くろ谷さん、巨大な山門くぐって
御影堂を見てから、墓地の方へ
てくてく。
居てはりました!
墓地を上がる階段の脇にちんまり
座ってはりました。
アフロ仏さんは
五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏と
いうのが正式なお名前です。
以下HPより引用
五劫思惟阿弥陀仏は、通常の阿弥陀仏
と違い頭髪(螺髪らほつ)がかぶさる
ような非常に大きな髪型が特徴です。
「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が
法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと
五劫の間ただひたすら思惟をこらし
四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏と
なられたとあり、五劫思惟された時の
お姿をあらわしたものです。
五劫とは時の長さで一劫が五つということです。
一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。
そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきています。
金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。
引用ここまで
正面のお姿。
めっちゃ長いこと考えとったから
きっと髪の毛伸び放題で洗髪せんと
ガッチガチになってもたんかな〜、
重みで肩凝って大変、とか
想像しました。
江戸時代にこんな仏さん作ったらええやん
って思ったお寺さんや作りはった
職人さんってどんな人だったのか、
出来上がった時の檀家さん、
大人だけでなく子供達👶の
リアクション、想像すると楽しいです。
人間の私達は短い時間だけの存在
ですがアフロ仏さんは江戸時代から
長いこと多くの人みてどう思って
はるんか、自分はどう見えてるのか
考えました。
階段を上がるとアフロ仏さんの上
の方に重要文化財の塔があり
登って行きました。
つづく。
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。