平安時代の人々の物の考え方が伺える場所が京都の紫野にあります


紫野にある紫式部のお墓の隣には

平安時代初期の公卿小野篁のお墓がありますが


小野篁といえば昼間は朝廷に仕え夜は冥土へ入り閻魔大王の元で死者に対する裁判に立ち会っていたという 言い伝えがあります篁の口利きで蘇ったひともいたそうですが


なぜ生きた時代も違う2人の墓が並んでいるのか真偽の程は定かではありません


紫野式部は源氏物語という色恋沙汰のフィクションを描き人々を惑わせたので必ず地獄に落ちるといわれていたそうです 


そしてそれを阻止しようと紫野式部の熱心な読者が篁の墓を移したという説が生まれました


仏教では執着を捨てなければ成仏できないといいますが 


鴨長明の時代は特に文学や和歌、音楽などの創作活動はフィクションを生み出すことでありつまり嘘をつくことだという認識でした 


鴨長明は方丈記の後半で捨てて生きることを強調しましたが一番の罪である和歌や音楽を捨てることはできませんでした


すべてを捨ててしまいたいこのような思考には誰しも人間落ちいってしまいますけど


悲しいかな人間の性なのか人は生きている限りはものを欲しものを集めものをため込んでいきます


方丈記の後半全てを捨てた鴨長明は

まるで人生の憂鬱から解放されたかのように生き生きと過ごします


そこには自分の不運を嘆き人生を諦めるのではなく不運を悟った上で執着を捨てそれでも生きていけることを発見した鴨長明のちょっと得意気な顔が見えます


家を捨て都会を捨て栄達を捨て人間関係を捨てた鴨長明その先に見えた

幸せとはなんだったのか


鴨長明が到達した無常の境地とは


方丈生活を賛美するかのように見えた鴨長明は最後の最後で突如立ちすくみ考えます


執着を捨てることに執着する自分は

悟ってないのではないか


そしてその自問に答える術を知らないまま念仏を唱えて方丈記は終わります


自己の考えの絶対を決めつけない心の在り方と姿勢こそが究極の無常のではないか


その姿勢は一見優柔不断なように見えるが何が起ころうと悩まず断定せず全てを受け入れて揺らぎ続けるそれが自由になることであり強くなることであり未来を楽しむことではないかともあります


方丈記寝てしまいますが最後まで読むのは夢のなかになりそうだしね


たまにはでもいいでしょう