またしても、投稿の間がとても空いてしまいました(+o+)。

 

六本木ヒルズにある心臓の専門クリニックにて、精密や、ホルターつけて24時間心拍数を測る検査までした結果は……何も異状なし。「心筋の機能もとても良いですよ」と医師の弁。

当然、何の処方も無し(*_*;

 

はてさて、それでも1月から続く心臓のドックンドックンは相変わらずで鬱陶しい。

 

というか、数日前にはまるで心臓が子宮になったような体験をした。

 

たまたま心臓のあたりに手を置いていたら、何かが身体の中でニョロっと動いたのだ(*_*)!!

瞬間的に私は、子宮の中の胎児が足をつっぱった時の胎動の感覚を思い起こした。👣

あるいは、エイリアンが心臓付の中で成長しているようなイメージも思い浮かんだ。

 

これはもはや、物理的なレベルのことじゃない!!

そこで心理の師匠にプロセスワークによるガイドをお願いした。

 

ドックンドックンの音(聴覚チャネル)と身体感覚のチャネルにフォーカスしつつ

変性意識状態になりながら、心臓に胎児あるいはエイリアンがいることを鼓動と共に全身で感じていく…。

すると、私の中に得も言われぬ深い喜びが湧き上がってきた。

それを明確に意識化していくと、ハートが何かとつながっている感覚が立ち現れてきた。

マインドより深い次元で心臓の鼓動が伝えていたことが、少しずつ意識化されてきた。

 

私は、宇宙を産み出した唯一者のごく小さな相似形として、母親として、コンパッションと共に命とつながって与える、贈与する。新しい命とつながっている―。

 

私の中の何かが開いた。それはただ、止めどなく無限に与えるだけの宇宙の唯一者の属性に思えた。それを、愛という俗世間の手垢にまみれ誤解に満ちた言葉しか浮かばないのが歯がゆかったので…もう少し自分にフィットする言葉としてはコンパッションの方がふさわしかった。

至福と共にあるコンパッションだった。

 

<胎児は、ユング心理学的に言えば新しい可能性だね>と師匠が言った。

新しい可能性は、自我にとっては全くの異物、恐ろしくてコントロールが効かない正体不明のエイリアンでもある。つまり自我の解釈の外にあるため、それらは身体に現れれば身体症状として、また人間関係に現れれば対立や葛藤として自我には解釈される。

 

こんな風に、自我の解釈の及ばない深層のメッセージをダイレクトに意識化するツールがプロセスワークなのである。

 

<今、心臓の具合は?>と師匠に聞かれて、私……あれ?あの鬱陶しい拍動が感じられない。

<身体のサイン、身体のドリーミングは、この命とつながることを知って全身でつながってほしかったのだね>

と師匠が明確に言語化してくれた。

 

カスタネダの言う、心(ハート)のある道、ハートで考えること。

ジェームズ・ヒルマンの心臓の叡智…これらの言葉が頭の中でつながった。

 

私の新しい可能性、与える力の発現、それが今回の私にとって、一つの変容と言えるのかもしれなかった。

そのレディネスのサインが心臓の違和感として深層から呼びかけていたと言えるのかもしれなかった。

 

そうすると、三重の守りの枠を作らないで神々に変容を祈った、当初の、そしてこれまでの話はどうなったのかって?

 

私はここでふと気が付いてしまったのだ!!(^_-)-☆

 

守りの枠はあったのだ!! 神社そのものが堅固な守りの枠ではないか!!と湧いたように気が付いた。 神社そのものが結界であり、

大樹に抱かれたまさに最高の守りの枠そのものではないかと。

 

この数カ月のすったもんだは、枠がないことによる死産ではなく、アイデンティティの変容という誕生における(心理学的に言えば)抵抗、いわば産みの苦しみ的な騒動だったことが理解された。

 

人にとって、変容ほど大変なことはないと言われる。何故なら、変容するには古い自我が死ななければならないからである。

自我にとってそれは、肉体の死と変わらない恐怖として体験される。

しかもそれに内側から気づくのは容易なことではない。

気づいたとしても、自我はほぼ自動的に、自分のサバイバルの方法を手を変え品を変え作り出して、

それこそ死に物狂いで防衛するのだ。

 

では、私にとって、死ななければならなかった私の古いアイデンティティとは何だったのか?

