貴重なお話を教えていただいて有り難うございますこれだからブログは楽しいですね
明和2年(1765)9月8日
京都町奉行所が賀茂川で大きな花火をやっているが三条より北は御所に近いんで大花火をしてはならないと
いう御触れを出したそうです
江戸時代は賀茂川で打ち上げ花火がされて観ることが出来たんですね
へぇーと思っていたら実は昭和に入っても打ち上げ花火は実はされていたそうなんです
昭和29(1954)年8月16日新聞社の主催で賀茂川に打ち上げ花火がされたのです
昭和29年生まれてちなみに今年で何才になられるのだろうと早見表で見てみたら
キエテルってばウッソー
と思ってもっかいよくよくみたら未だあった70代かアカンアカン消したら良かったァ
賀茂川河原河川敷は大勢の見物客で
大混雑した300以上の打ち上げ花火が彩られもう一方では五山の送り火が点火された
京都人のやるときにはやるのはよう分かったけどやりすぎっなんすよね
京都人はキレたらヤバいのはよう分かりますあんまし怒らさんとくに限るワ呪詛かけられる
その夜賀茂川の見物客は花火と送り火という二つの風物詩を堪能したなんとも贅沢な晩夏の一夜であったことだろうがところがその夜京都御所で大変なことが起こった
矢張りねたまに踏みはずしよんのよ
京都御所の紫宸殿東北にある小御所から火の手が上がり全焼してしまったほらネ怒られたのよ京都人て信心くさいくせにこういうことなることなることするから丹波国としてはハラハラドキドキ
火災の原因はその夜打ち上げられた
パラシュート落下傘花火ではないかと報道されたが打ち上げ花火を主催した新聞社は原因が花火にあったことを否定し真相は有耶無耶になってしまった
賀茂川の花火で打ち上げられた落下傘花火というのは国立国会図書館の
レファレンスデータベースにあって
ポカ物というなかから雷、星、袋物が出てくる打ち上げ花火で
ポカ物というのはくす玉のようにポカッと二つにわれてなかからいろんなものが放出される花火のことをいうそうです
花火のルーツは狼煙で日本に伝わったのは鉄砲と火薬技術が伝来したあとのことでいまのように観賞用の打ち上げ花火が流行したのは江戸時代になってからでその江戸では花火による火災が何度も起き幕府による花火禁止令も出されていました
火は厄除けの意味持ちながら火災も引き起こします母は花火したあとは空が火事を起こしとるから呼び寄せるからよう気をつけなあかんいうてました
父もなんか見るけど打ち上げ花火嫌いでしたね生まれ育った白山の火山噴火があるからでしょう
賀茂川意外に桂川で打ち上げ花火を観られたこともあったそうですどうせ嵐山でしょうけど最近突発的に嵐山打ち上げ花火ゆうてなんかイベントでやっています