで、何でもソク行動しないと気が済まない自分、

さっそくソルフェジオ音叉のセットを注文したという次第。

ソルフェジオ音叉が私の所に来て以来、

ミラクルなことがたくさん起きているかも。

 

まず、直感力も増して心理臨床面接の質がダイナミックになって、クライエントさんにより深い癒しがもたらされるのを確実に感じられる。

たとえ音叉を面接で使わなくても。

 

そして昨日は、ダンナの会計事務所にクレームに来たお客さんが、

私が絵を描いてる(描いてた)ことを知っていて見せて欲しいとのことで自宅にまで来て

 

そんで置いてあった絵を見て一変😱😱

弁財天(サワスワティー)の絵なんだけど手なんか合わせてくれちゃって🙏

 

「今日は絵を見せてもらって、なんてラッキーなんでしょう❣️❣️」って、

すこぶる上機嫌になっちゃって、おみやげまで置いて帰られた。

ダンナさんは唖然。

「音叉のおかげかも」と私。

 

全ての事象は振動し、周波数を生み出しているのだから。

 

あれからやや時間がたってしまった。私の中のパーツが召されてから四十九日以上も過ぎた(#^.^#)が、その後をしたためないでは、それこそバルドーの中だし…(*_*;

 

ブレインスポッティングを受けた日の夜は、偶然にも( 宇宙に偶然ということはないのだが…)

家族療法のジェノグラム勉強会もあった。ジェノグラムとは、家族構成員のダイナミクスの理解をするための家系図のことを言い、原則として3世代程度をさかのぼって作る。

また、自分の存在の背景にあるものや、多世代家族の間に横たわる問題を見せてくれるすごいツールである。

その勉強会前の宿題として、自分のジェノグラムを作成しておけというのがあった。

しかし私は数年前に、すでに自分の多世代のジェノグラムを作っていた。

ジェノグラム作成のために、まだ会ったことも行ったこともない遠くの親戚宅を訪れさえしていたのだ。だから勉強会用には、それをプリントアウトすればいいだけだった。

 

なのでブレインスポッティングのセッションの時はそのことさえ全く頭になかった。

しかし帰宅後、プリントアウトしてみてあらためて、今日のセッションとの符号を再確認して驚いた。

 

私の父方、母方とも長子が乳幼児期に死亡していることが多いのだ。

ジェノグラムを作る目的の一つは、世代連鎖するパターンや傾向を見つけることにある。

私は長子である。ジェノグラムのパターン(運命あるいは呪いのような…)からしたら、私はすでにこの世の存在ではなくてもおかしくないのだ。

 

私の中のその子は、本来なら、生まれてすぐに神の御許に行くべき子だったのではないだろうか。

だからこの世の存在であること自体に逆らうように、主人格である私というアイデンティティの意図することにもことごとく逆らっていたのではないだろうか…と。

 

ここでまたひとつの符号に気づいた。“天邪鬼”の“天”とは神の御許のことだ。

A course in miraclesという本によれば、神の世界の真実とこの世はポジとネガのように反転しているという。

ならば、“天邪鬼”の“邪鬼”は神の世界では、わざと逆のことをするひねくれ者ではないはずだ。自分の本当の心にまっすぐな気持ちを伝えようとする子どもに過ぎないのではないか。

 

私の中の天邪鬼というパーツが本来あるべき所へ戻ったというストーリーは、大脳新皮質つまり思考する脳のイメージだったりするかもしれない。

トラウマや解離という脳科学的視点から言えば、そのプロセスは本来は言語の介在しない深い脳、辺縁系や脳幹の中で起こっていることである。

それを、あえて統合という言葉で言い表すことはできるし、プラスネットワークがつながったというモデルで表現ですることもきる。

しかし本当のところは誰にもわからないのだ。

 

ともかく、この日を境に私の現実が変化したことだけは事実だった。

現実次元との親和性を感じられた。自分自身がこの次元の一員である感覚と言ったらよいのだろうか…。これまで、自分の中での現実のプライオリティは正直、高くなかった。現実世界というのは、もっとぶっちゃけて言えば人間社会のことだ。人間社会以外の場所、自然の中や動植物との関係性においては自分は確かに他の生命達と濃密で豊かな交流があったし今もある。

それは海や森林環境や、馬やオオカミ、薔薇や畑の野菜達との確かなコミュニケーションだ。

 

しかし、こと対人間社会となると、何か間にものが挟まったような、ワンクッションあるような

自分とは異なる種族のような感覚がずっとあったのが、今になってその違いがわかる。

 

 その夜のジェノグラム勉強会の終わりに、自分は一言シェアをした。

「私の家系は父方も母方も長子が乳幼児期に亡くなっているのがバターンとして連鎖しているようでした。奇しくも本日、BSPのセッションで私の一部が成仏しました。そうしたら、この残った私はいったい何なのでしょう?」勉強会主宰のF先生は言った。「そりゃあ良かった、良かった。そしたら森さん、あとは余生だよ。余生なんだから、好きなことやったらいい。」??…余生か…としばし反芻していたら、何故余生なのかと質問するタイミングを逸してしまった。

まあいいさ、いずれ聞いてみよう。

 

しかしふと、もうひとつ符合するものがあった。本来はネガvsポジのように、陰陽のように、あちらの世界にいるべきだった半分が、流産してこちらに流れ込んでしまったようなイメージなのではないか? それは、私の両親の家系の子どもたちの多くが流産していることとの対称形であり、コンステレーション(布置)でもあるように思えた。

 

こちらの世界でアクシデントがあると、流産してあちらの世界に行ってしまうように、あちらの世界でアクシデントがあると、こちらの世界に流れてきてしまうのだろうか…? などという妄想さえ湧いた。ココについては長くなるのでまた次回に回すつもりだ。

 

ともかく、それ以来、私はこの人間社会に何故かグラウンディングした。

身体の中が充実して質量に満ち、心は冒険に満ちている。

この現実の人間社会の一員であることにどこか深い所でOKが出たとでも言うような感覚だ。

世界への結びつきと信頼とにあふれている。

 

そして、どうしてだか、カウンセリング&セラピーの腕が上がった感覚がある。

自分の身体感覚と、現実に根付いている自分の直観に、これまでとは異なる信頼感が持てるのだ。カウンセリングをしている自分をどこか俯瞰して見ている時もある。それは、居るべき所、神の御許に行ったパーツが充足しているからなのかもしれない。

 

ブレインスポッティングは、受ける人によってその治癒のプロセスは様々だ、何故ならすべての人の脳の神経ネットワークは異なるからだ。でも一つ言えるのは、脳は認知では考えもつかない無限の可能性と治癒力を持って、常に最高の適応状態を目指しているということだ。

その可能性が最大に開かれることをお手伝いできるブレインスポッティングという方法にたどり着き(それは浜辺の砂粒からたったひとつの小さな宝石を見つけ出すようなもの…)実践できる自分の運命と奇跡に、今あらためて、人生もまんざらではないと思えるのだ。