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the kaonic world   ~そんな日々を覗いてみて~

kaon31歳、結婚もうすぐ2年でベビ待ち中。

オンナとして、目指す生き方模索中。

人を選ぶ街だと思った。

初めてその地を踏んだのは大学の卒業旅行で。
ミラノインしてローマアウト。
ザ・イタリア!という観光地をまわった。
ピサの斜塔も見たし、ヴェネツィアでカンツォーネを聴きながら川下りもしたなぁ。
ラザニアもカツレツも食べたなぁ。
でもそれは、それらのキーワードを言われれば「そういえば」と思い出す程度で、自ら沸き起こる感情には乏しい。
添乗員に連れられるパッケージツアーに参加するのはもうやめようと思った最後の旅だった。
名所と私が観たいものとは違う。

ドゥオモの周りを廻って、スカラ座を見て、大きなアーケードに入った。
しばらくすると大きな広場があって、そこを囲むようにプラダ本店、ルイヴィトン、そしてマクドナルドがあった。
プラダのショップバッグを持ってハンバーガーを食べるなんて、何とも滑稽だが、いずれも世界を代表するブランドには間違いないような気がした。
当時22歳だった私は、ファッションには人並み以上に興味を持っていたがブランドは手つかずであった。
興味もさほどなく、ブランドショップの立ち並ぶミラノにもあまり用はないと思っていた。
まるで観光地を見るように入ったプラダ本店。
上質なレザーのバッグや美しいフォルムのパンプスが並んでいる。
当時はまだ日本への流通量も少なく、プラダと言えばナイロン地に逆三角のプレートが付いたデザインばかりだと思っていた私はショックを受けた。
かわいいではないか!!
思わず手に取ってみる。
日本人観光客であれば誰しもがそうするように、頭の中で一生懸命円に換算する。
「ボンジョルノ~」
と言って近づいてきた店員が、慣れた手つきで電卓をはじいてみせる。
安いではないか!!
あの頃はまだユーロではなくリラであったのもよかったのだろう。
店員はさらに電卓をはじく。
タックスリファウンドだ。
海外で高価なものを買ったことがないため、これまた目を丸くする。
結局私はプラダのドライビングシューズを2万円ほどで購入した。
その後もアーケードを練り歩き、手袋の専門店でお土産も含めて3つ4つ購入した。
さらに大きなデパートに入り、美しい赤のハンドバッグと卒業式用にコサージュを購入した。
ツアーの集合時には私や友人含め多くの女性たちがショップバッグを肩にかけ、お互いにお互いの戦利品を物色するかのようであった。
ビバ!ミラノ!!!
友人と微笑み合った。

2度目はそれから4年ほど経った頃だった。
そう、あのギリシャのサントリーニ島からとったミラノ行きのチケットにてミラノインした。
国内線、とはいえユーロ圏内のものだが、の空港は国際線の空港とは違い小さなものだった。
パスポートにスタンプをくれなかったことが口惜しかった。
ミラノ近郊に住む友人と落ち合うつもりできたのだが、学生の彼女は「試験がある」とのことで予定を1週間後に設定してきた。
なんとマイペースなのかと驚きはしたが、最初から勝手にスケジュールを決めていたのはこっちの方だと思い直した。
久々のミラノだと感慨に耽る間もなかった。
履きつぶしたジーンズにすり減ったコンバースの私は、どう見てもミラノの街にそぐわなかった。
ミュウミュウやアルマーニ、ドルチェ&ガッパーナなどのブランドショップの前を通ると、無条件に敗北感が募る。
もちろんあのプラダ本店の前にも立ってみたが、どう考えても今の私にはマクドナルドの方が似合っている。
そう、私はミラノという街に受け入れられる態勢ではなかったのだ。
すぐにインフォメーションセンターに行き、バスターミナルの場所を聞いて地下鉄に乗る。
15日分のユーロバスパスを購入し、早速その夜ミラノを出た。
行き先はどこでもよかった。
どこへ行ってもヨーロッパなのだから。