それは、〝奪われる〟という感覚であった。

成育環境的に、私は母親からも父親からも、様々な形で繰り返し奪われる感覚を体験してきたため、純粋に与えることをしても、脳の回路の中で〝奪われる〟にすり替わってしまったことが多々あったろうことが想起された。また、そもそも〝奪われる〟マインドセットのおぜん立てがあると、脳が現実をそのように吸引していく、いわゆる引き寄せも生じやすい。

 

脳のメカニズムや過去については、話が広がりすぎるため今はひとまず脇に置こう。

宇宙の縮図でありフラクタルである地球の生態系の循環を見ても、すべては与えるという行為で成り立っている。

自然から無尽蔵に奪っているのは人間だけである。

 

奇しくも私は、私が目指すエコサイコロジーの根幹を、与えるという変容体験によって再認識したといえるのかもしれなかった。

 

勝手に大失敗してやっちまった、世にもおそろしい体験 その2

~三重の枠がものすごく重要だと身に沁みて思い知ったこと~

 

前置きが長くなって、本題が今回の「その2」に持ち越されてしまいました💦が続けます。

そして2023年となり、私は家族と一緒に、熊本経由でかねてから行きたかった宮崎の高千穂に初詣に行きました。

 

まず、熊本空港から高千穂に向かう途中の上色見熊野座神社(かみしきみくまのいますじんじゃ)を詣でました。

この神社は知る人ぞ知るすごいパワースポット。

神社のご神体がパワースポット「穿戸岩(うがといわ)」。

巨大な岩にぽっかりと風穴があいている様はまさに圧巻の一言。

 

 

参拝者は、穿戸岩の下にある拝殿で当然のように参拝しますがが、私は拝殿の裏にちょこなんとおまけのように(失礼!)建つ本殿を発見! 

Hi本殿は穿戸岩と拝殿の間に位置していますが、ここには賽銭箱も置かれておらず参拝者もスルー。

しかし、ここ本殿のエネルギーがすごかった!! 私は神掛かって踊りだしそうになるのを必死でこらえなければならないほど。

そしてあろうことか、私はここぞとばかりに神様に祈ったのです。

 

「変容のために私を破壊したまえ」

と。

 

上色見熊野座神社をあとにして、向かったのは宮崎県高千穂の、これまた日本の龍神としては1,2の高エネルギーパワースポットと言われる八代龍王水神社。ここのエネルギーがまたすご過ぎ!!

 

上色見熊野座神社とは異なる強いエネルギーで、私の身体は振動を始めクンダリーニが上がり、ぴょんぴょん飛び跳ねていました。

 

そしてまた凝りずに、ここでも

「変容のために私を破壊したまえ」

と祈ったのです。

 

そして二泊三日の初詣から帰宅して、旅行中の山のような洗濯をしようとしたら…

何と洗濯機が動かん…( T_T)壊れた。ん?まだ買ってから2年も経ってないゾ(# ゜Д゜) 

 

保証期間内ではあったものの、修理屋が中々来なくて10日間もコインランドリー通いするハメになりました。

 

そうこうするうちに、プリンターがこれも突然変な色で印刷されるようになっちまった。あれ? こちらも去年買い替えたばかりだぞ(*_*;

 

そうこうするうち、なんと1月中、続々と6件もの心理面接のキャンセル連絡が来るようになったのでした😭…こんなことは初めて(°_°)(・・;)

 

そして決定的な予約キャンセルの理由が、

面接日の前日に「流産したので…」というものでした(*_*)💦。

 

さすがに私も、まずいことが起きていると思わざるを得なくなりました。ここに共時性、コンステレーションを見ずして何としょう、です。

機械類が壊れる=破壊!!     流産=死!!

 

さらに、日常のちょっとした引き金でネガティブな思考が増幅and連鎖し、実態のない不安に襲われるというヤバい事態。その不安が全くの不条理であるというアウェアネスはあるのに、恐ろしい。

つまり幽霊の正体見たり枯れ尾花…と分かっても恐ろしさが何も変わらないという状態なんです。

こういうのを精神病水準のネームレスドレッドというのかもしれません。

 

しかもです。高千穂から帰ってすぐの1月6日頃、ベッドに入って寝ようとしたら心臓がどどどンと鳴ったのに気が付いたのでした。

これまでもごくたま~にそういうこともあったので特に気にしていなかったら、次の日も就寝時にこのどどどンが何回かあり、次第次第にその回数が、毎日確実に増えていくではありませんか(‘Д’)!!

 

痛みとかはないけど、気にしだすと気になるもので、しかもけっこう鬱陶しくて、夜なかなか寝付けなくなり、そのうち昼間も拍動が、どどどンになり、脈が不規則になり、

ついには痛みを感じるようにまでなってきました。この間、約1カ月。やばい💦破壊のお願いをしたのがこんな形で顕在化するとは…。後悔先に立たずとはこのことでして…😭

 

私は、自律訓練法の第三公式、『心臓が規則正しく静かに打っている』を繰り返したりレイキヒーリングしてみたり

救心を飲んでみたり…(=_=)

手持ちのスキルや、思いつくことはしてみました。

 

それでもまだ私は、例の宿題である、『三重の枠に断片化した神を入れること』になぜか抵抗してほったらかしたまま、さきの破壊の祈りをキャンセルするお祈りもしてみたりしました。が、どうも受け付けてもらえないみたい(;’∀’)。

 

 仕方がないので助けてくれそうな神様を探したら、おお! キネシオロジーで筋反射してみたら、薬師如来様がONになりました♥♥ 

 

