芥川竜之介(1892~1927)
芥川竜之介は1892(明治25)年東京府東京市京橋区入船町8丁目(現在の中央区明石町)に牛乳製造業を営む新原
芥川竜之介は1892(明治25)年東京府東京市京橋区入船町8丁目(現在の中央区明石町)に牛乳製造業を営む新原
敬三とフクの間の長男として生まれた
生後7カ月で母フクが病のためフクの長兄の芥川道章に引き取られ13歳の時芥川家の養子となった芥川家は
士族であり江戸時代は代々幕府の奥坊主を務めた由緒ある名家であり芸術や演劇を愛好する家系であった
奥坊主というのは御坊主衆という役職のなかの職の一つの職ですが
花の御江戸の江戸城は御坊主衆
お茶坊主茶道坊主ハア陰気くさい坊主だらけかなんていいません
江戸城で将軍や重役登場した大名たちを世話し調度を整えたりするのが御坊主衆の仕事でした
御表坊主、奥坊主、御土圭坊主、
御用部屋坊主、御数寄屋坊主それぞれの役職の仕事のなかで
芥川家は奥坊主ですから将軍の私的な部屋の世話担当でした
御坊主衆の身分は御目見以下の御家人ですが職務以上本来なら御前に出られないはずの将軍の側近くに仕えます
大名も登城の度に御世話になることですし彼らから何か噂が上層部の耳に入ってはということもあり自然に手厚く扱われその職権を笠に権力を振るう者もいたようです
芥川家のルーツは高槻市の芥川一帯だといわれています苗字研究家の森岡浩氏によれば
芥川氏は高槻市の地名がルーツで桓武平氏の一族芥河とも書いた鎌倉時代から幕府の御家人として活躍し室町時代には摂津を代表する国人だった現在も府内一帯に広がっている
47都道府県.苗字百科(丸善出版)とされる
高槻市の芥川の芥の由来は阿久刀神社の阿久刀だとされている
養蚕技術を持つ渡来系の阿久太がこの地に氏神として祀ったともされている
地名には災害地名としてのレッテルをはるだけでなくそれぞれの多様な歴史がある