1年間、クラシックギターを習った。


ギターは「いつかやりたいこと」のひとつで、ウクレレはちょっとやっていたけど、いつかギターもやってみたいなあとふわっと思っていた。


ふわっとなのでわざわざ教室を探したりすることはなかったけど、やってみたいと周りの人に言ってたら、クラシックギターを学生時代やっていたという人がたまたま近くにいて、話してみると教えてくれると言う。


すると、ギターをやりたいと言う人がわらわらと現れて、5人になった。


この5人全員、みんな山の関係者。


普段から近いところにいる人たち。


自分ひとりならまだしも、こういう何人もでやることって、「やりたい」から「実際にやる」ところまで行く確率ってけっこう低いと思っていて、やりましょやりましょーなんてその場のノリで言うけど、結局冷静になるとフェードアウトすることが多い気がする。


それが、みんな同じ熱量でちゃんとやりたいと思っていて、だからすっとギター部が結成された。


あまりにも何の障害もなく、スムーズに事が進んでびっくり。


何かに呼び寄せられたような気さえした。


みんなギターを調達し、そこから月に一度、仕事の後に霧ヶ峰のある場所に集まって練習した。


クラシックギターは持ち方も押さえ方も難しくて、手がつりそうになったり、いつも使わない頭を使ったりする感覚に慣れなかったけど、何を目指しているわけでもなく、ただ楽しめばいいだけの大人の部活。


冬の間は山に上がらなくなるので、わたしの家なんかでも練習をした。


練習の合間におしゃべりしたり、いやおしゃべりの合間に練習することもあったし、おやつを食べたり、忘年会兼ねてお鍋をやったり、冬は家でおしるこを作ったり、秘伝のとろろごはんを作ったりしながら気がついたら一年が経った。


今後都合が悪くなってしまう人もいるし、これからグリーンシーズンが始まりみんな忙しくなるので、ここを一旦の区切りとし、月1の練習会は終了。これからはやりたい人は個人的に教えてもらったりしながら、同好会的にシーズン毎に集まったりしようというということになった。


ふわっと始まり、ふわっと終わって、さらっとしてたけど、こんな風にさらっとできるって実はとても稀有なこと。


最後の練習は、メンバーのやっている宿で豚汁とおにぎりをいただいて、練習して、上パート下パートに別れて2人や3人で合奏し、それを写真や動画に撮り、ノリでギターを持った宣材写真みたいなのも撮った。


一年経ってさらに居心地が良くなったからか、めちゃくちゃ楽しくて、なんだかいろいろと可笑しくて、涙を流しながらゲラゲラと笑い転げた。


まだ基礎練の練習曲ぐらいしか弾けないし、いやそれも完璧には弾けなくて、ギターをやらない人からしたら、へ?1年やってそれだけ?って言われるぐらいだけど、わたしは満足。


ゼロとイチとでは全く違うから。


最初のことを思えば、少しでも弾けるようになれたことがとても嬉しい。


これで終わりなのに、ジャケ写みたいなの撮ってここから活動始めるみたいだねとみんなで笑っていたけど、「ある意味今日がみんなのギター人生のスタートなんじゃない?」と言われて、なんだか妙に、そうだなと納得した。


少し指が動くようになり、練習の仕方がわかった。


これからギターを楽しめる、そのスタート地点につかせてもらうことができた。


また折々にみんなで集まって合わせられたりしたら楽しいだろうなあ。


それにしてもみんな、人が良かった。


山にいるせいかちょっと現実離れしたような、わたしも含めて他に足のついてないような人たち。


いや、人間というカテゴリーを外して、地球に生きるひとつの生命として考えると逆に地に足がついているのかもしれない。


とは言え、人が集まるところには田舎であろうと山だろうと必ず人間関係のいざこざがあるものだから、山の人みんながこんな風では全然ない。


このメンバーが、ちょうど良い距離感と軽やかさと生真面目さと面白さを持った人たちで、どこか可笑しみがあり、とびきり素敵だった。


ゆるいけれどちゃんと大人で、大人だからこそ、こんなにただただ子どものように楽しいだけの時間を過ごせたのだ。


あえて言葉にしなくても、みんながそんな風に感じていることをみんながわかっている感じ。


ちょっと寂しくて、じんわり温かい。


縁があればこれからも続いていくから無理をすることはない。


それぞれ、風のように、鳥のように生きていく。


奇跡のような集まりに感謝。


わたしの心にぬくもりと思い出がまたひとつ。


















ことり