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君をいのる心の色を人とはばただすの宮のあけの玉垣
前大僧正慈円
十首歌合のなかに神祇をよめる
新古今和歌集巻十九神祇歌1891
わが君の長久を祈るわたくしの心の
色をもし人が訪ねたならば糺(ただす)の宮の朱塗りの玉垣のように赤心そのものと神かけて答えよう
新日本古典文学大系11P.551
正治二年(1200)九月仙洞十人歌合「神祇」
君をいのる
主君の長久を祈る。この君は具体的には後鳥羽院。
ただすの宮
下鴨神社摂社「本社と末社の中間」の河合神社とも。問い「糺す」を暗示し「とはば」の縁語。
あけの玉垣「宮」の縁語。
朱塗りの垣。赤心を表す比喩。真心の象徴。「玉垣」は皇居や神社の垣(仕切りとなる壁や植込み)。
「あけのたまかき、たまかき、みづのたまかき皆、神垣也」(和歌初学抄)「平安時代後期歌人藤原清輔1104-1177による歌学書」賀茂社関係の詠。
慈円(1155-1225)平安時代末期から鎌倉時代初期天台宗の僧藤原兼実の弟。
千載集初出。新古今入集九十ニ首(西行に次ぐ第二位)
勅撰入集ニ百六十九首
隠岐での後鳥羽院による「時代不同歌合」では僧正遍昭と番えられている小倉百人一首95「おほけなく浮き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染めの袖」
河合「かわい」神社
(京都市左京区下鴨泉川町)
鴨川合坐小社宅神社「かもかわいにますおこそべ」
左賀茂川と右高野川が合流して鴨川
となり二つの川に挟まれた中央部に
糺の森はある。
森の内部に賀茂御祖神社(下鴨神社)
の参道が通っているがそのとっかりに河合神社がある。
延喜式神名帳には「賀茂川合坐小社宅」と記され賀茂川御祖神社の摂社である。
「河合神社」と書いて「タダスノヤシロ」と読むのが慣例だった「太平記」巻十五に「河合森」「タダス」とある。
「新古今集」の慈円の歌の「ただすの宮」も河合神社をいう糺の森は河合神社に属していた。
社宅「こそべ」は社部、社戸とも書かれている例があるがマツリゴトを行う場所または人の意味でそれが転じて神社をコソというようになった
大阪東成区の比賣許曾神社「ひめこそ」のコソも同じ意であるとのこと
「日本の神々5」賀茂御祖神社.河合神社の頂で大和岩男氏は以下のように書かれている。
河合神社が「只州社」(ただすのやしろ)とも書かれることから「ただす」は河合の州の意とする説があるがこの解釈では「只」の意味が不明になっている。
「只」(ただ)は直(ただ)と同源であり「タダス」は朝日の「直差す」「たださす」の意味であること。
直(ただ)はあるがまま
直(ただ)あるがまま直差す「たださす」
四明岳(比叡山の最高峰)山頂ー糺の森(下社.河合社)ーー元糺の森(天照御魂社.蚕の社)ーー日崎峰
(松尾大社旧跡)が直線上に並んでいる
この線は四明岳に昇る夏至の朝日の
遥拝線であり
冬至に日崎峰に日の入りする遥拝線でもある