今朝がた、私のママが可愛がっていたペット、マルチーズのロックちゃんが、亡くなった
ママは、私や弟が大きくなり、分かりやすく、愛情の行き場を求めたのだろう、チンチラのぼんちゃん、シェルティーのリキ(私が勝手に、パチパチという雑誌の編集部の方にいただいてきて、ぼんちゃん、と、サイちゃんで、盆栽だ~と命名したら、ものすごく怒られ、散歩で、犬をサイって呼んだらおかしいでしょと、ツアーから戻ると、リキになっていた)マルチーズの兄弟、遊(ユウ)ちゃんと、ロック。
これが、いつも、ママの回りにわさわさいた。
中でもロックは、最後の一匹で、猫のぼんちゃんが亡くなり、具合の悪いママの様子を伺いながら、一足先に、って逝ってしまったリキ、次はママ。
だから、ママが亡くなった時、ぼんちゃんとリキが、シッボふりふり、また、ママにまとわりついてるんだろうな、と、気持ちが少し救われたもんだよ。
残された遊とロックは、弟の家に引き取られ、遊ちゃんは後を追うように、ママのところへ。
そして、一番末っ子、ロックが、今朝がた、ママのところへ逝ったのでした。
チビカを駅まで送り、昨日から具合が悪いのを聞いていたので、携帯を気にしていたら、亡くなったと知らせがきたので、ママの写真をとっさに持って、まだ、暖かいロックを最後にヨシヨシしに行った。
ペットとの別れを、今まで何度経験しただろう
いつも思うことは、『この子は我が家の子になり、本当に幸せだっただろうか…』ということ。
子育ても、果たしてその子が一番望む、幸せなレールを引いてあげられたか、最後までわからないけど、もの言わぬペットは、本当にわからない。
これ以上ないってぐらい、愛してあげられたか、いつも、心になにか残る
人生最初のペット(今回は犬猫に絞らせていただきます)は、小学生の時、飼っていた、ドーベルマンのエルザ。
黒い、ツヤツヤの短い毛並みで、小学生の私には、正直、ちょっと恐かった
散歩に行っては、凄い力で引きずられ、転んでリードを離したりしたした時には、一目散に、猛スピードで走っていき、すぐに見えなくなっちゃって、私は泣きながら家に戻ると、何くわぬ顔で、庭にいたことが、何度か
夏の夜、エルザのハウス(家の裏にある物置)まで、庭を半周する間に、私の足よりデカイ、ガマガエルに、何回も遭遇するのが恐怖で恐怖で、何度エルザのご飯をひっくり返したことか
冬は、寒かろうと、ママが近くのお肉屋さんで、マンガみたいな骨もらってきて、グツグツ煮込んでスープとって、カリカリにかけてあげてたな、スープカリカリだね
そんな我が家が、私が小5の時、引っ越しの話が出た。
次のお家は、庭がほとんどない、エルザはどうしよう?ガレージで飼うか、、、
なんて矢先、ある朝、エルザが熊になっていた
…フィラリアで、水がたまってむくんでしまって
獣医師が来てくれて、フィラリアと診断された。
庭には、あの野イチゴや、くちなしやら、緑が生い茂っていたので、夏は蚊のパラダイスだった。
でも、何より、エルザが、家族の引っ越しの話を聞いていたような気がしてならなかった
私があんまり、おいおい泣くので、獣医師は、この夏をこえれば大丈夫、、、と言葉をかけてくれた。
私は素直に信じ、願掛けをした。
『水、お茶、コーヒー以外のジュースは、一切飲みませんから、神様、エルザを助けてください』
10才の子が、一夏ジュースを断つなんて、なかなか辛い。
遠足にも、いつもは、凍らした、つぶつぶみかんとか持って行ってたのに、その時ばかりは、UCCコーヒーだった。
ある日、また獣医師が、診察に来てくれた。
ママに言われて、先生にカルピスを出す為に、私はカルピスを薄めて、作った。
薄いとマズイし、濃くても甘い、私マドラーの先のスプーンで、味見をした、してしまった。。。
あっっっ
と思った時には、もう、飲み込んでいた
それから間もなくのある日、学校から帰ると、エルザは毛布の上で、横たわり、ただ呼吸だけしていた。
ママが、これ以上は、もう、苦しむだけだと、獣医師に言われ、注射をしてあげたのだ。
事情はママから説明されていて、小さな心なりに、安楽死を理解していた。
私はボタボタ涙をたらしながら、エルザをなでなでし続けた、、、
30分ぐらいたった頃、呼吸だけが、静かに止まった。
今でも、5/25の命日には、エルザを思い出すし、一口飲んでしまったカルピスは悔やまれる。
でも、何より、注射の決断、苦渋の選択をしたママの気持ちも、きーたんを亡くした今、初めてわかる。
私が初めて受け止めた、ペットとの別れのお話でした。