そんで、薬師如来の真言を唱えながら、ついに最後の手段として重い腰を上げて、『三重の枠の中に神を分断して入れる』という、当初の宿題のミッションを実行するしか手が無くなりました(o_o)

 

神様として、印刷したオシリス(エジプトの冥界の神)を14分割して入れることにしました。

(なぜ14分割のオシリスかというと、彼は弟のセトにバラバラに14分割されて、世界中にバラまかれてしまったんだけど、イシスの献身と秘術で復活再生した神なのです。つまり蘇りの象徴なわけ。)

 

しかも、時間がないので、手近で枠になりそうな物はないかとあたりを見回したら、なんと!! 叔母の菩提寺にしたお布施の返礼の、手頃な大きさの枠付き絵馬があるじゃないですか!! しかも、絵馬には〇〇薬師と❤。

なんとこれまた共時的!! ありがたやありがたや。

 

外枠は、手近にあった大きめの箱の蓋を金色と赤に着色。

そして三重の器に分断した神を納めてみると…

 

な、な、なんということでしょう‼️

あの激しい動悸と胸の痛みがすう〜っとおさまってきたではあ〜りませんか(°▽°)

 

嬉しいやらビックリするやら٩( ᐛ )و

自己催眠(自律訓練法)よりよっぽどの、効果テキメン雨あられ😱

 

言うて一種の催眠的効果なのかもしれないけど、

それが三重の枠というキーワードのみに依るとは…‼︎‼︎

 

一連の体験を私の臨床心理の師匠に話したら

 

「森さんは精神的不良だからなぁ…😅」と言われました。

私「精神的不良とは⁈…(・・?)」

「人類が何万年もの年月かけて経験から築いてきた掟を、自分で破る実験をしちゃうんだからな。こういう伝統は、人類のいわばDNAに組み込まれているレベルなんだよね。森さんは何でも自分を実験台にしちゃうから。」

とのこと。

 

「自分を実験台にするのは私のサガみたいなもんで。だって、何でも体験してみなきゃわからないし‼️」

 

「俺は臆病だからそういう無謀なことはしないな。自分を実験台にしてボロボロになった奴らをアメリカでいっぱい見てきたから。」

 

アメリカなどでは、真面目で有名な心理の研究者が、LSDで変性意識の実験したりするんだそうです。

私はドラッグは絶対やらないけど‼️

 

でも、破壊はこれで終わらなかった😱😱😱

 

新車の左側ほぼ全部を自爆してしまいましたとさ‼️

あちゃー😣😣😣😣😣

でもその時、瞬間的に思ったわけで…。

「これは生け贄なんだろう」と。生け贄は、神の怒りをなだめる為に、これまた人類がいにしえより行ってきた捧げ物の儀礼。

車🚙は生き物じゃないけど、動くという意味と人間の足の代わりという意味で、

昔は無かった形態の生け贄なだけだと思いました。

 

心臓🫀については、はるばるお江戸の専門の医療機関に3度も行って、ホルターつけて24時間拍動を測って…。

検査結果は…

さあどうなる私⁉️

またまた長くなってしまいました🙇‍♀️

 

結末までまだ続く、仰天プロセスが待っていました‼️

また次回までしばしお待ちくださいませ❣️

 

 

 ~三重の枠がものすごく重要だと身に沁みて思い知ったこと~

 

それは『心の変容のためのスピリチュアル&神秘主義的ナラティブ』という1年間の連続講座に参加していての、私に起きたとてつもなく恐ろしいできごとの報告です。

あらかじめ言っておくと、これはあくまで私が超アホだったために起こった、大失敗による共時的エピソードです。でも同時に、人間の意図の力と人類の数万年の歴史に基づく英知に、あらためて畏怖の念をもってひれ伏す契機になったことでもありました。

 この連続講座でのある回で、「意図された断片化を三重の枠に入れてアーティスティックに制作しましょう」という宿題が出ました。

 

ここでまずは断片化ということを少し説明しなければならないかもしれませんね。

例えば典型的な心の断片化としてすぐ思いつくのは統合失調症です。

統合失調症は心がバラバラになって統一化されず、まとまらなくなった状態となります。

それからまた、解離も、耐えられない事態が生じた時に、心(脳)が自分を守るために別人格を形成したりするのも断片化です。人格障害の高名な治療者ジェームズ・マスターソンは、BPDやNPDの心のスプリッティングにも断片化という用語を使っています。

ところが、ヨガや神秘主義、シャーマンの訓練においては、意図をもって自分を断片化させるという修行、イニシエーションがあるのです!

訓練を受ける者は変性意識状態の中で、恐ろしい神に自分をバラバラに切り刻まれたり、食い散らかされて骨となって捧げものにされたりする体験を志願するか、余儀なくされます。

そしてこのイニシエーションは、世界各国の宗教や神秘主義やシャーマニズムで共通してみられるのです。

しかし、何故わざわざこんな恐ろしい修行をするのでしょうか?

