京都盆地は右京に西河(桂川)が流れ
左京に東河(賀茂川)が流れ扇状地で
あるため元々地下水の豊かな地で
あったことは間違いない
平安京は太極殿を中心に左京と右京を造ったが右京は表層が粘土質で排水状況が悪く衛生的でなかったため
衰退し
左京は砂質土であったため暮らしやすく多くの人が住むようになったが
ほんとうのところは京都盆地の地質土はどうだろう暮らしやすいと住みやすいといえるのか
明治時代までは都に住む誰もが3~4mの深さにある井戸水を飲んでいたが琵琶湖流水の完成や地下鉄の開通などで今では50m以上の深さまでパイプを入れないと地下水を飲めなくなった
京都盆地の下は自然の地下ダムになっており琵琶湖に匹敵する水が眠っている
平安時代には太極殿の東に位置する
人工河川東堀川(現堀川)と西堀川(紙屋川)を船が往来し物資が運搬されたといわれている
この河川での運搬を事業として日本で最初に始めたのが角倉了以、素庵の親子で了以親子は慶長11年にわずか5ヶ月で筏しか通れなかった桂川(保津川)を高瀬船が運行出来るように開削した
桓武天皇が平安京を整備したとき碁盤の目上に道路を作っただけでなく
10以上の河川を作った
それらは富小路川、烏丸川、堀川、
室町川で現在は殆ど通り名だけで残っている