こんにちは。

ことりです。


昨日かなり久しぶりにブログを更新したのに、まさかの連投。


なぜなら、さっきこのブログを見返したら、ちょうど1年前の今日書いていたので、今日のうちに書いておきたいなと思ったのです。


お気に入りのカフェで、隣になった方が注文したピザトーストがあまりにも美味しそうで、美味しそうですね、と話しかけてしまったのですが、その後話が弾み、連絡先を交換した、という話。

それを1年前の今日、投稿したんですが、実はこの方と今日、1年ぶりに再会しました。

この1年、たまーに連絡を取りつつ、なかなか予定が合わず、そうするうちに時間が経っていました。

カフェでちらっと会っただけだし、そのままフェイドアウトしてもおかしくなかったと思うんですが、この春お相手の方から、会いませんか?連絡をいただいたのです。

あ、女性ですよ。

なんか、恋に発展する男性との出会いっぽく受け取る方がいるかもなと今思ったので念のため。

お相手の方とか書いてるしね。笑

連絡をもらってからもなかなか予定が合わず、でも絶対に会いたいから3ヶ月以内には会いましょう!と言って、今日、前回と同じカフェで再会が実現したのです。

感無量^^

前回も書きましたが、相変わらず、お美しい方でした。

すらっと背が高く、ショートヘアで、ナチュラルな装いながらとてもおしゃれで、正統派の美人。

目がきらきらしてて、声もきれい。

2時間近く、美味しいものをいただきながら、いろんなお話をしました。

爽やかで柔らかなそよ風のような方でした。

この1年でわたしは、病気がわかり、入院、手術、退院、リハビリなどを経験しました。そのことをお話して、びっくりさせてしまいましたが、会えて良かったですと涙ぐんであって。

優しい。。

わたしより少しだけ年上ですがほぼ同世代。友だちなど同年代の周りの人にも、親世代にも、いろいろあります。老いや病、そして死に直面する年代になってきました。

こうやって会えるのは奇跡ですよね、と言われていましたが、本当にそう。

若い頃はしばらく連絡を取らなくても、大体は向こうもこっちも元気でやってるものでしたが、今は、一年、いや、半年や3ヶ月、ほんの少し連絡を取らないだけで、驚くような変化が起きていることも多い。

これからはますますそうなっていくでしょう。


それにしても、偶然隣になっただけなのに、ご縁があるのかなあと感じます。

連絡をくれたのが春頃だったからこそ、また会いましょう!となりましたが、もう少し早かったら、病気のことで断っていたかもしれないので良いタイミングでした。

前回たしか夏っぽい服装だったから、1年ぐらい経ちますかねー、と今日話していて、実際会ったのは昨年の今日ではなく数日前ですが、まさか昨年の今日ブログを書いていて、そのちょうど一年後に同じ人に会って、そのブログを見返すなんて。

(そういえば、そのブログに紫陽花のことを書いてますが、昨年も同じ時期に咲いてたんだな、当たり前のことなのかもしれないけど、なんだかすごいな。)

よく、ドラマなんかで「この出会いが彼女の人生を大きく変えることになるとは、この時の彼女は知る由もなかった」みたいなナレーションってありますが、その時点ではわからなくても、後から振り返るとあれがターニングポイントだった、とか、あの出会いがわたしを変えた、みたいなことってありますよね。

そういうことって、自分の核の部分と繋がっていると、その瞬間に何となくわかるものなんじゃないかな、とも最近は思います。

これは特別だ、と感じることができるように、あちこちにサインが散りばめられているというか。

そういう意味で、2回しか会ったことないのに、彼女との出会いは何か特別なものに感じます。


わたしは、全てが運命だとか必然だとかいう風には考えないタイプです。

前世とか、生まれる前から決めてきているとか、そういうことも、信じているとも信じていないとも言えない、というのが正直なところ。

だって、わたし自身は何かを感じるわけじゃないから。

どちらも、強く信じる根拠が乏しい、というのが正確な表現なのかも。

前世がわかるとか、見えるとか、そういう人のことを否定するつもりもないです。その人は本当に感じるのかもしれないし。でもわたしには見えないし感じられないから、そういう人の言うことを100%信じる気にはなれない。でも否定する根拠もない。

ただ、最近、深くは理解できてないかもしれないけれど、実存主義というのが自分のスタンスに近いのかもしれないなと思っています。

実存主義とは、人間に元々生きる意味はない。だから、自分で意味を見出していかなければならない、という考え方。

意味が先行するのではなく、存在が先にある。

そう思うことの方がわたしにはしっくり来るのです。

自然の近くで暮らすようになって、特にそういう風に感じることが多くなりました。

だけど、全てが偶然の産物だとも思えない。

たとえば、自分がこういうことがやりたいんだ、こういう方向に進みたいんだ、と気づき、発すると、そこに繋がるものが、ぽん、ぽん、と突然降ってきて、え、何これ、こわ!となったり。

目には見えない何かの力が働いているのかもしれないと思う時もある。

ご縁や巡り合わせ、運命かも?と。

最近もそういうことが続いていて、そのまま進んで大丈夫だよ、今のままで合ってるよ、と言われているような気がしてきたりして。

人と出会うことも、偶然なのか運命なのか、それはわからないけれど、どう捉えるかはその人次第。どう捉えてもいい。

全ては偶然のような気もするし、全て運命かもしれないし、ハーフアンドハーフかもしれない。笑

でも、たまにふと感じる、何これ不思議〜、運命なんじゃない?と面白がるぐらいが人生楽しいな、とわたしは思います。

今日その方と話をしている時に、わたしの病気が見つかった経緯を話したんですが、元を辿ると、コロナにかかったからなんですよね。

そしたら、じゃあコロナにかかったのは大変だったけど、かかって良かったのかもしれませんねと言われて、確かに、そうだよなーと改めて思いました。

コロナになった時は、しんどくて、しかもその後持病まで発症して、踏んだり蹴ったり!と思っていたけれど、あれがあったから、早く病気を発見できたのです。

不幸中の幸い、なんかではなく、災い転じて福となる、と言えるのかもしれません。

人生何が吉と出て、何が凶と出るかわからない。

まさに、人間万事塞翁が馬。

面白いですね。

話がどんどん逸れてしまいましたが、そんなわけで、今日はなんだか不思議で、そしてとってもうれしい日になりました。

その方が、全て奇跡なのかもしれないときらきらした目で言われていたのが、時間が経って、波紋のように心に広がっています。


そういえば、1年前のブログを読み返していたら、今日と全く同じものを頼んでたんですよね。しかも2人とも同じもの。

私たちを繋いでくれた、世界一美味しいピザトースト(大げさ)

シンプルなんですけどね、本当に美味しいんです。




アメリカンチェリーのケーキ。これも美味しかったー。時期的に今日までのメニューだったので、食べられて良かった。




今日で半年が終わりますね。


朝いちで、近くの神社で茅の輪くぐりをしてきました。あ、いや、くぐってはない。お参りしただけです。




気持ちよかったな。


下半期も張り切ってまいりましょう♪


ことり