歌詞一番「春高楼の花の」は栄華の

回想から暗示する。


。遡詩である。盃かげさしては、名月と対比されている。盃は月を示し逆にに写す器で「さかつき」は「逆月」と読み替えられる。過去に遡る意と朔月(昼の月)から始まる意がある。


私は未だ言葉の表現と理解が難しい

子どもの頃父に、それで褒められたのを、今でも懐かしく嬉しく思い出し覚えています。


「さじずぜぞ」が「だちづでど」になる私は丹波弁です。


だから父も祖父も、「さかつき」と歌っているのが、私は耳が可笑しいかと思いました。ぞうさんをどうさんと歌って怒られたことが過去にありますから。違うそうではないと。


。「千代」とは非常に長い年月を意味し「千代木」が松の異名であることから松には長い年月が刻みこまれています。


その松の枝をわけて昔の光を探す情景は憂いがあって、美しさがあります。


この詩は「千代の松」を松平竹千代とする説があります。徳川の子孫を

示しています。


晩翠は徳川御連枝会津保科家の鶴ヶ城の解体された本丸(垣)も見ています。


この詩は「千代」を「ちよ」とよんでいるが、伊達政宗が「千代」(せんだい)を「仙台」(仙臺)と書き改め、現代の仙台市につながっています。


仙台出身の土井晩翠が「仙台」の掛言葉である「千代」と書き「ちよ」と読みを替えて「仙台」のことを暗に示しているとも考えられます。


その場合「千代の松」は「仙台(城)の松」となるが、「千代」は

「長い年月」の意味もあるので両方を掛け合わせたととらえほうがよいかと思います。


「仙台」とは「仙人の住む高台」を

意味し伊達政宗が住む山城の仙台城

(青葉城)を示している。


仙台城という名前から城下町も仙台

となった。


松平陸奥守仙台城は戦禍を逃れ顕在した高楼のお城であったが晩翠は解体された本丸跡(垣)や高楼の二の丸を見ている。


。晩翠は富山城の解体された本丸、

西の丸跡(垣)も見ている。この詩の背後に松平前田藩跡の東京大学で

晩翠が詩を構想した際に松平前田御連枝の富山城を移し込んだと考えられています。


.高楼は幕政及び幕藩体制を及び現すと考えられる。


花のうたげは養子縁組や養子縁組など政略的な縁組みを迎えている。


仙台藩も前田藩も徳川家康の姫(孫)を迎えています。


荒城の月一番

春高楼の花の宴

めぐる盃かげさして

千代の松が枝
わけいでし
昔の光いまいづこ

現在は自由恋愛ですが

子供の好いた惚れたやないですからね人はひとりでは生きられないお互いの家というのは必要です。


うちもなかなか苦労なさっておいで

です。