こんにちは。
ことりです。
今年の8月、お盆の最後の日、諏訪では大きな花火大会が開かれ、友人と一緒に見ていたのですが、母方の伯母が亡くなったと知らせが入りました。
何となく一緒にいる友だちには言わず、そのまま最後まで花火を見ました。
夜空に浮かぶ色とりどりの花火を眺めながら、ああ、おばちゃん亡くなったんだなあ、とぼんやりと思っていました。
友人が帰った後、夜遅くに飛行機の手配、喪服の準備をして、翌日実家に帰省し、お通夜、お葬式に参列。
伯母とは何年も会っていませんでしたが、子どもの頃はよく会っていました。しょっちゅう祖母の家にみんなで泊まりに行って、すき焼きや焼肉など鍋をしたり、いとこ達と遊んで雑魚寝したり。大人たちも子どもに戻ったみたいで楽しそうだったなあ。親密だからこそしょっちゅう母と伯母、伯父の3兄弟は喧嘩してました。
伯母は、夫に早くに先立たれ、シングルマザーでしたが、夫の遺産で裕福な生活をしていました。子ども2人を中学から全寮制の私立に行かせ、昔よく言われたいわゆる教育ママで、良い学校を出て一流の会社に入るのが幸せ、という考えの人で、息子2人は2人ともそんな風に育ちました。
父親がいないということもあり、気を張って、とにかく息子たちを立派に育て上げること、父親がいなくても恥ずかしくないようにするんだという気持ちだったのかもしれません。息子たちには相当厳しかったようです。
その上口喧しいところもあり、あまり近くにいると疲れるのですが、裏表がなくて豪快で素直。料理上手で妹や弟やみんなの面倒を見てきた人。
そういえば、わたしがまだ高校生の頃、伯母にシンガポール旅行に連れて行ってもらったことがあります。わたしと、少し年上の従姉妹の2人と伯母という面白い組み合わせで。
伯母と近くで数日間一緒にいたら、それはもう大変でした。まず声がやたら大きいし、周りのツアー客の人たちに自慢話をするし、わたしと従姉妹はとても恥ずかしかったのです。わたしは途中からめちゃくちゃ怒ってたそうです。その従姉妹が言ってました。わたしはよく覚えてないけど。
でもどこか憎めなくて、大人になってからは割と好きでした。まあ近くにいるのと離れているのとでは全然違うでしょうから、自分の母親だったらどう思うかわかりませんが。
そして、伯母は年を重ね、わたしには少しずつ丸くなっていったように見えていました。
お通夜とお葬式の会場は、小さなところでしたが、1組限定のところで、まるで家のように快適で、伯母の息子2人とわたしの兄夫婦とわたしはそこに泊まりました。
夜、みんなで飲みながらいろんな話をしていたら、晩年伯母は、長男と関係がうまく行っていなくて、絶縁状態に近かったと聞かされました。
伯母は長いこと長男とその家族と同居していて、しょっちゅう長男とはぶつかっていたけれど、それでもまあうまくやっているように思っていたのですが、ここ5年程全く状況を知らない間に、伯母は数年前から施設に入り、ほとんど長男とは連絡をとっていなかったそうです。長男の奥さんや孫、次男家族とは交流があったのかもしれませんがその辺はよく知りません。
わたしはすごく驚きました。家族と絶縁状態になるって、なかなか想像できないことなので。
久しぶりに会う従兄弟たちと、そんな話もしつつ、それぞれの近況を話したり、思い出話をしたりしました。姪っ子達とも会えて嬉しかったし。
お葬式って悲しい場ではあるけれど、そうやってなかなか普段集まらなくなった親戚達と再会できるというのは良いですよね。思い出話に花を咲かせて、自分のルーツを思い出すことができる。故人がくれる贈り物だなといつも思います。
そんなお通夜から一夜明けての告別式。
つつがなく終わり、亡くなった伯母の長男が喪主として挨拶をしました。
そう、しばらく伯母と絶縁状態になっていた長男です。
最後の挨拶で、彼はこんなことを言ったのです。
「母が亡くなってこんなに辛いとは思わなかった」
と。
話を聞いた限りでは、絶縁状態になるだけの理由というのはもちろんあって、もう縁を切ってもいいと思うほど憤っていた。
だから、亡くなってもまさかそんなふうに思うとは思わなかったということです。
わたしはその彼の言葉に胸を打たれました。
まさかこんなに辛いとは。
後悔している、と。
とても重い言葉です。
慰めの言葉も見つからない。
ただただ、その、子どものように素直でまっすぐな言葉が、胸に刺さりました。
彼の言葉に何かの教訓を求めるということをわたしはしたくない。
彼がどうすれば良かったか、彼の言葉を聞いてわたしはどうすべきか、そういうことを思いたくはないし、語りたくもない。
ただわたしは、自分の気持ちを、そのまま受け入れている彼をすごいなと思いました。
後悔したくないから、何やかんやと理由をつけて、自分は正しかったし後悔なんてしないと、心に蓋をする人の方が多いかもしれません。
だって、もう取り返しがつかない。絶対にそのことをやり直すことはできない。亡くなってしまったんだから。
そんな後悔を真正面から受け止めることなんて、なかなかできないですよ。
でも彼は、みんなの前でそれを言ったんです。
すごいことじゃないですか。
最後に和解して、感謝して命を終える。
そんな風に物語のようにはならないのが人生。
喧嘩別れして亡くなることもあるし、すれ違ったまま亡くなることもある。
そう考えると人生ってあっけない。
だけど、わたしには、それは安堵することでもあるのです。
諦めたわけではなく、人生ってそんなものだよな、と思ったら気が楽になるというか。
どんな終わりを迎えるかなんてわからない。
家族や親しい人たちとの別れもどんな形になるかわからない。
だから今感謝して、今を大切に、と思うことも大事だしそれはその通りなんですが、そうやっていたってどうなるかなんてわからないんですよね。
ただ生きればいいんだなって思うんです。
投げやりになっているわけではなく。
私たちの体は他の動物と同じように、自然にしておいたら、毎日、生きようとしている。
何かをやろうとするエネルギーが勝手に湧いて、お腹がグーっとなって、夜になったら眠る。
ただその、生を全うしようとする自然な姿でいたらいい。
誰かとの出会いや別れ、さまざまな出来事において、後悔もするし嬉しくもなる。
ただそれだけのこと。
そう思うと、肩の力も抜けるし、あれこれ自分の人生に付け足そうとしなくていいやという気持ちになる。
お葬式を終えてしばらくして、伯母が夢に出てきました。
夢の中ではまだ生きていて、でも死んでしまうというのでわたしは号泣していました。泣きながら目が覚めました。
実際の時は少し涙が出ましたが、号泣というほどまではいかなかったのですが。
人が亡くなるというのは、何度経験してもとても不思議なものです。
そして、いつか自分もそうやってこの世での命を終えるんだなあと思うとそれもまた不思議です。
ことり