カオデビ節のイエスさんの物語←お前誰だ | バークレーからこんにちは

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毎度です。

前回のブログもよかったら読んでくださいませ。

復活祭について説明しておりますハイ。


私の中でイエスさんの話を簡単に紹介します←マジお前誰だww



大工のおとんと、優しいおかんカオデビの大好きなマリア様の元イエス(神は救いなりという意味。ユダヤ人にその当時多い名前)は生まれる。


子供のころからユダヤ教徒の親の元礼拝行ったりして信仰心強かったらしい。
かしこやったんでしょう。(関西弁でいうカシコは賢い子という意味ですハイ)

ほんでユダヤ教として洗礼受けるんですがその時にみんなの前で話した話が
ユダヤ教徒には理解されんかって、皆にあほか~と連れてかれ岩の上に立たされて殺されかける!

恐ろしいよね!
集団リンチですか!


まぁその時は死なずに済みます。

そこからもあぁユダヤ教の考えちゃうわ俺ーっ。
ておもいながらイエスは生きます

ほんだら19歳の時に大工のオトン死んじゃう。


7人兄弟の長男イエス。

家族の為に大工になります。

ほんで家計を支えるー。



でもその時代はローマに占領されてユダヤ人はこの世の終わりやとめっちゃ落ち込んでおりました。

誰かヒーロー現れてーと自分では立ち上がらず、そのヒーローの誰かを待っておりました。

そんな国の姿を見ながら大工として過ごすイエス。

あぁー俺、やっぱ俺がそのヒーローやんなーって思ってたイエスは立ち上がります30歳頃。

まずその前から自分の中にある不思議なパワーをイエスは気づいてましたからきっと。

この世界を変えれるのは自分しかいないというのはなんとなくわかってたんでしょう。

でも、そのためには自分の体も魂も捧げないといけないともわかっていたんでしょう。




で、大工のまま生きたらそない苦労ないやろうけどなー
でも俺がやらな誰がやるの?っていう葛藤があってからーの


ヨハネさんいう洗礼者の話を聞く。

ヨハネさんは簡単にいうとユダヤの偉いさんのもとに生まれたからそのまましてたらエリート街道ですよ。

そのまま生きたら、
なんの苦労もなく上のくらいにいて将来殺されたりもなかったでしょうよ。

でもヨハネさんは「それではアカンやろー」とすべてを捨てて
荒野で自分の教えをといて
洗礼を受けさせてたのね。



で、この人のついてこうとイエスが荒野にいく。



ほんなら逆にヨハネさんに「あんたゴッツいやん!!わし、見ただけであんたの凄さわかるで!わてが逆にあんたに洗礼受けるべきやんな!!」イエスさんに言う。




その後イエスさんはヨハネさんについていくんだけど、
ヨハネさんの考え方は強すぎて。


ちょっとちゃうよなーーーヨハネと思ってきたイエスさんはヨハネさんの元を離れる。




その時に誘惑の山という山で40日間の断食をするのです。

その断食中に自分の中にあるエゴと戦い悟りを開く。

その考えに2人の弟子がつく。
その時32歳。




アンドレさんとヨハネ2の2人が付いてくる。
洗礼するヨハネとは別のヨハネさん(ヨハネ2としようw)


ヨハネ2がのちに福音書を書いたそうだ。

アンドレさんの故郷へみんなで行く。

それがガリラヤ湖で、アンドレさんの兄にシ
モンさん(漁師)にイエスさんが

「あんたもワシについておいで
魚の釣り方でなく人間の釣り方を教えてやろう」と
うまいこと言うて誘う。



このシモンさんはのちペトロと呼ばれる。


ペトロが元漁師ね。とペトロは魚と私は思って人物を整理してますw



ほんで一行はガリラヤ湖で体の不自由な人や皮膚病の人を癒したそうです。

当時ユダヤ教徒は体の不自由な人や皮膚病の人を汚れた人として
自分の罪のせいでそう生まれたんだというて差別してたのね。

礼拝もさせてくれないし。

ひどい話でございます。


そんな人たちを癒して元気にさせたイエスさん話は口コミで広まる。

その事で余計に、

皆はイエスさんのその奇跡を見せてくれと、パワーで病気直して!と厚かましくなりだすw

結局みんなはその目に見える印が欲しかったようですが。

イエスさんもいうてます。

今の時代のみなさんにその印を与えられないと。

エゴだらけのあんたらにその資格は無いのです。

無償の愛

愛を伝えてただけなんです。



でも、みんなはそこから政治的な変化や、物質的なもの、目に見える変化を求めました。

でもそのすべての根の事は愛!


今の時代もそれは理解されにくいでしょうな。

愛は目に見えません。

でも愛がすべて。

それだけなんですよね。

とってもシンプルなのに。

何千年たってもいまだにそれが理解されてませんから、
イエスさんもあちゃらの世界で「まだかいなー」というてますよ。



そしてイエスさんはローマの支配下にあるエルサレムにいく決心をするんだけど、
ロバに乗って入ったというのが私は何でロバって思ってましたが

意味がありました。

その時代も今の時代もユダヤの人がいっている「救世主は東の門からロバに乗って入る」っていうのを忠実にやったんだと。



でも、その門は今石で入れないようにされてます。

それもねーーーーなんなのw

入らせてよ

まぁいいです。



で。

その後すぐに処刑されます。

34歳で亡くなります。

イエスの考えを伝道していったのはわずか3年なんです。



私は今年32歳イエスさんが悟りを開いた年です。

そして一緒に最近出会う仲間たちがこの世界をよくしたいと思っている集まりでその年齢もちょうど同じ年やイエスさんが亡くなった34歳とかなんですね。

不思議でね。

何かこの時に意味があるように思います。



私は礼拝をいくつも行ってるわけではないです。

でも、この世でイエスさんお教えを忠実に再現しているキリスト教徒がいくらいるんでしょうか?



