尊敬する人がいない
これ、昔の私、なので
それに基づいて今回書いてみますが
それとは別で
そもそも『尊敬』の概念に馴染みがない
と言う人もいるんじゃないかなぁと思います。
これは今の10代、20歳ちょっと過ぎくらいの人までは特に。
または若い年代じゃなくても
宇宙系の人は
尊敬する人、
いないか、少ないかも知れません。
なので今回は
下記に当てはまる人に
向けての記事になりますが、何か感じる部分があれば、ご参考までに
(^^)
=======================
尊敬する人がいてもいなくてもどちらでもいいワケだけど
でも、尊敬する人がいない自分ってどうなんだろう…と思う時、
なんかモヤッとする、ちょっとイラッとする
そう思う方向け、ってことになるのかな?
===============
『尊敬する人がいない』
と思っている
特にアラサー以降~の年齢の方で
自分の中に怒りを抱えている人はいないでしょうか
もしくは、
尊敬できるひと=完璧でなくてはならない
そんな幻想を抱いてないでしょうか
尊敬できる人がいない
と思っている人って努力家、優秀な方が多いです。
ハードな環境や状況でも
頑張って生きて来た
学校や職場、仕事でも
実績を残したり、優秀だったり。
もしくはプライドが高い人
この場合もソンケイできる人物に
名前を挙げにくいかも知れません。
というのも、、、
頑張って来た人
プライドが高い人
怒りを抱えている人
その自分からしてみれば、
自分が『ソンケイ』という称号
を与える人物は、凄くなくちゃダメなんです。仕事ではズバ抜けた手腕がある
芸術的な才能が凄い
そんな人でも、何かしら抜けています。
むしろ偉人はダメダメ人間だったりもします。
ですが、上に上げたタイプの方は
その抜けている、欠点をなかなか許せない節があります。
尊敬という賞賛を与えるには
優れていて、なおかつ完璧な人じゃなければならない
そう(潜在意識で)思い込んでる場合は
そうそう尊敬できる人に出会えません。
凄いなと思う人には出会っても
だけど、あの人はここがイマイチ

だから、自分の『ソンケイの称号』を与えるには値しない
そんな公式が自分の中で成り立っています。
無意識なので本人はなかなか気づきにくいんですが、そういう場合、
『尊敬』の言葉の持つハードルが高そうです。
そして、他人を尊敬しにくい理由、
もうひとつあります
その『もうひとつ』は
この自分こそ、認めて欲しい。
認められるべきはずなんだ
この承認要求が心の奥底に潜んでいるケース。
これらはあくまでも”そういう可能性があるかもよ〜”の話ですが
頑張って来た人の中には
本当は頑張りたくないのに、そうせざるを得なかった
そのケースが往々にあります。
やりたくないこと、望んでない事なのに、頑張った。
そうするしか生き残れなかったから
(幼少期に潜在意識レベルでこの思いが刻まれています)。
そこにはそうせざるを得ない
環境や誰かに対する怒りが含まれていることもあります。
たとえば、
自分が『優秀であること』を褒めてくれた父。
頑張ってもなかなか自分を認めてくれなかった母
など。
子供はそうなると、
否が応でも頑張る事を選択します。
これは人が生きていくための脳の対処機構の一つなので、多かれ少なかれ、誰でも何かしらこういうのがあったりします
子供にとって一番大事な事は
生き延びる事(子供は自活できないので、今生きている環境の中で生き延びる事が重要な主題となります)
そして子供にとって
親は絶対的な存在ですので、親に愛情を注いでもらったり、気を引くために、何かしら子供はしようとしちゃうんですね。
仮に、『頑張ることなく、素のままでも褒めて欲しかった』。そんな子供心が残ってしまうと
どこかで癒されない限り、
大人になっても、その気持ちが潜在意識に残っていたりします。
そうなると、
『頑張ってきた自分』が与えるソンケイの輝かしい称号
は実は
自分が与えて欲しいもの
という裏返しになります。
その相手はもしかしたら両親かもしれません。
父親に認めて欲しかった
ママに褒めて欲しかった

最初はそこから発して、
気がつかない間に
頑張るだけ頑張って
でも、本当は一番自分が欲しかった賞賛を得られないまま、生きて来た
だから、ちょっとやそっとじゃ
ソンケイに値する人はいない。
いや、むしろ自分こそ認めて欲しい。
そんな思いが眠っていたら、
誰かを認める『尊敬』ハードルは、無意識のうちに、塔のように高く上がってるかも知れません。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
以前の記事
で書いたように
親への怒りもあって
尊敬できる人=両親 と書けない人もいるかも知れません。
尊敬できる人がいても
いなくても、本当はどっちでもいいですよね。
いてもいなくても構わない。
だけど、学校の記入欄とか、面接とかで
尊敬できる人は?
って聞かれるじゃないですか?
そうなると、尊敬する人がいない自分はおかしいのかな?
と思うわけです
だって、周りは
お父さん、お母さんです
とかエジソンです
とか何のためらいもなく答えますから
ソンケイできる人がいない…
そんな自分ってどこかおかしいのかな?
そう思っても不思議じゃない
結論から言えば、
ソンケイに値する人物がいてもいなくても
どっちでも良いんだと思いますが、
『尊敬』のハードルが下がると、
実は自分が楽になったりします(^^)
私の場合は、自分が癒されて整って来たら
尊敬しちゃうなぁと
自然に思うようになったので
もしかしたら自分が変わると
あなたの持っている『尊敬する人に値する』の
概念が変わるかも知れません。
そして、人はパーフェクトじゃないゆえに
凄い部分が『凄い』で充分!!
と思ったら、明日からでも
あの人ソンケイしちゃう!!
と思えるかも知れません。
ちなみに私は
今じゃどうかというと
細い路地の角をぎりぎり曲がり切るバスの運転手さんとか、ホント尊敬しちゃう(笑)。凄いの!もうスレスレなんだもの。よくぶつけないで走るなぁと感心してしまうし
あとは
子育て中の親御さんとか
たこ焼き焼く時、めちゃくちゃ早く回転できる店員さんとか(笑)
みんな凄い(-o-;)って思っちゃう。
そう考えると、だいぶ変わりましたね(^^)
尊敬する人がいない…
そう感じている方
頑張りすぎてないか
他人に厳しすぎないか
自分こそが認めてほしいという思いを持ち続けてないか
ちょっと感じてみてくださいね。
もしも
当てはまるかも、、、と思ったら
頑張ってきた自分を
ちょっと緩めてあげると良さそうです。
自分のやってきたことが
なかなかわかってもらえなかったり
自分の頑張りが
なかなか認められないとか
それでも自分はテキトーに済ませないでやってきたとかね
こういうのは
自分しかわからないので
まずは自分が
「私、偉いじゃん!、俺凄いじゃん!」って
誰かに認めてもらわずとも、
自分で認めてあげてくださいね。
特にどれもないなぁ
と思うなら、
尊敬っていう概念に馴染みがないだけ、かも知れません。
いずれにせよ
尊敬する人が増えると
案外楽しいです。
この人のここが凄い、あの人はこれが凄い。
そんなふうに思うと、案外凄い人だらけですね、世の中。
ということで今回は終わり!
1ミリでも参考になったら嬉しいなぁ
dahlia(ダリヤ)