日常の意識では誰でも首をかしげる話ですよね。

 

 そのわけとは―。全く新しい次元の自分に変容するためには、古い自分が死ぬ必要があるからなのです。古い自分のまま、新たなステージに移行することは不可能だからなのです。

青虫が蛹になる時、青虫は蛹の殻の中で、それまで少なくとも葉っぱの上を這いまわっていた自由さえなくなり、ドロドロに溶けて青虫という形態は死にます。

しかしその過程を経なければ、蝶という、全く新しいステージの自分に変容し蘇ることはできません。

 

つまり、古い自分が死ぬことを経ない限り、青虫は二次元の存在から、蝶という三次元の自由を手に入れることはできないのです。

蝶(昆虫)の場合は、このプロセスは遺伝子に組み込まれているので、どの青虫もこの過程を拒否することはありません。

プログラミングされているから、自動的に粛々とプロセスは進行します。

 

 では、振り返って人間はどうでしょう…?赤ちゃんがおかあさんのお腹から外に出るというのは人生の大きな変容の瞬間です。母と子の、まさに命がけの変容の共同作業です。ですが、これも長い人類の歴史からプログラムされたものであり、陣痛が痛いからといってお母さんがそれを止めることはできない相談です。

赤ちゃんは、お母さんのおなかの中でぬくぬくと共生関係の中で安住していた自分を自ら切断し、新しい一人の人間として誕生するのです。

  

しかし―。大人になって、自分が変わりたい、成長したい、と口では言いながら、

そうできず自分のアイデンティティのまま「性格だから変えようがない」と開き直ったり、変わったりした気になって、その実ちっとも変化できないままで一生を終える人のなんと多いことか―。

そして日常的にも、私たちは人の顔色や世間体に囚われ、自由を失い、苦悩しています。

 

ヨガやシャーマン、神秘主義の伝統では、師という超強力な器があり、その指導と庇護のもとで弟子に、この古い自分を断片化・破壊する修業が課されるといえるでしょう。師は超強力な器(コンテイナー)なのです。

 

 シャーマニズムでは、シャーマンは、彼、彼女が属するコミュニティがそれを必要とし乞われるため、それへの応答として実施されます。つまりコミュニティという

器(コンテイナー)によって、同様に古い自分の断片化・破壊が応援されるのです。

 

そこには魂の視点が必要です。「青虫が蝶になる」=「魂の自己実現」過程を応援するには、

そしてその変容のためには「器(コンテイナー)」=容器=子宮=「さなぎ」が実は無くてはならないということなのです。

言葉を変えれば、変容と器は不可分、セットであるのです。

 

意図しようがしまいが(たいていは想定外)、変容には、多大な、または過大なエネルギーが魂から満ち溢れてきます。魂から発せられるその力を受容し、時が来るまで封印できる器が是が非でも必要なわけです。考えてもみてください。あかちゃんに子宮が無かったらどうなるか? 青虫がドロドロに溶けた時にサナギの硬い殻が無かったらそれはどうなるか?

過剰なエネルギーは、放っておかれると、身体症状や精神病、人間関係における衝突や軋轢、DVなど、負の形で表出されかねません。

 

精神病、致命的な病、離婚、縁切りなどの背後には、過剰なエネルギーの暴発がままあります。そこには、エネルギーを引き受け、封印して、陶冶するための「さなぎ」がありません。

 

今だからこそ、私はこんなことをさも知ったように書いていますが、その時の私は、この人類の魂の伝統をなめていました。三重の枠の概念はよく知っていたし普段の臨床ではそれを確実に実施していたのにもかかわらず、自分自身については、なめていないまでも軽んじていたのは間違いありませんでした。そしてその結果、このあと私はたいへんな目に合うのでした。次号へつづく

金色のサナギをマカバに入れ、シュリヤントラの外枠に入れて3重の枠としたオブジェをつくりました。

 

 

ソルフェジオ音叉‼️ 来たーっ❣️❣️

ソルフェジオ周波数は、現代音楽では使われないけど、癒し効果や活性化が言われている周波数。

 

これまでは特に興味をそそられてもいなかったのだけど…

 

たまたま、あるカウンセリングセッションで、ふと音叉のことを言いたくなった私が話題にしたところ、

クライエントさんの直前のイメージにも音叉が出てきていたというじゃありませんか。

 

試しにそのクライエントさんに、YouTube にあった音叉の音を聴いてもらってからブレインスポッティングを実施したところ、

その方の深い罪悪感が喜びに反転する奇跡のようなプロセスを共有させてもらいました。

 

夜は『錬金術的家族療法』での先祖会議というワークで、私自身の〝家族の神話〟と初めてつながる体験もしました。

 

それは、これまで長いこと家族の〝負〟の側面としか思ってこなかったことの数々が、

私の存在理由にさえつながる手がかりだったことに初めて思い至ったのです。

 

それは父母やその上の世代から連綿と私に受け継がれてきたギフトとして心の底に深く感じられました。

 

