「これが終わったら辞めるんだ」


「ホントに~!?」


と10月過ぎた頃から、色んな場所で耳にするこの会話。

私や私の周りの愛煙家達は、タバコとの縁は切っていない人間が多いらしい。



「酒を飲まないぐらいだったら、俺はたばこを辞める」

と口にしていた、他県へ旅立った男友達。

それに対して私は彼にいつもこう言っていた。

「私は逆だな・・・・たばこを吸えないぐらいだったら、私は酒を辞める」

と。


彼が今タバコを辞めたのか、辞めていないのかはさだかでないが、私にとってタバコとは今の段階では辞められそうにないらしい。お酒ももちらん好きだが、毎日はいらない、たまに飲めたらいいね!程度の位置にあるもの。




「辛口ちゃんの気持ち本当にありがたかった!!・・・・・・けど、友達として接してきたので、気持ちに応えられないや・・・ゴメン。」


と3日前、告白の返事が私に返ってきた。


彼はこのブログにも度々登場すているガリガリ君。

私の見解や、女の勘で、この男はいけるのでは・・・と思う行動を繰り広げられた訳であるのに、結果惨敗に終わった。



「おいおい!!学生じゃねんだから~異性間で友情なんて発生させてんじゃねいよ~(╬☉д⊙) !!!!! 」


「おいおい!!そもそも異性間の友達なんて、いらないの!!」


とガリガリ君に言っていたら、この胸のうちはスッキリしていたのかもしれないが、私一応理性が働いているようで、口を閉ざしていた辛口さん。



異性の友達??

誰にでもひとりぐらいはいるのではないだろうか。

確かに私にも数名いるらしい。


親友なのではと呼べるような異性も私には存在した。それは高校生の時に付き合っていた彼。そして、その彼は今は既婚者なので、親友ではなく、もはや友達でもないかもしれない。


こんなはかない異性間での友情なんて実際必要なのだろうか!?

