その行者山から北東14kmのところにもう一つの行者山があります
京都府亀岡市千代川にある巨石の山です鉱物資源の豊富な山です
この山の麓には独鈷抛山千手寺というお寺があります
空海が唐より投げた独鈷が当山の松にかかり空海が帰国後白鹿に案内されて独鈷を探し当てたことからこの名前になり鹿が道案内をしたことからこの村を鹿谷と呼んだ
鹿谷には縄文時代からの鹿谷遺跡があります
見つかった槍の先の黒曜石には
島根県の隠岐島のものである可能性が高くまたほど近い千代川遺跡で見つかった槍の先は奈良のニ上山産であると推定されています
隠岐島との交易があったのなら隠岐から大阪との間にある中継地点も含めて相当広範囲な文化交流があったのは確実だと思います
能勢行者山から南へ2~3kmのところにある大里遺跡からはやはりニ上産のサヌカイトが発見されている
巨石が累々とする二つの行者山を縄文人もよく知っていた猪や熊などを求めて山に入ればこれらの山中に異様な巨石が累々とあることはすぐ分かります
縄文人のアニミズム信仰にもし巨石信仰とでもいうべきものがあったとしたらそれぞれ原始の精霊や先祖を祀り豊富な食糧獲得などを祈っていたのではないか
ストーンサークルなどヨーロッパの巨石文化は新石器時代のものです日本では縄文時代に匹敵します
ユングの共時性ではないが巨石文化や巨石信仰が日本の縄文文化にあって当然です
これらを創造した感受性豊かな縄文人がそれぞれの行者山の不思議な巨石を見た時にそこに畏怖感がなかったということがあり得たでしょうか
現代人としてネット社会で生きてる私達はググれば岩石の知識や風化などの知識は多少は持っていることが
出来るでしょう
それでもこれらの巨石には神秘的なものを感じてなりませんしそういうところから興味を持ってくだされば
と思います
地学的知識のない縄文人には確実に神や精霊だったのかもしれません
そしてそれは空海や役行者の時代まで形を変えつつも人々に受け継がれていたのかもしれません
空海や役行者は古くからの伝統的信仰=まだ体系がなく未開の呪術に過ぎなかった信仰を仏教の力を借りて
次のステージに押し出し誕生させたのではないでしょうか
町起こしの亀岡の鬼だけど私は鬼は
亀岡に絶対にいる存在していたと思います郷土愛みんな強すぎすごく上手に民話の話出来ているんです
薭田野町は亀岡市の中心になります
行者山の麓の薭田野町鹿谷は大谷鉱山があり大谷鉱山社宅跡には光る石の博物館があります
薭田野町に隣接して吉川、曽我部、大井、並河、千代川とありみな腐れ縁です亀岡市は遺跡や鉱石が多くて
市章が桜なのは桜石と桜天満宮から来ています
市章は亀と桜でできています
みなさんは菅原道真といえば梅ですか桜ですか
梅を思い浮かべるひとが多いと思うのです
亀岡は菅原道真といえば桜なのです
桜石と桜天満宮に繋がっています
亀岡は春が来たなと思うのは梅よりも桜
桜石の桜天満宮
昔桜の木に昇ってご神木だからと
怒られた私です