ソルフェジオ周波数と無関係とも思えないミラクルな1日…。

 

それで、何でもソク行動しないと気が済まない自分、

さっそくソルフェジオ音叉のセットを注文したという次第。

ソルフェジオ音叉が私の所に来て以来、

ミラクルなことがたくさん起きているかも。

 

まず、直感力も増して心理臨床面接の質がダイナミックになって、クライエントさんにより深い癒しがもたらされるのを確実に感じられる。

たとえ音叉を面接で使わなくても。

 

そして昨日は、ダンナの会計事務所にクレームに来たお客さんが、

私が絵を描いてる(描いてた)ことを知っていて見せて欲しいとのことで自宅にまで来て

 

そんで置いてあった絵を見て一変😱😱

弁財天(サワスワティー)の絵なんだけど手なんか合わせてくれちゃって🙏

 

「今日は絵を見せてもらって、なんてラッキーなんでしょう❣️❣️」って、

すこぶる上機嫌になっちゃって、おみやげまで置いて帰られた。

ダンナさんは唖然。

「音叉のおかげかも」と私。

 

全ての事象は振動し、周波数を生み出しているのだから。

 

あれからやや時間がたってしまった。私の中のパーツが召されてから四十九日以上も過ぎた(#^.^#)が、その後をしたためないでは、それこそバルドーの中だし…(*_*;

 

ブレインスポッティングを受けた日の夜は、偶然にも( 宇宙に偶然ということはないのだが…)

家族療法のジェノグラム勉強会もあった。ジェノグラムとは、家族構成員のダイナミクスの理解をするための家系図のことを言い、原則として3世代程度をさかのぼって作る。

また、自分の存在の背景にあるものや、多世代家族の間に横たわる問題を見せてくれるすごいツールである。

その勉強会前の宿題として、自分のジェノグラムを作成しておけというのがあった。

しかし私は数年前に、すでに自分の多世代のジェノグラムを作っていた。

ジェノグラム作成のために、まだ会ったことも行ったこともない遠くの親戚宅を訪れさえしていたのだ。だから勉強会用には、それをプリントアウトすればいいだけだった。

 

なのでブレインスポッティングのセッションの時はそのことさえ全く頭になかった。

しかし帰宅後、プリントアウトしてみてあらためて、今日のセッションとの符号を再確認して驚いた。

 

私の父方、母方とも長子が乳幼児期に死亡していることが多いのだ。

ジェノグラムを作る目的の一つは、世代連鎖するパターンや傾向を見つけることにある。

私は長子である。ジェノグラムのパターン(運命あるいは呪いのような…)からしたら、私はすでにこの世の存在ではなくてもおかしくないのだ。

 

私の中のその子は、本来なら、生まれてすぐに神の御許に行くべき子だったのではないだろうか。

だからこの世の存在であること自体に逆らうように、主人格である私というアイデンティティの意図することにもことごとく逆らっていたのではないだろうか…と。

 

ここでまたひとつの符号に気づいた。“天邪鬼”の“天”とは神の御許のことだ。

A course in miraclesという本によれば、神の世界の真実とこの世はポジとネガのように反転しているという。

ならば、“天邪鬼”の“邪鬼”は神の世界では、わざと逆のことをするひねくれ者ではないはずだ。自分の本当の心にまっすぐな気持ちを伝えようとする子どもに過ぎないのではないか。

 

私の中の天邪鬼というパーツが本来あるべき所へ戻ったというストーリーは、大脳新皮質つまり思考する脳のイメージだったりするかもしれない。

トラウマや解離という脳科学的視点から言えば、そのプロセスは本来は言語の介在しない深い脳、辺縁系や脳幹の中で起こっていることである。

それを、あえて統合という言葉で言い表すことはできるし、プラスネットワークがつながったというモデルで表現ですることもきる。

しかし本当のところは誰にもわからないのだ。

 

ともかく、この日を境に私の現実が変化したことだけは事実だった。

現実次元との親和性を感じられた。自分自身がこの次元の一員である感覚と言ったらよいのだろうか…。これまで、自分の中での現実のプライオリティは正直、高くなかった。現実世界というのは、もっとぶっちゃけて言えば人間社会のことだ。人間社会以外の場所、自然の中や動植物との関係性においては自分は確かに他の生命達と濃密で豊かな交流があったし今もある。

それは海や森林環境や、馬やオオカミ、薔薇や畑の野菜達との確かなコミュニケーションだ。

 

しかし、こと対人間社会となると、何か間にものが挟まったような、ワンクッションあるような

自分とは異なる種族のような感覚がずっとあったのが、今になってその違いがわかる。

 

 その夜のジェノグラム勉強会の終わりに、自分は一言シェアをした。

「私の家系は父方も母方も長子が乳幼児期に亡くなっているのがバターンとして連鎖しているようでした。奇しくも本日、BSPのセッションで私の一部が成仏しました。そうしたら、この残った私はいったい何なのでしょう?」勉強会主宰のF先生は言った。「そりゃあ良かった、良かった。そしたら森さん、あとは余生だよ。余生なんだから、好きなことやったらいい。」??…余生か…としばし反芻していたら、何故余生なのかと質問するタイミングを逸してしまった。

