先日、私の祖母が、92歳で亡くなったの。

8年前に、母が亡くなった頃から、いろいろ解らなくなり、私が香なんだか、ママなんだかも混乱したり。

でも、お婆ちゃんにしたら、自分の娘が、先に亡くなった訳だし、その悲しみに明け暮れないよう、神様が、解らなくしてくれたんだなーって、思っていたんだ。

お婆ちゃんは、92年間、病気もせず、だから、ツライ治療とかもせず、与えられた人生を、きちんと生きて
、子供たちや、孫までもが待つ天国に、やっと行けたんだな~、と、悲しいより、感謝の気持ちでいっぱいで、なんか、拍手で送り出したい気分でした。

お婆ちゃんは、几帳面で、缶ジュースのカチってする、丸いところや、ゼリーなどについてくる、透明なプラスチックのスプーンや、ありとあらゆるものを、同じ形、大きさごとに、ひとまとめにし、

ナゼこれを???

と叫びたくなるものを、キレ~に引き出しにしまうような人で、最初は、香パラダイスを見ては、香は病気なのか?と、ボヤいていたが、しまいには、近寄らなくなった😅

あの時代の人なのに、英語が喋れた!

だから、カタカナに強く、小さい頃は、尊敬していた。

私が大きくなる頃には、お婆ちゃんは随分お婆ちゃんで、私と弟とママで、コッソリお婆ちゃんの電話帳を覗いては、

香のファックナンバーって書いてあるぞ!(正しくは、ファックスナンバー😅)

近くのスパー(正しくは、スーパー😅)
だって!

と、爆笑していた。


しかし、私の作曲の才能に最初に気が付いたのも、お婆ちゃんで、小学生の頃、私がピアノを弾いたり、チッチとサリーの詩集にメロディをつけて歌ったりしているのを聞いて、


あの子、なんかおかしいわよ、奇妙な歌を歌ったり、変な曲を弾いている、、、


と、ママに告げ口していたらしい😅


そんなお婆ちゃんに、私が今、いちばん感謝してるのが、お婆ちゃんは、私がプリ全盛の頃、一緒に住んでいて、ご飯作るのはママ、片付けはお婆ちゃん、という役割になっていたのだが、とにかく、キッチンは、いつもピカピカで、汚れた食器がシンクにあるのを、見たことがない、ぐらいだった。

だから、夜な夜な帰ってきて、腹減った~と、冷蔵庫をゴソゴソあさって、なんか食べた食器が、朝、お婆ちゃんが起きてきて、ピカピカにして寝たハズのキッチンにあるのが、絶えられなかったらしく、毎回、叱られた。


あの時は、どんなに叱られても、1度も洗ったことは、なかったのに、今、私は、こー見えて、なにもできないぐらいベロベロか、食洗機がいっぱい、とか、よーーーっぽどの事がない限り、洗いものを、シンクに残して寝ない。


香パラダイスの住人が!だよ?

これは、絶対に、あの時、お婆ちゃんに叱られ続けたお陰で、潜在意識が、シンクに皿を残さない、と、思い込んだに違いない。

ほら、今も!

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私、ママ、お婆ちゃんの3人の中で、いちばん、お肌が綺麗で、次は、ママ。

私はビリだが、それでも、よく、みなさんに、肌が綺麗と褒めてもらえるのは、間違いなく、遺伝だ。

あと、お婆ちゃんは、晩年、カップラーメンを覚え、特に、シーフード味が好きで、よーく、食べていた。


カップにお湯をそそぎ、3分待って、ラーメン用の器にあけて食べる。。。


毎回、
はてなマークはてなマークはてなマークと思いながら、余計な事は言うまい、と、黙って見ていた😅

チビカとお婆ちゃんは80才違い。

チビカがよく、膝に座り、お婆ちゃんの服のボタンを、とめては、ハズし、ハズしてはとめ、、、延々やっていたなー。

ひ孫たちが、棺を運び、遺影も戒名も、持ち、孫たちは、ひたすら、ありがとうと、心で繰り返す。

なかなか、こんな素敵な葬儀もないだろうな、、、


と思いました。


そして、今朝も、1人増えた、私の大切な人たちに、お水、お茶、そして、炊きたてのご飯をお供えし、お線香をあげて、


お婆ちゃん、みんなに会えたかなー?

と話しかける私でした。

そして、うんと充実した時間を生きよう!と、思うのです!


お婆ちゃんに、乾杯!


私の自慢のお婆ちゃんでした!



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