私ははっきりいって
イエスさんの教えはただ一つ愛だと思ってます。


隣にいる人。

家族。

世界。

地球。

宇宙。

全ての星。

自然。

動物。

全てにただ愛を持って生きる。


それだと思う。


愛をもって今その隣にいる人に接することだけです。

それが簡単なようで出来ないでいる人がいるんではないでしょうか。

私もそうです。

そして
前後しますが。

イエスさんが亡くなる前にみんなで最後の晩餐をするんですね。

その時にこの中に裏切者がおるとイエスさんは発表、
それがユダさんね。


ユダさんは元軍人で、財務担当。

やり手やったと思うんやけどエゴの塊やろね。



てか普通の人間やと思うよユダさん。

彼はイエスさんに政治的な変化を求めてたんやろし、ローマと戦って奇跡を起こしてほしくて
ローマの人にイエスの居場所をチクると。

その後お金を貰うけど投げ返して自殺します。

他の弟子たちと最後の時を過ごしてるときに
見張っといてなーと言い残してイエスは最後に祈りをささげるんだけど激しくて
血の汗がでたそうよ。


捕らえられて最後どんな死に方するかも自分でわかってたんやろうね。

そんな激しい祈りをささげた後に弟子のもとに戻ったら皆寝てたっていうオチね

これは悪いけどあほらしなったね。

何なの弟子?

弟子さんも結局普通の人。
まぁそうだろうけど。

イエスさんの気持ちや考え方に本当に寄り添えた人はいなかったと私は思うね。

切ないイエス。


まぁーイエスさんは普通の人間やないよ。

はっきり言っておく(イエス風)イエスは違う星からの人だ。



うん、絶対そうだ。

この地球をなんとか出来るかもと送り込まれたんだと思う。

それがこの仕打ち。。。可哀想に・・・。

そして祈りの後にローマ兵に居場所みつかりとらわれる。


その時弟子はみんなイエスさんおいて逃げました。


絶対私はイエスさんを裏切りませんよって最後の晩餐で言うたペトロさんは(元漁師)
いやいや、あんたは今晩私のこと知らんって鶏が泣くまでに3回いうで。

ってイエスさんが予言した通り、
捕らわれたイエスさんの場所にこっそり忍び込んだペトロ(魚)
は見つかりかけて「わて、この人知らん知らん!!!」と3回叫んだ頃コケーーーっとニワトリが鳴くっとw



まだね実際聖書を読んでないんです私。

でもキャラ的にペトロ(魚)ってちょい間抜けキャラと思うw

ほんでアンドレさんは何かおもろい話あるの?アンドレさんあんま出てこんのやけどw

まぁその辺は聖書を読みましょうねみなさん・・・w




信じる。


自分を信じるしかないんですね。

最終的にいざとなったら皆裏切ります。

裏切るというより自分を守りたいだけ。


自分を守りたいから逃げますし、危険から遠ざけますし。

当たり前。


でもイエスさんは自分を犠牲にしても今の状態を良くしたかった。

そおいう事かな。


私は幼いころに市民プールでおぼれかけてね。親も知らんと思うけど。

その時一緒におぼれかけた2人もパニックになり、
私が助かりたいと私の肩を二人はグイグイ下に押して自分たちを上に上にと必死に水面上に上がろうとしたのね。いや、死を覚悟しましたね。息もできなかったし。


あれはパニックになった行動で決して二人が悪いという話でないけど、
あの時に、人というのはいざという時に自分だけが助かろうとするもんなんだなと小学生で悟りましたからそのころから最終的には自分を信じるしかないんだと私は思ってました。



あの時パニックならずに落ち着いてぷかぷかしてたらたぶん端っこの足が付く場所に行ってたけど二人がパニックなって私を抑え込んだのでぷかぷかしなかった。

でも不思議です。

何かのきっかけで端っこに流れれたんですよ。

ほんまあれ不思議。

記憶がその部分消えてます。

なんか奇跡があったでしょうね。



=自分をどこまで信じれるか。

誰でもない、

自分です。

自分を信じ。

愛を持って相手に接すれるか。

これが全てなんだろうね。


そのことを考えるために今この32歳になる今イエスさんが悟りを開いた年と同じ年にそのことをメッセージの様に受けているように思います。

そして地球が少しでも変わるように小さな一歩でも勇気をもって進んでいく。

これが私にとって大事なメッセージに思いますハイ。


まとまりが無いですが。



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そんなことを考えながらイースターの日は
マナの幼稚園の教会の礼拝に参加しておりました。


歌とかはいいから聖書の話を永遠に聞いていたいなと思いましたハイw



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マナジンは幼稚園児の歌で参加の部分で歌を披露。

ララライースターララライースターという歌。

マナはかなり信仰心強いのでね、
イエス様はこんな風に十字架にかけられたんだよとかジェスチャーとともに話します。


でも本番では歌わないというあまのじゃくw

ジンに関しては動きすぎ!w

よう見たらハートの手をしてましたよ。

そうそう「愛ですね愛・・・。」って思った瞬間後ろ向いたり激しいww

ぶれるぶれる


旦那さんは教会のベルを演奏するグループに参加してベルを披露してました。

ずっと練習参加して凄いなーって感動してましたが本番は私の座った位置からは全く旦那さんが見えないというオチwwwww



何か切ない・・w


ほなのち