本当に怖いのは。 | kaori-m-01のブログ

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ここでは備忘録として認知症の父を娘として向き合う視点でブログを書いています。


こんばんは。
kaoriです照れ



このブログでは
親の老いを受け入れるをテーマに
ブログを書いています。



老いていく父を母を
大切に想う気持ちを待ち続けながら



寂しいとか哀しいとかではなく
幸せな老いを受け入れることが
出来るのではないか?



そんな気持ちで
ブログを綴っていこうと思っています。


最近の父は
穏やかではありますが



子供返りというか
ずいぶんと自分の気持ちを
素直に表現するようになったなぁ‥
と感じています。



それは娘にとっては
比較的父の気持ちを
理解しやすく思えるのと同時に



非常に複雑な気持ちになります。



父は素直に表現することで
自分を守っているのではないか?



色々話をすることで
自分の不安を打ち消そうと
しているのではないか?



そう考えると
本当に複雑な気持ちになります。



寄り添っているつもりで
逆に優しさをもらっているのでは
ないのだろうか?



父は自分がわからないことが
増えていることを自覚している



わからなくなることの怖さを
誰よりも知っているのは
父自身であり



私達には
想像してあげることしか
出来ません。



どんなに想像したり
どんなに理解しようとしても
父の本当の気持ちを理解するのは
罹患した本人にしかわからない



それがどんなに心細いことか
本当に理解してあげることは出来ません


会話が増えるのは
問いかけが増えるのは



自分の不安を解消するため



求めているのは答えではなく
同意なのではないか?



そんな気がしてきました。



本当に欲しいのは
同意という名の安心感
そんな気がします。



私達に出来ることは
今は安心感を手渡してあげること



私達が実践してみて
1つ気付いたことは
気持ちはちゃんと伝わっている



そして。



その優しい気持ちは
確実に連鎖する。



私達に対する言葉が態度が
本当に変化する。



時にこっちがハッとするような
優しい言葉が返ってくる照れ



こっちが恥ずかしくなるような
優しい考え方を示してくれる照れ



ただ。



これはうぬぼれている訳ではなく
あくまで「今」の私達の現状です。



今は安心感を手渡そうとすれば
今はちゃんと理解して応えてくれる
それだけです。



「今は」はその時々で
おそらく色々な形に
姿を変えていくことになるでしょう



「今」を懐かしく想う時が
くるのかもしれません。



でも。



「今は」を積み重ねていく
それが私達に出来ることかもしれない
そう考え始めたところです。


とりあえず私に出来ることは
今までの父をこれからの父を
私が変わりに覚えておくこと
それくらいなのかもしれません。



今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございました照れ