ずっと前から私は自分の中に、どこか自分の足を引っ張るパーツがいるのを知っています。

日常のほんの些細なことでも、例えば今日中にそこそこの連絡を誰かに送らなければならないとすと、しなければと意識すればするほどやりたくない気持ちも ねば~っとそれに付きまとう感じ。で、なんだかんだ先延ばしにしてしまう傾向…。

 

でもさ、例えば試験勉強しなければならないのに部屋の片づけを始めてしまうとかそういうことは誰にでもあるあるさ、と言われるかもしれないけど、私の場合わかっちゃいるのにこれを今まで何とかしなかった自分がこれまた情けない…。

 

ともかく、いつの頃からか、私はこのパーツを天邪鬼(あまのじゃく)として認識しました。

天邪鬼とは、わざと人の言に逆らって片意地を通す者(―広辞苑よりー)であり、「故意に相手に逆らう人」のことです。

 

 幼いころ、親から何かにつけこうしろああしろと言われるたびに「やーよ、ブーっ!!」と言って従わなかった自分をうっすら覚えています。

知り合いのおばちゃんが私につけたあだ名は「やよぶーのかおこ」だったのも思い出しました。

親からはよく「ひねくれている!! 」と言われたものでした。そう、天邪鬼はまさしくひねくれっ子なのです。

 

では、どうしてひねくれっ子ができあがるのでしょう?元々の性格だと思いますか?

ここで、私は天邪鬼を弁明するために一肌脱ぐ必要があります。

 

 赤ちゃんは、生後6ヶ月から2歳くらいまでの間に「誰が安全か」を検出し、

そして「( ふつうは )安全な」親との間にしっかりと揺るがない安心感や信頼感、すなわち愛着を形成します。そしてその後周囲の世界へと関心を広げ、認知力や豊かな感情を育んでいきます。しかし安全であるべき対象がそうでなかったら?あるいは、時には安全だけど予測不能にそうでなくなったら…? 

愛着理論はボウルビィやエインズワースが有名ですが、ポージェスのポリヴェーガル理論にある、安全のシグナルは愛着の前段(※注2)という一節が、最新かつ理論的に本当にすっきりしていて、トラウマ関連の臨床家の端くれとしての私の中では今や大ヒットです!!

ともかく、逆らうこと、戦うことが、その子にとってのサバイバル法だったのです。

 

私が成長して大人になっても、パーツとしてのその子は存在していますが、前回のブログ『ブレインスポッティングと天邪鬼 その1』の(注1)でも解説してる通り、誰にでもパーツは存在します。そして、すべての自我状態には存在意義があるのです。

問題は、その人が現実世界で生きていく上において、パーツ同士の葛藤がある時です。

 さっきの、試験勉強しなければならないのに部屋の片づけを始めてしまうとかもそうだし、私の場合も同じですね。でも、これでも私は一応その専門家でして!(^^)! EMDRも自我状態療法もBSP(ブレインスポッティング)もできるんです!! でも、ここにも大きな前提があるのです!! 関係性という前提が―。人との関係によって負った傷つきは、人との関係性によってしか完全には癒されないのです。私は、懇意にしてもらっているBSPのセラピストにお願いすることにしました。つづく

 

(※注2)「ポリヴェーガル理論」を読む 津田真人著 星和書店 p.318~p.319