まあいいさ、いずれ聞いてみよう。

 

しかしふと、もうひとつ符合するものがあった。本来はネガvsポジのように、陰陽のように、あちらの世界にいるべきだった半分が、流産してこちらに流れ込んでしまったようなイメージなのではないか? それは、私の両親の家系の子どもたちの多くが流産していることとの対称形であり、コンステレーション(布置)でもあるように思えた。

 

こちらの世界でアクシデントがあると、流産してあちらの世界に行ってしまうように、あちらの世界でアクシデントがあると、こちらの世界に流れてきてしまうのだろうか…? などという妄想さえ湧いた。ココについては長くなるのでまた次回に回すつもりだ。

 

ともかく、それ以来、私はこの人間社会に何故かグラウンディングした。

身体の中が充実して質量に満ち、心は冒険に満ちている。

この現実の人間社会の一員であることにどこか深い所でOKが出たとでも言うような感覚だ。

世界への結びつきと信頼とにあふれている。

 

そして、どうしてだか、カウンセリング&セラピーの腕が上がった感覚がある。

自分の身体感覚と、現実に根付いている自分の直観に、これまでとは異なる信頼感が持てるのだ。カウンセリングをしている自分をどこか俯瞰して見ている時もある。それは、居るべき所、神の御許に行ったパーツが充足しているからなのかもしれない。

 

ブレインスポッティングは、受ける人によってその治癒のプロセスは様々だ、何故ならすべての人の脳の神経ネットワークは異なるからだ。でも一つ言えるのは、脳は認知では考えもつかない無限の可能性と治癒力を持って、常に最高の適応状態を目指しているということだ。

その可能性が最大に開かれることをお手伝いできるブレインスポッティングという方法にたどり着き(それは浜辺の砂粒からたったひとつの小さな宝石を見つけ出すようなもの…)実践できる自分の運命と奇跡に、今あらためて、人生もまんざらではないと思えるのだ。

 

 

BSP(ブレインスポッティング)は「二重同調モデル」による心理療法である。これはSiegelによる「対人神経生物学モデル」と似ている。二重同調とは、対人関係モデルの中心である、セラピストのクライエントに対する関係性の同調(共感)と、特定され活用されるブレインスポットから生じる神経生物学的な同調の組み合わせである。

そしてBSPでは「どこを見るかで感じ方が変わる」と仮定されており、視点の違いは特定の神経活動や内的経験と関連があると考えられている。またBSPでは、トラウマは経験の断片を未処理のままにさせて、神経系の中で処理の完成を邪魔するものである、と考える。BSPではセラピストはクライエントの問題に対する解決法を導き出す存在としては捉えない。問題(あるいは未処理のトラウマ)が脳の中で溜まってしまうように、問題に対する答えあるいは解決法は、クライエントの神経系に可能性として同様に潜んでいる。

セラピストの関係性的な、または神経生物学的な同調の支持的な枠組み(二重同調フレーム)が、クライエントの脳における内的コミュニケーションを高めその脳の持つ適応力・復元力を高める手助けをし、問題の解決をもたらすと考えられているのである。

 

BSPセラピストSさんのオフィスを訪れた私は、そのパーツを思い浮かべ招き入れ、それがいるとイメージされる場所を見た。それは3、4歳の小さい子だ。そして、その子の苦痛を感じる自分の身体感覚と対応する目の位置を見つけていった。その方法はインサイドブレインスポッティングと言う。私はやや右上を特定し、Sさんはそこにポインター(指示棒)の先端を固定した。私の目からもセラピストの目からも涙が流れ始めた。親の日常的な、不条理で一方的な叱責への怒りと圧倒的な孤独の中にいるその子の心に、どんな救いがあると言うのか?私の脳の中に最適解があるという理屈は知っている。それに私自身も私の元を訪れるクライエントがBSPで思いもよらない答えにたどり着く過程をたくさん見てきている。しかし30分…40分…涙と時間だけが流れ、残り時間はたぶんあと10分ほどだろう。しかし何も変化がなかった。

 

ふと私は気がついて言った。

「私、間違えていた。この子は思った以上に重傷だわ。ほとんど死にかけてる。

もう何をしてもどんな方法によっても癒されることは無いと思う。これまでだって色んなことを試してきたけど何も変わらなかったし。

今私にできることは、どうやってその子を成仏させてあげられるかしかないんじゃないかな…。」セラピストが耐性の窓を越えて嗚咽しているのを私は不思議に思いながら目の端で見ていた。

 

かつて、圧倒的な孤独の痛みと重さにただひとりで泣いているその子の傍に、ある日、主が臨在した。その光景はこれまでも何度も見ていた。それでもその子の孤独は決して癒えることはなかった。

でも今日は何かが違った。その子が主の傍に歩み寄っていった。そして主の腕に抱かれてそして召されていったのだ…。

「身体はどうですか?」セラピストがたずねた。身体感覚は大切な指標である。

「力は抜けています。」私は答えた。

思考がついていかなかった。私の一部が召された、つまり死んだのだ。しかも私の中の感情の大きな部分が。ではここに残った私は何なのだ?抜け殻か?どう捉えたらいいのだ?

