両親の価値観は全く別物だった。

父はアメリカ留学してたのもあってか、ジャンクフード大好きだったし、私にもよく市販のお菓子(添加物どっさりw)を買い与えたり、マクドナルド連れていってくれたりしていた。

断トツで洋食派だったし、好き嫌いも激しく、外食も好んでいた。

本当かどうかは知らないけど、江戸時代までルーツをさかのぼると、商人らしいからまぁわかるような気もする。


母は農家出身で、断トツで和食派。味が濃いのが苦手で、外食もほとんど連れていってもらった記憶もない。食材に気を使ってくれて、ずっと生活クラブの食材で育て上げてくれたのに、そのありがたみに気づいたのは大人になってから。それも家を出てからだった。


兄が先天性の障害をもつことを、兄の保母さんに伝えたとき、こう言われたという。

「星の王子さまなんですね」

って。

以来、なんども星の王子様を読むように進めてきたし、あの名言

大切なことは目に見えないんだよ

を何度も言ってきた。

そう、私が兄のこととか他にも、

なんでうちは普通の家じゃないのか?

と嘆いたとき。

当時は私も目の前の問題対処に一生懸命だったから、この言葉もあんまり響いていなかった。本のよさもわからなかったのだ。


あたりまえなのだが、兄のこと最優先していた母。私には優しかった記憶があまりなく、若い頃そんなに好きだった記憶はない。

いま思えば、勉強がんばってたのも、母に注目されたかったのかもしれない。

流行大好きで、安ければお得だという考え方だった父。

安すぎるものを疑い、たとえ価格が高くても安心できるものを選ぶ母。


正反対だった。


流行好きのせいで何度も転職を繰り返した父は、一時期リストラで職も失い、1年以上家にいて、お酒ばかり飲んでる日が続いた。

母は兄のことがあるから長時間働きにいけるわけじゃない。きっと、ボロボロだったんだと思う。私や妹への風当たりのきつさも増していたと思う。

あの頃の家に帰りたくなかった気持ちは尋常じゃない。大学時代だったのもあって、バイトやサークル、恋愛に逃げてしまった。

大学の学費も、まさかの全額借りることになった。

奨学金て、無利子の1種と、有利子の2種があるのだけど、両方許可がおりたんだよね。
これは現在も返済中で、社会に出てからしばらくは、これを返済するためだけに働いてるって気持ちが強かった。


どうして私ばっかり大変な目に遭うのだろう…


周りと比較して凹んでは、こんなことばかり考えてた。

そう、これが私にインナーチャイルドをつくった原因である究極の家庭環境。