言わずもがな、3度目はそれから1週間後のことだった。
再びドゥオモの前に立ち、友人と再会を果たす。
観光客向けのイタリアレストランにて食事をとり、街はずれの小さなバールでカプチーノを飲む。
その友人とはオーストラリアの語学学校で知り合ったので、会話は全て英語。
時折彼女がイタリア語でオーダーしたりすると、無性に安心した。
英語が通じにくいヨーロッパでの窮屈さが解ける瞬間でもあったからだ。
夕方まで彼女と楽しんだ後は、もちろんすぐにミラノを後にした。
その日の朝ウィーンから到着したばかりの私は、その日の夜ブダペストに向かっていた。
こんなにも薄汚い格好でミラノの地を踏むことは、この先一生ないだろうと確信した。
メルボルンの旅行代理店でアテネ行きのチケットを買った。
「アデレードの間違いじゃないの?」と何度も聞かれたこと、そのときオーストラリアのビザは残り2週間くらいしかなく、直前のチケットだったのでやたら高かったことを覚えてる。
シドニー、シンガポール、バーレーン、そしてアテネ。
4回の乗り継ぎを経て、やっと辿り着いた。
「どうしてギリシャなの?」
「そこにギリシャがあるから」
それだけのこと。
オリンピックを1年前に終えた街は、想像以上に煩雑としていた。
その日の宿の当てもなく、大きなリモアのキャリーを引いて街を歩いた。
インフォメーションセンターでホステルの情報をもらい、直接赴いた。
何とかベッドを確保。
古いビルにあるそのホステルは、オーストラリアのそれとは大きく違い、本当にベッドと水道しかないシンプルな設備だった。
アメリカ、カナダからの旅人が多いのも大きな違いだった。
街を歩き、ケバブを食べる。
工事中のパルテノン神殿を見る。
ギリシャの男は何かと話しかけてきて、おまけにしつこい。
アテネは好きになれなかった。
アテネに罪はなかったのだろうが、それを受け入れる余裕が自分になかったのだと、今になって思う。
アイランドホッピングをしてみようと、荷物をまとめてフェリーに乗る。
長い船旅のあと、行き着いたのはサントリーニ島。
たくさんのホテルの客引きが港にいる。
その一人についていくと、きれいだが地下の暗い部屋に案内される。
ギリシャの島に来てまでこれはない!
と、チャージを払って引き返す。
ユースホステルに着いた。
海まで歩いたり、小さなスーパーで買い物したり、1日ツアーに出かけてみたりする。
でも満たされない。満たされない。
心底笑顔になれず、リラックスも出来ない。
自由を楽しむふりをしていた。
サントリーニ島の旅行代理店で、ミラノ行きのチケットをとる。

気に入らなければ逃げればいい。
環境を変えることは、いとも簡単だった。
現実に向き合っていない、といえばそうだが、向き合うものが何であるかも分からなくなっていた。
この上ない自由を手に入れた私は、この上ない不安を心に抱えていた。
一人は気楽だ。
しかし、感情を分かち合ったりぶつけ合ったりする対象がないということは何とも寂しい。
見えない何かを求めて、私はその後ヨーロッパ各地を転々とした。
場所を移動することで、寂しさを紛らわせようとしていたかのようだった。
本当に必要なものは既に手放していた。
帰る場所さえ見いだせずにいたから、逃げる続けるしかほかに、なかったのだ。

一人は寂しい、なんて「当たり前だ」と思う人がほとんどだろう。
最初から分かっていること、やめておけばいいこと、そう思う人とは共感できない。
そう思う人よりも、自分がさらに超越した世界観を持ったことだけは明らかだから。
だけど、世の中自分と同じレベルで話が出来る人が少ないのがもっぱらの悩み。
分かったように話すそんな人たちに話を合わせないといけない気苦労ったら。

そしてお金が尽きた。
正確には精神的にも尽き果てていたと思う。
泣く泣くヒースロー空港を後にした。
あの日あんなに誓ったのに、やっぱり今回も履いてきちゃったコンバース。
だって歩いてなんぼでしょ。
パリの街はメトロが張り巡らされてるから便利なんだけど、歩くからこその出会いもあるんだ。
例えば小さなパティスリーに並ぶマカロンだとか、例えばバゲット抱えて歩くパリジャンの姿とか。
何気なく歩く歩道の石畳にだって歴史を感じるこの街。

ホテルのある10区から散歩がてら歩いていったのは、映画アメリの地モンマルトル。
軽く迷ってると、おじさん道案内してくれた。
その辺で普通にアコーディオン弾いてる人がいて、もう身震いするほど景色にハマっちゃって。
アメリに出てくるカフェ、ムーランルージュ、オイシそうなデリ並べる店もあったな。

ルーブル美術館は、モナリザよりも最後の晩餐よりもダビデ像よりも、美術館の建物そのものが芸術品。
これは百聞は一見に如かずね。

エッフェル塔の前の芝生広場で、スーパーで買ったジュースを飲む。
これ、パリ旅の目的の一つ。
すごくしょうもないかもしれないけど、最高の贅沢でしょ。
芝生広場の反対側にまわると、セーヌ川を挟んでシャイヨ宮の丘。
ここから見るエッフェル塔が最高にキレイ。
川のふもとにあったクレープの屋台で買ったクレープかじりながら夕暮れのエッフェル塔。
だんだんライトアップされてロマンティック。

そのままさらに歩いて凱旋門。
建物の間から垣間見えるエッフェル塔を背に街を歩く。
もしかして今、すごい場所を歩いてるんじゃないかしらん。
そう思うとさらにテンションアップ。
これまたライトアップの凱旋門。
中央に揺れる大きなフランス国旗が圧巻。

そしてシャンゼリゼ大通り。
シャンゼリゼ。
なんて素敵な響きなのかしら。
その名にこれ以上なくふさわしい見事なイルミネーションの並木道。
行き交う車の中は世界中のセレブなんだわ。

名前が素敵なもう一つの地は、サンジェルマンデプレ。
ここは一流ブランドのショップが建ち並ぶ。
この時のマイブーム、イヴサンローランリヴゴーシュに入りたかったけど、コンバースでは勇気が出なかったのん。

コンコルド広場で、うざい男がよってくる。
結婚すれば一緒にパリに住めるよ。
どこから来たのか尋ねると、やっぱりギリシャ。

ノートルダム大聖堂のステンドグラス、クリニャンクールの蚤の市ではブーツをゲットしたな。

近代的なビルがなく、落ち着きのある美しい街だけれど、歩くほどに表情を変えるのもまた魅力。
この街が発している何かを捉えるのにはもう少し時間が必要だ。