思考はもっともらしい理屈をこしらえようと右往左往した。しかし、皮質下の深い脳が平安を感じているのは間違いなかった。そして、身体の密度が高くなっているような感覚に気が付いた。なんとも不思議だ。自分の一部がごっそりなくなったというのに…。

つづく

 

ずっと前から私は自分の中に、どこか自分の足を引っ張るパーツがいるのを知っています。

日常のほんの些細なことでも、例えば今日中にそこそこの連絡を誰かに送らなければならないとすと、しなければと意識すればするほどやりたくない気持ちも ねば~っとそれに付きまとう感じ。で、なんだかんだ先延ばしにしてしまう傾向…。

 

でもさ、例えば試験勉強しなければならないのに部屋の片づけを始めてしまうとかそういうことは誰にでもあるあるさ、と言われるかもしれないけど、私の場合わかっちゃいるのにこれを今まで何とかしなかった自分がこれまた情けない…。

 

ともかく、いつの頃からか、私はこのパーツを天邪鬼(あまのじゃく)として認識しました。

天邪鬼とは、わざと人の言に逆らって片意地を通す者(―広辞苑よりー)であり、「故意に相手に逆らう人」のことです。

 

 幼いころ、親から何かにつけこうしろああしろと言われるたびに「やーよ、ブーっ!!」と言って従わなかった自分をうっすら覚えています。

知り合いのおばちゃんが私につけたあだ名は「やよぶーのかおこ」だったのも思い出しました。

親からはよく「ひねくれている!! 」と言われたものでした。そう、天邪鬼はまさしくひねくれっ子なのです。

 

では、どうしてひねくれっ子ができあがるのでしょう?元々の性格だと思いますか?

ここで、私は天邪鬼を弁明するために一肌脱ぐ必要があります。

 

 赤ちゃんは、生後6ヶ月から2歳くらいまでの間に「誰が安全か」を検出し、

そして「( ふつうは )安全な」親との間にしっかりと揺るがない安心感や信頼感、すなわち愛着を形成します。そしてその後周囲の世界へと関心を広げ、認知力や豊かな感情を育んでいきます。しかし安全であるべき対象がそうでなかったら?あるいは、時には安全だけど予測不能にそうでなくなったら…? 

愛着理論はボウルビィやエインズワースが有名ですが、ポージェスのポリヴェーガル理論にある、安全のシグナルは愛着の前段(※注2)という一節が、最新かつ理論的に本当にすっきりしていて、トラウマ関連の臨床家の端くれとしての私の中では今や大ヒットです!!

ともかく、逆らうこと、戦うことが、その子にとってのサバイバル法だったのです。

 

私が成長して大人になっても、パーツとしてのその子は存在していますが、前回のブログ『ブレインスポッティングと天邪鬼 その1』の(注1)でも解説してる通り、誰にでもパーツは存在します。そして、すべての自我状態には存在意義があるのです。

問題は、その人が現実世界で生きていく上において、パーツ同士の葛藤がある時です。

 さっきの、試験勉強しなければならないのに部屋の片づけを始めてしまうとかもそうだし、私の場合も同じですね。でも、これでも私は一応その専門家でして!(^^)! EMDRも自我状態療法もBSP(ブレインスポッティング)もできるんです!! でも、ここにも大きな前提があるのです!! 関係性という前提が―。人との関係によって負った傷つきは、人との関係性によってしか完全には癒されないのです。私は、懇意にしてもらっているBSPのセラピストにお願いすることにしました。つづく

 

(※注2)「ポリヴェーガル理論」を読む 津田真人著 星和書店 p.318~p.319

 2021/2/20~2/22の3日間、ブレインスポッティング(BSP)の開発者であるデイビッド・グランド博士自らによる、日本初のphase3トレーニングに参加しました!

