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西側に藻岩山と手稲山が左右に並んでいる。

この山の景色は

地元の人達が四季の移り変わりを

一番身近に感じられるもの。


藻岩山の麓

伏見と呼ばれる高台には

山と平行に走る道路があり

そこからは市内が一望できる。

夜景が特にきれいで

それが売りの有名なBarがあったりする。


その伏見・山鼻地区と呼ばれるところに

中・高の友達のひとりが住んでいた。


勉強はあまり頑張らない。

自分の好きなことは頑張れる。

そういうところが自分達と共通していた。


高校生なのに一人で東京まで

好きなアーティストのライブに行ったりしていて

その行動力とそれを許してくれるご両親が

ちょっとうらやましかった。


4月だったか5月だったか

その友達の家の庭でジンギスカンを

することになりみんなで遊びに行った。

友達のお母さんとお母さんのお友達?と自分達

8人ぐらいの女子ばっかで

一緒にわいわいがやがや楽しかった。


美人なのに気さくな優しいお母さんで

じゃがいものことを

「おじゃが」と言っていたのが

なんかステキだった。




その年の冬がせまった頃

そのお母さんが亡くなり

私達は担任に連れられて

大通り公園のそばにある

式場に向かった。


入院したとは聞いていたけど

そんなに悪かったとはみんな知らなかった。

教室で 時々目を赤くしていることがあって

泣いているのか?と思うこともあったが

それ以外はいつもとあまり変わらなかったので

どうかしたのか?とは友達に聞かなかった。


お通夜はミサ形式だった。

学校でいつも嫌々歌わされていた歌と

嫌々言わされていた呪文のような言葉が

こんな時役に立つなんてすごく皮肉だと思った。


お母さんはあの楽しかった日からすぐに

突然 暗算ができなくなり

おかしいと思って病院を受診、

その時はもう治療の手立てがない状態で

そのことはお父さんだけに伝えられたそうだ。


泣いていたと思われるあの時期に

友達と兄弟にそのことが

伝えられたようだった。


友達は横でみんなボロボロ泣いていた。

自分達は多分何もできないだろうけど

この友達がかわいそうで心配だった。


家族が式場にきてくれた人達を見送る時

友達の顔はいつもよりずっと大人びていて

声をかけづらかったけれど

数日後に登校してきた友達は

いつもの友達でちょっとホッした。


今日は頭に色々な景色が浮かんで

その日のことを思い出した。


寝る前に観たTVで福島の深刻な状態が

あらためて報告されていた。


3月震災があって

みんな命の大切さを

あらためて感じたばかりなのに


国と東電が今まで国民や世界に説明してきたことには

ごまかしと思われてもしょうがないことが多過ぎる。

そしてそのことが

本当にたくさんの人の将来に影を落としていることに

気づいていないはずはない。


想定外の災害であったことは

誰にとっても不幸なことだったけれど

起きてしまったことの責任を

自分達が全力でとると覚悟を決め

福島に住んでいる人達、住んでいた人達のため

はたまた 日本人、世界中の人達の将来のために

会社の存続を諦めざるを得ない結果になったとしても

すべてを明らかにし

起きたことの解決に良心を持って

尽くしてもらいたいと思う。