お互いパートナーができて、疎遠になるのがオチなのではないか。

何故それなのに、異性間の友情が世に蔓延り、私を今苦しめているのか。



世の女性は分からないが、私の場合は、タバコとお酒の位置づけと同じようだ。

お酒=(異性の友達)は毎日はいらない、たまにでいいが、タバコ=(女友達)という位置づけにあるのだと気付いたのだ。


それゆえ、ガリガリ君は私にとってタバコの位置づけにあった人物だ。毎日一緒の時間を過ごしすぎたのも関係しているこもしれない。


私の友人は言う、「辛口ちゃんがちょうど今暇だから、ちょうど暇だったガリガリ君がいいなとか錯覚したんじゃん!?」

と。


それもあるのかもしれない。

いやいや、元を辿れば、恋の始まりなんで、誰も分からないし、勘違いや錯覚も恋だったのかもしれないのだから、私は本当に彼を好きだったのだと改めて思った。

「私の思う美人ってね!?」

というタイトルでの作文?論文を書けという課題が、私が学生だった頃にだされた。

その当時多分、洋画かぶれの私は無い知識をひっぱりだしながら、オードリーヘップバーンのことを書いたような記憶がある。



そして時は過ぎ、都内で初めて就職した時に出会う先輩達。

優しい先輩もいれば、意地悪で恐い先輩も居た。



入社して、半年の研修期間も終わり、いざ本配属という時に私は志願して、鬼の棲家と呼ばれる部署に入った。

その理由は単純だった。

私の仲のいい、気の合う同期AKB大好きの男の子と一緒の職場にいこうね!!と約束したからだ。

その鬼の棲家は、誰も志願するものはおらず、人手が足りないので男女各1名ずつ欲しいという情報を手に入れたからだった。


しかし現実は甘くなく、私ひとりだけが鬼の棲家送りに決定してしまった。


それからの一ヶ月は地獄のような日々で思い出すと吐き気がするような日々であった。

朝は5時には仕事開始、そして、遅番は11時半に終わり、その後に上司(鬼達)との談笑があるので、終電までいつも走って返り、始発で出勤という日々の繰り返しであった。


鬼達の顔ぶれは、私の1つ上の先輩は、鬼達の中ではまあまあ優しいのでとてもいい人じゃん♪

また、とても恐く、厳しいベテランの先輩、とても苦手な女。

顔つき穏やかで、九州訛りが抜けない、ややイケメンの先輩。

若いのに、セカンドバッグを所持し、どなりつける。顔だけではなく、中身も恐い先輩。

というのが身近なメンバーだった。



毎日毎日、失敗の連続で、怒鳴られてばかりでもういやな日々。

特に女、男共に恐い先輩はイヤだった。私の後を付回し、姑のようなひつこさだった。



ある日の遅番の日・・・

終電に間に合わなく、駅で途方にくれていた時に、あの恐くて苦手だった先輩が声をかけてくれ、一緒に朝まで過ごすことに・・・

内心「なんでこの女まで終電逃してるんだよ!?(╬☉д⊙) !!!!! 」と思った。


結局、いつも通り先輩のダメだしやら、仕事の話ばかりで、朝を向かえ家路につき、翌朝また職場へ向かった。


「辛口昨日終電逃しただろ?」


「はい! OO先輩も逃したみたいで結局一緒に時間つぶしていましたよ」

と報告すると・・・・。


意外な展開が・・・。


って後に分かった話だが、その先輩は日頃なれない仕事に悪戦苦闘している私に気を使い一緒の時間を作りたく、昨夜一緒に過ごした結果らしい。


それから、その先輩を一方からの偏った目線からしか見ていなかった自分がとても恥ずかしくなった。

同様に、恐いと思っていたセカンドバッグ先輩も同じだった。

何かひつこく注意をしたあとの優しさや気遣い、そしてなによりも私のミズを全力でカバーしてくれていたことに気付いた。



優しくすることは上辺だけなら簡単で誰にでも出来る。

しかし、厳しく人を注意することはとても難しい行為なのではないだろうか。


今の時代はただ自分のことを棚にあげ、注意するどうしようもない奴もいるが、それは例外として、

仕事において誰かに注意し、怒るのはその人にそれなりの愛情をもっていないと出来ないこと。

または、自分にそれないりの覚悟のいる行為、体力のいることなのだ。



注意して、怒ってもらって人間なんぼ!と思いながら仕事をすることを覚えた社会人1年目。


そして、今思う。「私の思う美人ってね!?」

とは、性別関係なく、人に的確に注意を出来る大人のこと。

その人を一方の目線で見ないで、その奥を見れば愛情が隠れていることが分かったから・・・。

大事なのは、上辺ではなく、中身だということ。


ありがたいことに歳を取るごとに、私の周りには美人であふれている。

この美人達に恥ずかしくないような大人になりたいと願う。





今年で何回目?何年目?

この寒い時期になるとふと考えること・・・。



寒い季節はなにかと人恋しくなる時期。

なぜでしょうね?

多分、イルミネーションなどの煌びやかな電飾達。

あれって寒い時期には、一人でもなんだか楽しくなるような、何かいいことあるのではないか?と期待をしてしまう。


しかし例外として、多分色彩効果なのだろうか、青を貴重にした電飾は人間をとても寂しい気分にさせてしまうのではないか。


なぜこの時期になると街がとても賑やか、かつ華やかな装いになるのだろうか?

そうです!!「クリスマス」。


クリスマスって元を辿れば、イエスキリストの生誕際。

「神が人として生まれた日」だそうだ。



私はキリスト教徒ではないので、詳しいことは分からないのだが、この偉大なイエス誕生際に向けこの世間がとても賑やかな訳で・・・。このことからやはり、命の大切さや、誕生の素晴らしさが身にしみるような辛口です。



人間は皆平等に命を与えられ、そして、平等では寿命、人生の過程が待っているのだ。



ひとつの命が誕生する時には、マッチで寒い中あかりを灯したように、ポット明るくなる、そして、人々が自然と集まる。

ひとつの命が終わるときには、マッチのあかりが消え、暗闇の世界に陥るような錯覚、それでも、人々は故人を惜しみ、自然と集まり、またあかりが別の形で灯される。


命という背景には必ず、あかりが灯されるのである。

そう思うと、また違ったクリスマスを過ごせるのではないのだろうか?



また、世間がとても賑やかで、シングルの人等は見落としがちだが、この時期にこそ再認識して欲しい。

自分の周りを一周ぐるりと、よ~~く見渡してみて!

自分ひとりで灯してきたあかりではないということ、ないものを欲しがるのではなく、ある灯、今まで自分を大きくしてくれた灯の大切さに気付かなければならない時期でもある。


自分ひとりで出来るイルミネーションなんて存在しなく、周りの協力でとても魅力的なイルミネーションになっているのだということを忘れてはいけない。


と11月22日の友達が亡くなり、もう8年目が過ぎようとしているせいなのか、とても命について考えてします今宵。