父は昭和2年母は昭和9年ですが
めちゃ大昔のように感じてしまいます
峠越えて大八車で京都の祇園の叔父のとこまでの話をきいてもピンとは矢張り無理があります
観音峠のあたり越えるだけでも気持ち悪くなりますしね
バスや自動車やありますが
それを歩いて山から山渡っていたのかと思うと
山から山に田んぼやら畑やらあるのでかなり距離があります
一度村のお祭りに妹が行きたいと言うたことがあるのですが
山のなかなのでのびました
たいして作物とれんのに自分らはたいして食べれんのになんで京都の叔父のところに苦労して世話なっとるからてもっていかんなあかんねと母は腹がたってしゃあなかった言うてましたね
母はあわやらひえやらお前らは食べれへんやろと何時も言います
私は子どもの時お赤飯さえ苦手でしたからねえ無理ですよね