 

Phase3では、複雑なクライエントさんにも対応可能なブレインスウィープやパーツワーク、演劇や芸術のパフォーマンスを向上させる技法、スポーツトラウマへの対処などを、デモンストレーションと実習を通してしっかり身に着けました。特にさすがデイビッド博士のデモンストレーションは圧巻! 被験者となってくれた実際の役者さんの演技が、たった30分ほどのBSPで全く別人のように変容し改善したのにはびっくりを通り越して唖然…。人間の脳のポテンシャルのすごさと、それを引き出すことができるBSPの可能性とダイナミズムにあらためて動機付けられました。

 

 しかし個人的には、パーツワークの二人一組のエクササイズプログラムで触発され、

はっきり認識した私自身の、この次元の属性ではないと思われるパーツ(注1)との想定外の展開がこのあと訪れようとは、この時はまだ予想だにしていなかったのでした。つづく

 

(注1)パーツ

人間の心はいくつかの「パーツ」(部分)あるいは「自我状態」から成っていると考えるのが、

アメリカの精神分析家ワトキンス夫妻が開発した自我状態療法のモデルです。「自分とはこんな人」と思っていても、人間の心は実は多くのパーツから成り立っていると考える方が自然です。それは普通の健康な人にも当てはまることです。例えば、職場ではバリバリのコワい上司が、家に帰って子供やペットの前では赤ちゃん言葉で喋っているとすると、その人は職場と家では違うパーツが前面に出ていることになります。また、人は受け止めきれないような衝撃に出会った時に、苦痛や恐怖や怒りを1つのパーツに押し込めてシステム全体を守ろうという傾向もあるようです。一人の人の中の色々なパーツ間で、人生に何を望むかについて矛盾が生じると、その人は葛藤を解決できずにいろいろな問題や症状を呈することになるかもしれません。

秋薔薇🌹の季節はもう少し先だけど、
うちの子たちは まだ続く夏みたいな陽気にもめげず、おのおのマイペースで咲いてます。

今年わが家に来たニューフェイスの
ナウシカァ、オーブ、ニンファ、の花の初お目見えに心踊り💓💓💓

薔薇の鉢を円陣に並べてその真ん中に座って瞑想してみると
……すごいエネルギー❣️
薔薇の生命と同調して、トーラス状の気が自分の内外を回っているのが感じられます。

脳幹がジンジンする〜。
皮質下の調整が起きているに違いない。

それが証拠に、
薔薇の成分、ティーローズエレメントには、ラベンダーと比べても3~4倍ものリラックス効果があり、人間の生理・心理作用に良い影響を与えることが分かっています。

さらにバラの香りは、
コルチゾールと呼ばれるストレスホルモンそのものの分泌を抑える効果が確認されているようです。
資生堂ライフサイエンス研究センターでは、ストレスを与えた被験者に、バラの香りを嗅がせた場合と、そうでない場合について血中コルチゾール濃度を比べる実験をしています。

その結果
香り無しのグループのストレスホルモン血中濃度は平均35%増加したけれど、

香り有りグループはストレスホルモンが増加しなかったとのこと。
国際生理学会議で発表されたようです。

でも私が感じたのはそれらだけじゃないかも。
薔薇の生命エネルギーそのもののように思いました。

どうしてかというと
うちの薔薇たちは、無農薬・有機栽培だから。🌹🌹🌹

農薬など科学薬品を使用すると、波動値が下がるからね。

自分だけでこの体験をするのはもったいない💦
薔薇の円陣内でのカウンセリングもやってみました。
クライエントさんも、後頭部がジンジンするのがわかったそうです。つまり、問題解決に重要な、皮質下(無意識と言い換えて良い)の脳部位が活性化したのだと思います。

結果、この回大きな気づきが生まれました。

薔薇の魔法円でのカウンセリングや瞑想体験にご興味のある方は、ぜひどうぞ。

季節限定(薔薇次第ですが😄)
キャンペーン価格45分 5,000円(税別)
お問い合わせ・お申込みは
forestshaman@docomo.ne.jp
090-3043-3005
カウンセリングルーム・フォレスティエ
森まで






解離とエナクトメント 1日セミナーに参加。
濃密で、あっという間に1日が過ぎて興奮冷めやらず、眠れなくなってしもうた。

「エナクトメント」は、セラピーの文脈で無意識的に、行動や言葉に現れること・表現されてしまうことを言います。

それは、従来、「無意識的、排出・排泄的行動化(acting out、アクティング・アウト)」と呼ばれ、マイナスに捕らえられてきました。

エナクトメントが起きるとクライエントの人だけでなく、セラピストまでもが行き詰まり、袋小路に陥ってしまう、一見ヤバイ・マズイ状態💦
この袋小路状態は、言い方を変えると両者とも解離しちゃってるプロセス。

従来の心理療法では、<失敗>と考えられていた状態です。

ところが間主観学派や関係精神分析では、そこにこそ、癒しや変容、可能性の<智慧>を見抜くのです。

でもエナクトメントを臨床で使えるためには、セラピストが、自分の解離と恥の感覚を経験する能力が必要になります。

自分の恥と解離を経験する〝能力〟ですよ‼︎
それが技法のかたちなわけで😱
まるで〝自分の解離&恥〟というワザの受け身を、とことん練習するような感じ?

いや〜、解離の時代の今、従来の心理療法は役に立たなくなってきているんです。

カウンセリングルーム・フォレスティエの森は、解離やトラウマを専門的に扱います。

カウンセリング形式だけでなく、これらに有効な手段としてのEMDRやブレインスポッティングを駆使して、クライエントさんの苦しみや悩みの早期解決に貢献します。