平等院鳳凰堂 #1 | 美術館大好き!大阪・兵庫・京都・奈良へのお出かけ日記

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#家族で宇治巡り

卍お寺シリーズ

 

前に行ったのは思い出せないぐらい昔・・・いつの間にか修復が終わって美しくなった平等院へ。



平等院は関白・藤原頼通が父・道長から譲り受けた宇治の別荘を寺に改めたのが始まり。1052(平安時代)に創建されました。現在は特定の宗派に属さないお寺で、本尊は阿弥陀如来です。

創建当時は末法思想・浄土信仰が広まっていたことから、阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。阿弥陀如来坐像は平安一の仏師といわれた定朝によるもので、彼の生み出した寄木造という技法で作られています。



境内には多くの塔頭寺院が建てられましたが

度々の戦禍・火事により焼失と復興を繰り返し、江戸末期には荒廃。鳳凰堂の扉に落書きがされていたほどだといいます。明治・昭和・平成に大修理が行われ、復興。国宝・世界遺産に登録されています。

 

●旧南門 安土桃山時代

伏見桃山城からの移築とされる。

 

●鳳凰堂 1053(平安時代)、国宝。



阿字池の中島に建つ。鳳凰堂を正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根上に1対の鳳凰が据えられていることから、江戸時代始め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになった。


「阿弥陀如来がお住まいになる極楽浄土の宮殿」というコンセプトで作られ、平安神宮の雰囲気とよく似ています。末法の世の中だけれども(と当時の人々は信じた)、どうか極楽浄土に連れて行ってもらえますように、との願いを込めて阿弥陀如来を信仰したのだとか。当時の本には「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があるそうです。


●観音堂 重文、鎌倉時代前期。

創建当時の本堂跡に再建されたお堂。本尊の十一面観音立像(重文)はミュージアムにある。


●鐘楼 室町時代。

美しい模様の梵鐘は2代目。1代目は国宝、ミュージアムにある。


●浄土院 15世紀後半。


浄土宗の塔頭寺院。栄久上人が平等院修復のために開創した寺。


●最勝院 


1654年に始まる天台宗系の塔頭寺院。聖護院の末寺でもある。


●不動堂 

最勝院の本堂

 

●六角堂


先に鳳凰堂の内部拝観の予約をして、境内やミュージアムをまわって時間になるのを待ちました。

#日曜日昼ごろで1時間後の予約でした

ミュージアムで鳳凰堂の中を復元イメージした部屋などを間近に見ることができるので、先に見ることをおすすめします。


鳳凰堂内部へは靴を脱いで上がります。係の方が詳しい解説をして下さいます。とても分かりやすかったです。

華やかな阿弥陀如来像(国宝)、二重天蓋(国宝)は圧巻。壁に取り付けられた雲中供養菩薩(国宝)も見事。かつては極楽浄土の絵や来迎図、柱や雲中供養菩薩は華やかに彩られていたそうです。眩いほどの光景だったのではないでしょうか。


境内は広すぎず狭すぎずで周りやすく、見どころも解説してもらえてとても良かったです。茶そばに茶粥をお昼に食べて、次の目的地に向かいました🚶🏻‍♀️🚶🏻🚶‍♂️


#とても素敵だった「ミュージアム鳳翔館」は次の投稿で





📝末法思想(精選版 日本国語大辞典より抜粋)


仏教における一種の歴史観。釈迦の入滅後、千年または千五百年、あるいは二千年後に仏法が衰え社会に混乱が起こると考えたもの。平安中期から鎌倉期にかけて流行し、法然・親鸞・日蓮による新仏教の基礎となった。

 

法然浄土宗

親鸞浄土真宗

日蓮日蓮宗(法華宗)



📝源頼政


平等院は歌人としても名高かった源頼政ゆかりの寺でもある。1180年に平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び、敗れて平等院で自刃した。墓地や最期の地、辞世の和歌が境内に残る。

「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」