百人一首を作ったのは有名歌人である藤原定家ですがその製作に深い関わりをもった鎌倉御家人がいました
下野国(現、栃木県)の武士宇都宮頼綱です彼がいなければ百人一首はこの世に誕生しなかったといわれています
坂東武士としての宇都宮頼綱は
文化人としての蓮生としての顔も持っていました宇都宮頼綱の半生を辿りながら鎌倉時代の歌の世界に入ってみたいと思います
坂東サガヒガシと京都との関係というのは結構面白いもので
そもそも関東というものは室町幕府においては鎌倉公方の管轄する相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の坂東8カ国現在の関八州一都六県とそれと伊豆、甲斐をあわせて関東と認識されていたそうです
宇都宮頼綱は治承2(1178)年に生まれたとされています
祖父の宇都宮朝綱は朝廷の警備兵で宇都宮頼綱の母も祖母も京都生まれの女性で和歌や京の習わしなど教養がある由緒正しい家柄でした
宇都宮氏は摂関家藤原北家右大臣藤原不比等の二男藤原房前を祖とする家系で藤原四家の一つだそうです素晴らしい御家系をお持ちですね
なので京都の結びつきが強かったのですね母方も父方も素晴らしいです
源平合戦の頃の宇都宮氏の長は宇都宮頼綱の祖父である宇都宮朝綱です宇都宮朝綱は関東地方で源頼朝が打倒平家を掲げて挙兵したとき京都にいました
平清盛は関東地方の有力者である宇都宮朝綱を捕らえて抑留してしまいました
しかし4年後に故郷に帰ることを許されると源頼朝の元に参じて鎌倉御家人となります
平家が滅法し鎌倉幕府が成立すると
弟の八田和家と共に幕府を支え八田和家はのちに13人の合議制の1人となります
2022年大河ドラマ鎌倉殿の13人にも
登場していたと思いますが八田和家もまたブログにしたいですね
その後宇都宮朝綱は隠居して時期は不明ですが頼綱が宇都宮氏を継ぐことになりました
宇都宮頼綱が22歳になった時源頼朝が亡くなって鎌倉幕府は陰謀渦巻く政治の世界となります
宇都宮頼綱が27歳になった頃突然謀反の疑いをかけられそこで頼綱は周りがびっくりするくらいの素早さで
思い切った行動に出て出家しました
宇都宮頼綱は蓮生と名乗り光り輝く頭で鎌倉にやってきて謀反の意思がないことと非礼に対する謝罪をして息子に家督を継がせました
とはいっても出家後は出家したからといって大人しくしていたわけではなく京都と宇都宮と鎌倉を行ったり来たりと勢力的に活動していたそうです
法然や証空などといった高僧に師事し全国を旅しました
そして京都の屋敷が藤原定家の屋敷とご近所で互いに和歌に造詣が深いこともあり二人は親友となりました
藤原定家の息子と宇都宮頼綱の娘を結婚させ元は同じ同族藤原家同士結束を固めた
二人の和歌のやりとりも残ってます
(東へ行ってしまう人へ)
ゆく人の又あふ坂の関ならば
手向けの神を猶や頼まん
行ってしまうひとよ、また会いましょう(東へ帰るときに)逢坂の関を越えるなら旅の神にあなたの安全を
頼んでおきましょう藤原定家
(返し)
あふさかの関もる神にまかせても名こそ手向けのたのみ也けり
(旅の安全は)逢坂の関を守る神に任せましょう。ご利益があると評判の神に頼んでくれてありがとう蓮生法師
逢坂の関とは現在の京都と滋賀の間にあった関所のことで京都から出ていくひとや京都へ帰ってくるひとを
思う歌によく出てきます
蓮生こと宇都宮頼綱と藤原定家が歌を仲良く詠みあっていた頃の京都では家のふすまに和歌を張りつけることが流行していました
蓮生は自分が住んでいる家のふすまに張りつける和歌の選定を定家に頼みました
定家は親友のために歴史上の有名歌人の歌から選び抜き色紙にしたためましたそれが百人一首の元となりました
このように宇都宮頼綱こと蓮生は僧として旅をしたり歌人として文化人と交流を深めたり時には武士として警護を頼まれたりバイタリティー溢れた生涯を送り正元元(1259)年に
82才で亡くなりました
現在の平均寿命に近い生きかたをしたのは運が良かったからできたんではなくてね生きるということを私は
貪欲にやはり武士やったからこそ考えやはったんやと思いますね
蓮生の故郷でも和歌は盛んで宇都宮城や宇都宮の鎮守であるニ嵐山(ふたあらしやま)の神宮寺(神社のなかにあるお寺)で歌会が行われたことが記録に残されています
日光のニ荒山(ふたらさん)と同じ下野国で感じも同じだけど宇都宮ではふたあらやまそういうのありますよね
場所も人もちょっと離れたら全然違いますからね人間ですからね
宇都宮で蓮生を中心に形成された宇都宮歌壇といいます京都が中心の和歌の歴史の世界のなかでも東国歌壇
の代表として注目される大きな存在感を放っていました
室町時代になると衰退してしまい
宇都宮歌壇は何時の間にか無くなってしまいましたが蓮生と定家が作った百人一首は800年の時を超えても
なお日本文化として残っています
宇都宮市では現在小中学校で地元の
歴史文化を学ぶ一環として宇都宮頼綱や百人一首を取り扱っているそうです
坂東と京都の関係をもっと知りたいものですね